自己紹介③ 【再生に向けて学校へ】

時が経過したことと、
自分で自分をカウンセリングするなどの試行錯誤を繰り返すうちに、
障害を受容することができ、少しずつですが、精神状態も安定していきました。
同行援護サービスを使い、ガイドヘルパーさんと一緒に外出もできるように。
視覚障碍者向けのパソコン教室に通い、
音声読み上げソフトを使用してのパソコン操作を習得したり、
白杖を使用しての歩行訓練をしたり。
一応、点字も習いました。結局、使えませんでしたけど(笑)
ちなみに、この文章は、音声読み上げソフトを使用してブラインドタッチで書いています。
視覚障碍者にはパソコンは必須です!!
テレビは音声だけで映像は見えないし、新聞や本も読めない。
(そうそう、最近のテレビでは副音声で解説放送をやっており、ドラマなどもそこそこわかりますよ)
ラジオも良いのですが、それだけでは情報難民になってしまいます。
インターネットが使えるようになれば、情報はいくらでも入ってきますし、
SNSなどで世界が広がります。
視覚に障害があるなら、まず、パソコンの使用をお勧めします。
仕事を求めて、ハローワークにも通うようになりました。
ハローワークには障碍者専門の相談コーナーがあり、
専門の相談員が対応してくれるのですが、
なかなかぼくに合った仕事はありません。
というのも視覚障害は他の障害に比べてできることが制限されており、
できる仕事も少ないのです。
また、当時は今のようにパソコンを使った在宅勤務などなく、
通勤しなければならなかったので、
それを考慮すると、余計に選択の幅は狭まりました。
1年近く求職活動をしたのですが、結局、ぼくに合った仕事はみつかりません。
そんなとき、ある方から、地元の特別支援学校がマッサージ・鍼灸学科の生徒を募集している旨を聞きました。
説明会に行き話を聞くと、中途視覚障碍者も多くの方が資格を取っているとのこと。
家族とも相談して、入学試験を受けることにしました。
試験は学科(5教科から3教科選択)、作文、面接、適正検査と盛りだくさん。
学科(数学・理科・社会を選択)は、高校卒業程度の内容なのですが、
すでに卒業して20年以上、全然わかりません(笑)
作文は字数制限のある口述筆記(ぼくが言葉で言ったことを試験監督が代筆)なのですが、
初体験でもあり、なかなか難しかったです。
それでも、何とか無事合格して、20年以上ぶりに学校に通うことに。
学校での履修科目は西洋医学と東洋医学の両方で、そこに実技が加わります。
西洋医学は看護師レベルで、解剖学・生理学をはじめ臨床医学・病理学・リハビリなど。
東洋医学は経絡経穴(つぼです)・東洋医学概論など。
実技はあんまマッサージ指圧・はり・きゅう・臨床実習など。
学科の解剖学で特に大変だったのは、全身の骨や筋肉の名前を全て覚えなければならないこと。
他のカモクでも、同様に覚えなければならないことが多く、40代のぼくは頭がパニックに(笑)
実技のはり実習は最初は自分で自分にはりを打つ練習をするのですが、
初めて他人にはりを打つときはものすごく緊張しました。
臨床実習では、学校併設の治療室で近隣の患者さんに施術するのですが、これまた最初はものすごく緊張。
月~金の毎日のことなので、だんだんと慣れていき、患者さんと楽しく会話しながら施術できるようになっていきました。
2月に国家試験を受け、3月に見事合格!
そんなこんなで何とか、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師の3つの資格を取ることができました。
今振り返ると、人生の中で一番勉強したなぁ(高校受験、大学受験よりも)と思います。


次回、【ヘルスキーパーとして働く】に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?