想像と違うルックスだった小堀遠州
歴史上の有名人が自分が考えていた顔と違って困っている。私が受験勉強をしていた頃は写真や肖像画と一緒に紹介される偉人は限られていたせいもあると思う。源頼朝とかナポレオンとかレベルでないと、顔を知らずに名前だけを覚え試験だけをクリアして生きてきた。まぁ、源頼朝については、試験にも出たと思う有名な肖像画には今は"とされている絵"と添え書きされているらしいけど。
今はネットですぐに調べることができる。小堀遠州は書かれていても名前だけの人だ。だから調べる。そしてこの人は特に困った。正直に言うとルックスどころじゃなくて、想像と何もかもが違ってたから。
まずはこのアー写こと肖像画。
武士だよね。のはず。何だろう、遊女のように方々の着物を落としたりして。
この絵は岡山の山の方にある頼久寺に所蔵されているとのこと。それだけで行きたくなった。肖像画があるということはここにもきっと彼が作った庭があるのだろうと思ったら、これがまぁ素敵。初期の作品らしいのだけど好みだわ。
庭の作り方はマニュアルで残して伝えるのかな?それをずーーーっと江戸時代の最初の頃から同じに整えてきたの?だとしたら作業をしてきた方々もすごい。
そうそう、この方。お茶好きの私としては綺麗さびの人。今でも流派がある茶道のね。あとは1万石の大名。それくらいだったのだけど違ってびっくりした。
前に『知恵泉』という番組で多彩でマルチタスクの人みたいな感じで紹介されていたけど本当にそんな感じ。若い時にお父さんが亡くなって、その後で作事奉行になるんだけど、いきなりなんで土木工事の人?と思う。単純に命令されたからだよね。今のサラリーマンと同じで。で、いろいろ作って感動した二条城についても庭だけじゃなくて唐門とか食事とか茶会とかも担当してたらしい。将軍の城を朝廷好みにだって。イベントプロデューサーとか、書も激うまなんでマルチクリエーターとか。
で、仕事が多くて、でもサラリーマンだから文句言えなくて、愚痴を日記みたいなのに残していたんだとか。したことは超人的なのに、すごく人間味がある。綺麗さびと小堀遠州をもっと知りたくなったわ。
ひとつ、気になったのが書。コメンテーターの先生が仰っていたのが、定家は普段の仕事は御家流という武家の人間が使う書き方、書体?茶事用には定家流を使ってかき分けていたそう。定家は絶対に藤原定家。好きなんですよ。彼は下手くそらしいのですが、美術館に飾られた字に一目惚れしたのですよ。私も下手だから習ってみたい、習えるの?と思ってしまってる。