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想像と違うルックスだった明恵上人

明恵と書いて"みょうえ"と読む。京都の栂尾の高山寺のお坊さん。このお寺にはまだ行ったことがないのだけど、地図上では金閣寺と太秦の間を山の方に結構行った辺りにある。

栂尾も明恵上人も高山寺もお茶好きにはお馴染みのもの。前出の栄西が宗から持ち帰ったお茶の種を持って来た。以後はここのお茶だけを本茶、他の土地のお茶は非茶と呼んだくらい特別視されて、茶の名産地としても知られている。栄西の種の茶園が残っているのでそれを見たい。

で、名前だけ知っていた明恵上人。『あなたの知らない京都旅』というテレビ番組でこのお寺が出た時に、明恵上人を描いた掛け軸が映された。

紙本著色明恵上人像(高山寺蔵、国宝) 絵はWikipediaより

木の上で坐禅を組んでいるその人が明恵上人。

人物が小さく描かれているのに、それでもわかるヒゲの濃さ。無精髭?で頭も少し生えている坊主頭?近寄ってみると、木の後ろに脱いだ下駄がある。眉毛が微妙に伸びてフサフサしている感じまで見えた。法令線を描く必要はあったのか。誰かに似てるな。

殿上人みたいな高貴な人を想像していたのに、絵に書かれた彼は仙人の方が近いように見える。ウィキペディアには「右耳を自分で切り落とした」と。ゴッホかを彷彿させるクレイジーさと思ったら、"人間を辞して少しでも如来の跡を踏まん"と考えてのこと。それがどうして=耳を切るになるのか、偉い方が考えることはわからない。

偉いと思っていた明恵上人。でも、この人は宗へは行っていない。エリートではなかったのか。思っていたより若いから?いえいえ、栄西は19歳で行っている。調べてみると、亡くなったのは今で言う満58歳だったらしい。そうなの、明恵は若い。ここで大きな勘違いをしていたことに気づいた。

栄西が明恵上人に種を持っていった →栄西<明恵=明恵が年上

実際は、栄西1141年生まれ、明恵1173年生まれで、栄西の方が32歳も年上。尊敬しているけど、もう高齢で宗にはいけない師匠のところに種を持っていったのではなかった。どうして明恵の所に行ったんだろう?

明恵は和歌山の武将の家の生まれ、城も持っているような有力な人。親が亡くなって叔父を頼って仏堂に入り、栄西に会って禅を学び将来を期待されたけど、白い巨塔みたいな会に参加するのを拒んでドクターXの道を行くことを選んで、耳も切り落として、山奥の栂尾で修行生活を送った。途中インドにも行きたかったけど病気などで断念。栄西は一目置いてる弟子の元に種を届けた。

のかな〜。

一番尊敬されるし、映画になりそうだけど、社会では成功しなそうな人そのものと感じた。いろいろ比較的融通が効かない。唐や宗に行くようなエリートは世間でうまくやる能力も持っていただろうしな。

ということで盛大な勘違いをしていた私の頭はスッキリ。詳しいことは専門の先生たちの本を探して読んでみる。あとは高山寺に行くこと。青紅葉と紅葉の季節は格別だそうなので、なんでもない季節に行きたい。

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