嫌われたくないから嫌いになれない 『恋愛中毒』(山本文緒)
世の中には、二種類の人間がいる。
一度好きになった人を嫌いになれるタイプと、嫌いになれないタイプ。
わたしは間違いなく後者のほうで、一度心を許してしまえば二度とその人を嫌いになることはない。
いや、本当のことをいうと、「嫌いになることはない」というのはちょっと嘘だ。
嫌われたくないから、嫌いになれないのだ。
誰にでも人なつっこく尻尾を振るわたしのようなタイプの人間は、その裏では信じられないほどのスピードで脳みそを回転させている。
相手にとっての存在価値を模索し、自分なしでは相手がすこし不幸になるにはどうしたらいいんだろう、なんて考えている。
たまにそうやって引きつった笑顔で隠しながらギラギラと世界を見つめる自分自身が恐くなることすらある。
本作の主人公である女性・水無月も、似たようなタイプなんじゃないかなと。
離婚歴のある30代、フリーターの水無月。
そんな彼女の人生は、アルバイト先の弁当店で中年の俳優、創路功二郎と出会ったところから大きく変わり始める。
重層的に時系列をいったりきたりしながら一人語りで描かれる水無月の半生。
最初は冷淡に、感情の波を持たない人物として描かれていたはずの水無月だが、ページをめくるごとに隠し持った狂気が明らかになってくる。
そして終盤で明かされるある事実が、その狂気を確かなものにする。
本作には、対照的な二人の男が出てくる。
上述した俳優の創路と、水無月の元夫である藤谷の二人だ。
何人もの女と派手に遊び、遠慮なく暴言を吐き、傍若無人に振る舞う創路。
対する藤谷は、感情を表に出さず、口数も少ない。
そんな毛色の違う二人の男を交互に回想しながら、そのどちらにも執着してしまう。
水無月は、向けられた好意を、素直に受け取りすぎてしまうのだ。
目の前にたまたま現れた人が、まるで運命の相手であるかのように錯覚する。
思春期にありがちな妄想を、そのまま引きずって大人になってしまった人――それが水無月なのだと思う。
そして得てして、そういう人間関係は失敗に終わる。
その重さに相手が耐えられなくなるからだ。
もちろんその重たい張本人だって、それが分からないほど馬鹿ではない。
だからひとつの人間関係が終わるたび、まるで振り出しに戻ったかのように繰り返す。
序盤に出てくるこの一文は、アルコールや薬物の中毒患者の自省にも似ている。
みんななりたくて中毒になっているわけではない。
離れたい手を切りたいともがきながら、それでも理性を超えたところでのめり込んでしまう。
苦しくて、苦しくて、苦しい。
人を嫌いになれるタイプの人間には、きっと分かりっこないこの葛藤。
それを抱えながら、きっとまだ水無月は、人に依存し依存させようとする波に溺れている。
おわり。
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