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IT技術と向き合うときに大切だと思う指標【新井紀子さんのインタビュー記事より】

対話型AIについての記事について。
国立情報学研究所教授の新井紀子さんのインタビューが朝日新聞に載っています。

(プレゼント機能を使っています。6月6日 10:26まで読めます

なかなか好感の持てる記事です。普段から新井さんのご発言は、考えの形成に参考にさせていただいています。私が納得する点は、身体性を大切に考えておられるからです。

コンピューターは、良くも悪くも脳を外部化した装置です。脳が肥大化した現代人にとって魅力的に見えるのは当然のことで、コンピューターの進化に目を奪われてしまうのは、ある意味「脳の反応」として自然なことであると思います。

そのため、首から下の身体性は、軽視されがちです。人間は脳だけで存在しているわけではない。だからこそ、私は身体性は、重視すべきだと思っています。

 鉛筆を使う。消しゴムを使う。物差しをしっかり押さえて線を引く。こうした原始的な体験を積むことが大事、というところに戻るのではないかと思います。

このような視点で思考を構成していくと、現在のICT教育などの教育のIT化については、「立ち止まって考えること」も大切だと思うのですが、残念ながら前のめりの方には届かない主張でもあります。

なので、

でも私に10代の子どもがいたら、使わせませんね。

という主張は、↓でとりあげた佐藤ママさん記事

と同様にインフルエンサーの餌食になる主張にもなってしまうかもしれませんね。

さて、このインタビューで、新井さんは、

私は、幼児のころは「サル」として育てるのが正しいと思っています。自分で暑さ寒さを感じるとか、こうすると転ぶんだなとか、昆虫が動く様子をずっと見て「動く」ということの統一的な原理を認識するとか。

とおっしゃっていますが、この「サル」という表現が的確だと思います。人間は動物なんで、幼児は社会性もつ「人間」ではないという視点は大事です。

そうなると、現代人の「人間観」が随分と変化していきているのかもしれません。

で書いた違和感にもつながっているような気がします。

現代人は、情報化社会に生きていることで、人間が進化したと思っているのではと感じています。

確かに何かを知る方法は容易になったのかもしれません。だからといって大学入試で、自分がやりたいことをペラペラとしゃべることができるようになったということは別の議論ではと感じます。

幼児は「サル」なのであれば、タブレットを与えていいのかというのは、当然の視点です。中高生も「サル」がちょっと社会性を獲得した段階の存在であれば、注意して使ってもらうという視点は、決して消極的ではないと思います。

現代人は、身体性を軽視しているのでは?というのは、いろんなところに問題を生じさせているのではと思います。

いろんなことを知るツールであるはずのIT技術が、「IT技術を使うことは良いことだ」という無批判な単一思考に収れんしているのであれば、皮肉なことだなと感じています。


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