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日曜日の本棚#8『一橋桐子(76)の犯罪日記』原田ひ香(徳間文庫)【老後のリアルは〇〇〇次第】

毎週日曜日は、読書感想をUPしています。
前回はこちら。

今回は、現在NHK土曜ドラマで絶賛放送中の『一橋桐子(76)の犯罪日記』です。
松坂慶子さんが一橋桐子を熱演されています。

主人公・一橋桐子は、76歳。年金だけは生活ができず、清掃の仕事を続けています。これまで結婚しておらず、実姉とは親の介護や遺産の問題で揉め、孤独な女性という設定です。

あらすじ

老親の面倒を見てきてた桐子は、気づけばたったひとり、76歳になっていた。
両親をおくり、わずかな年金と清掃のパートで細々と暮らしているが、貯金はない。
同居していた親友のトモは病気で先に逝ってしまった。
唯一の家族であり親友だったのに……。
このままだと孤独死して人に迷惑をかけてしまう。

絶望を抱えながら過ごしていたある日、テレビで驚きの映像が目に入る。
収容された高齢受刑者が、刑務所で介護されている姿を。

これだ! 光明を見出した桐子は、「長く刑務所に入っていられる犯罪」
を模索し始める。
(徳間書店の作品紹介より)

老後も戦略が求められる時代

本作は、一橋桐子という女性が主人公であるが、男性に多くの学びを授けてくれる作品だと思う。私を含め、現代の多くの男性は老後の孤独の危機をはらんでいると感じさせた。

登場する男性キャラクターの不穏当な動きは説得力をもって伝わり、彼らを通して、お金があるから大丈夫、妻がいるから大丈夫、子供がいるから大丈夫、・・・と安心材料を挙げてリスクから目を背けていても、いつのまにか危機に遭遇するのだというリアリティが本作にはあった。
 
今現役で働いていても戦略は必要であるが、仕事ができなくなったあとも戦略が必要なのだということだと思う。生計をどのようにすべきかは当然であるし、パートナーを失った後でも生きていくスキルを磨く必要性もある。
 
料理ができることもその基本事項の一つ。肉の種類、それに適した料理法、100gあたりいくらか・・・。そんな小さな備えは今からでもできるはずだと痛感させられた。

厳しい未来を想定すべき。

物語の後半、桐子は経済的に困窮し、もやししか買えない場面が出てくる。多くの男性はこれで詰みだろう。桐子のように、冷蔵庫にある卵と炒め物をつくり、ご飯とみそ汁を作ってしのぐという技術とアイデアがあるかはかなり怪しい。そもそも、「もやししか買えない」という現実に、メンタルが耐えられるかどうかからすでに怪しいのである。

年金については、最悪のことを想定して損はないと思っている。もうこの時点で、年金についてのシステム変更の動きは出ているからだ。

俯瞰的に見れば、年金制度の綻びは確実とも言える。制度がどの程度腐食しているのかは、私たちは知ることができない。年金を受給する段階になって更なるシステム変更は十分にあり得ると思うし、そもそも支給額がそれなりになっても、インフレになれば、予定通りの老後の生活プランは成り立たないかもしれないからだ。

老後を生きるために必要なことを教えてくれる作品

人間関係の構築も男性にとって大きな課題である。ハッキリ言って、会社の人間関係は会社を去れば雲散霧消すると覚悟すべきあり、よほどの人格者であっても下の世代から慕われるということはあり得ず、老後に幻想を持ち込むことはできない。
 
ぼっち=孤独かどうはその人次第である。一人で楽しむ老後もあるだろう。そのためにも準備が必要であるし、何を準備すべきかは今から考え行動しておかないといけない。自分と向き合うことは避けられないのだと感じた。

老後のリアルは、キャラ次第

本作によって痛感するのは、老後に必要なことは、人間力だろうということである。キャラクター力といってもよい。老後であっても、老後であるからこそ、お金だけでは解決しえない問題が存在しているということだろう。

桐子は結果として、彼女のキャラクター力で危機を突破していく。それには、お金も肩書も必要はない。他者に寄り添う気持ちが、桐子の周辺の人間たちを動かしていく。誰しも、自分のことを大切にしてくれる人には、恩義を感じるものであるし、自分のコミュニティの一員になってほしいと思うものである。

この点について男性は、人間関係の根本の部分で危うさを持っていると感じる。あまりに縦社会の論理に浸り過ぎていると感じるからだ。
 これは老後には確実にリスクである。それを回避するための意識改革は避けられないと思う。

そのための第一歩は、↓のような現実を理解しておくべきなのかなと感じる。

 
老後になれば人間関係は、縦から横に急展開する。偉いおじさんは、偉いおじいさんとして生きていけない。一緒にいて、居心地のいいおじいさんでないと豊かな人間関係を構築することは難しい。

自分が命じて人が動くという関係性はそもそもが異常なのである。縦社会の機能性のために可能になっている特殊事例だと理解すべきだと思う。
 
私は、生徒に対して、普段敬語を使っているが、それは横の人間関係を意識しているからである。
言葉遣い一つで、受け取る方はメッセージを感じるものである。
 
男社会は競争社会であるが、だからといって、過剰にコミットすれば、老後のリスクになることはよく理解すべきである。未来の横社会への備えは、今から始める必要があるのだという意味で学びのある作品だった。
 


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