黙って駄弁るサイレント。
バスター・キートンにはまったら。なんとタイミングの良いことに、電車に乗れば行ける距離の映画館でやっていた。驚いた。行くよね。こりゃ、行くさ。しかも、シャーロックJr.。
映画館で、サイレントを観るのは初めてだ。しかも、なにが魅力的って、ピアノの生演奏。すごい。昔はそれが当たり前だったらしいけれど、そんなもん知りませんがな。回りまわって、ただただ新鮮ですよ。おしゃれだな。背もたれ 使わずに、後ろからピアノの演奏観ちゃうよね。しかも、小さな映画館でほぼ満員。
私よりサイレントに詳しそうな諸先輩方と肩を寄せあって観る、キートンが最高だった。
宝物みたいな時間( ´∀`)
100年って、あっという間なんだな。
キートン、すげぇや。
バスター・キートンは、ライムライトでチャップリンと出ているのしか観たことがなかった。しかも、おじいちゃんだったからあまりイメージがなかった。でも、何きっかけかは忘れたけれど、キートンを観て、はまっちまった。
シャーロックJr.は、私史上 最も短い映画だ。それまで私史上 最も短かった映画は、59分。黒澤明の『虎の尾を踏む男達』という映画で、黒澤さんの映画はそれしか観たことがない。
シャーロックJr.はそれを上回る45分。すげぇな。黒澤さんを観た時も思ったけれど、短い時間でこんなに見ごたえのある、余韻ありまくりの映画、すごいな。
まず 観て、直感的に思ったのが、(内村さん好きそうだな)と思った事だ。 あと、当世 見たら、とりあえず『こけ方がこわい』。ヒヤッとする。そこはちょっと一緒になって笑えない。 でも、お話の筋が愛おしいほどきゅんきゅんする。
『すごいな』と思うパフォーマンスは、やがては越えられてしまうけれど。
(越えていくべきなのだ。そうでなきゃ、“古き ”が輝かない。過去を越えるから、過去も今も めっちゃ良いなってなるのだ。
炒飯TVが 【敦盛2021】で、過去を越えたから。鍋TVの 【敦盛2011】が、さらに輝くのだ。
(え。なにそれ。うん、ちょっとスクロールしておいてね。(^-^)/ )
モーツァルトやベートーヴェンの後。まるでさんまさん、紳助さんの登場後のように。(例えやからダウンタウンはとか言わないで、)
もうやり尽くされた。この後、どうしたらいいんや。ならばこの角度からせめよう。では、この角度からと。あっちこっちで、音楽が華やいだ。(今度はクラシックですかf(^_^; )
それは今では、戦国武将並みにキャラの濃い音楽家たちで、 “ロマン派”と言われているらしいけれど。(シューマンは格差婚で、チャイコフスキーは転職組で、メンデルスゾーンは良い所のお坊ちゃんで。ロシア五人組は、副業組で。…キャラ濃いわ。) その後の近代音楽も、私からしてみれば、THEコントですけど。
たぶん、もうむり。アイデアは出尽くされた。手垢がついたと。思ってからが、本当の意味での 新しい事が生まれる瞬間なのだと思う。バスター・キートンが今日も輝くのは。それを越えようとした“後の方の人” が、本気で越えたからやと思う。
…まぁ、私からしてみれば、両方諸先輩方やけど。新( ´∀`)σ(  ̄▽ ̄)旧 )
たとえ、そのパフォーマンスのからくりが解明されて。驚きという新鮮さは損なわれても。愛おしい(お話の筋が素晴らしい)と思う作品は、ずっと心に残ってさびにくい。気がする。
あと、
山村美紗サスペンスで山村紅葉と大村崑のやり取りが、素晴らしいのと一緒で。キートンの脇を固める役者さんが、お名前知らんけど素晴らしかった。(毒、飲んじゃった人。ネタバレじゃないよ。そもそもほぼ100年前の作品をネタバレを気にする必要ある? ネタバレサイトに依存するのもどうかと思うけれど。ネタバレサイトに首を傾げはる人もどうかと思うなぁ。【ちゃんとみる事が、ちゃんと知ることなら。】 平家物語の諸行無常の響きは、どこにも、誰の耳にも轟きませんよ。
(…(;゜0゜))
平家物語のネタバレを気にしていたら、だれも読まんくなりますわ。
(ごめんねぇ。うちの子、最近 反抗期かしら。( ̄▽ ̄;) あぁ言えばこう言うのよ。ごめんねぇ。本当、うちの子がゴメンねぇ(´Д`))
えっと、
あれ、誰?誰なん?たぶん、お名前聞いても横文字やし忘れるやろうけど、だれ?松竹新喜劇でいうところの伴心平さん的なポジションの人。(伴さんもピンと来んやろf(^_^;) ええなぁ~あの人。詐欺を二回くらい働いてそうな、程よいペテン師顔。エグイわるいことはしないけれど、自動販売機を盗みそうな。もしくは、店先の看板 蹴りそうな顔。……それ、褒めてる?なぁ。褒めてるぅ?( ̄▽ ̄;) )
一回目観たときはそこまで思わなかったが、映画館で観たときは、そのビリヤードのシーンが楽しかった。
よしもと新喜劇の役者さんが、お決まりのギャグをやったら『よっ待ってました』という感じで、多分 映画館に足を運んだ諸先輩方の殆ども、鑑賞済みの“お帰りなさいませ様”、お話を分かっていたのだろう。“そこっ!”というシーンが来たら、皆で笑ってた。おもしろいものを、誰かと共有するのって、たのしいんだよな。
映画館で観る前に、ひとりでシャーロックJr.を観たのだが、一瞬 (これ今、何の時間?)と現実に戻ることがあったけれど、(あ。これ前に感じたことがある…雨に唄えばや)と、思った。
雨に唄えばの中でも、ラストの手前のシーンで、一瞬現実に戻るときがある。それは、『映画のラストはこんな感じでどうかな』と言ってジーン・ケリーがやりたい放題歌って踊って、“夢み心地”になるからだ。お話の筋が破綻したら、着いていけないのだけれど。そこは“夢”のお話だからご愛嬌。つい、やりすぎちゃったんだという感じのシーン。
雨に唄えばで、べんきょうしていたから楽しめたのだと思う。
…あ。これ、夢か。ならば許そう。楽しむのがあまり得意ではない私でも、着いていけるやと思えるシーンがあった。
ずっとロマンスもしんどいし、ずっとアクションもしんどい。ずっとコメディでは、やり過ぎのボーダーラインが分からなくなってしまうし、(私はそれをコントには魔物がいると思っている)、人情噺だけだとどうしても作品の色が哀に満ちてしまう。そういう作品も素敵やけど、それは観てる人の実人生だけで十分やと思う。良いところばかり描いた綺麗な作品は、綺麗事になりがちだけど。キートンは、『シャーロックJr.』という作品において、絶妙なバランスでそれを心得ている気がする。塩梅がナイス。
(始めに出会ったのが、シャーロックJr.だったから良かったのかもしれない。これは、もはや運命だ。( ^ω^ ) そう思おう。結んでおこう。
最後の 映写室でのシーンが、映写室の“小窓”が、絵画の額縁のように見えていいなと思った。おしゃれだな。でも、いちばんの名探偵は、彼女ですやんとも思った(^-^) )
あと、思ったのが、ズクダンズングンブンやっていた頃のはんにゃの金田さんに似ているなと思った。(キートンの顔ではなくて、キャラクター設定が。) お顔は、歌舞伎の女形というか…お公家さんみたいな綺麗な顔してはるなと思った。金田さんで、サイレントを録ったら良いのが出来そうだなぁ。
これを記している、いま、既にたくさんのキートン作品に触れているのだけれど。諸先輩方にくらべればまだまだだけど。キートンにせんそうは、似合わない。脚本も演出も、全部ぜんぶ自分でやっている物の方がおもしろなと、思った。あれもこれも言いたい。足りない。あぁ、まだ知りたい。みたい。100年後なんて、あっという間なんだろうな。
(…私、いま何 言ってる?まぁいいや。ヽ(*´∀`)ノ)
当たり前なんだけど、おじいちゃんキートンしか観たことがなかったから。おじいちゃんにもお若い頃はあったんだなと。何を言っているんだか自分でもよく分からない。この感覚。藤山寛美さんを初めて見た時、直美さんにソックリやなと思った感覚と同じ。 逆やで。本真は逆やで。(本当、なに言ってんの。えぇ。自分が今いちばん何が言いたいのか分かっておりませんとも。時空の反復横飛びが凄すぎて、時差ボケですわ。┐(^_^;)┌
…黙れよ。もう(´Д`) かしましぃわ。)
とりあえず、私 また なむかに恋してるヽ(*´∀`)ノ
世界は、思いがけない出会いがまだまだあるのだな。みんなは、なにしてるときが いちばんたのしい?( ^ω^ )
おまけ
右がむかしのポスターらしくて、左の赤いのが、なむか偉そうな人が作ったらしい。(“偉そう”って、態度じゃなくて、役職がですよ。(^-^)/)
あと、ピアノの生演奏をしていた人も、その筋では有名な人らしい。(筋という言い方、お止しなさい。アウトレイジ感が出るからf(^_^; ) 良い時間だったなぁ。( ´∀`)
おしゃん( ^∀^)
あと、関東にくらべて、関西 特に兵庫県辺りが今ではサイレント映画の熱があついらしい。その理由、なむか分かる気がするな。100年前とはいえ、潜在的に関東の人には刷り込まれているから、(別に今さら…)という感じなんじゃないかな。…しらんけど。 逆に、関西は今さら“漫才”を見ようとは思わない。あれは、テレビで流れているものやという感覚があるもん。「見よう!」と思わないと見ないもの。それが、コントとかサイレントなのかなって。ふわっと思ったとさ。おしまい。ヽ(*´∀`)ノ
またあそぼうねぇ~ヽ(*´∀`)ノ