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ミニシアター再訪(エリセが結ぶ過去との時間)
mini theater revisited
前回は、大規模映画館(シネコン系)を踏まえた記事でしたが、今回はミニシアターに関する映画記事です。
自分は80年代後半のミニシアターブームに乗って、20代前半ぐらいまではミニシアターによく通っていたのです。(その後は私生活が忙しくなって、いつの間にか通わなくなっちゃってましたが…)
最後に、ミニシアターで観た映画は何だったか?
タルコフスキーかデレク・ジャーマンあたりだったような…
でも、実際は、流行っていたウォン・カーウァイの「天使の涙」あたりだったような気もします。
そんな風に、記憶があやふやになるぐらい前のことで、おそらく30年ぶりぐらいに、町のミニシアターに行ってきました。
ビクトル・エリセの31年ぶりの新作『瞳をとじて』を観にいってきたんですが、この新作の情報を知った時は、本気で驚きました。
ビクトル・エリセって、まだ、撮っていたの?!
というのが、正直な感想です。
エリセの『ミツバチのささやき』や『エル・スール』に感銘を受けた映画青年だった時代は、既に遠い昔になってましたが、エリセの新作と聞けば観に行かないわけにはいかないんですよね。
その日にミニシアターの会員申請をしてました!
その後、なかなかやってこなかったんですが、3月になって、ようやく我が町でも『瞳をとじて』が公開されたのです。
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さて、ビクトル・エリセの新作『瞳をとじて』の感想も…
ビクトル・エリセ(Víctor Erice 1940.6.30 -)
スペインの映画監督。
国内では80年代半ばに紹介された『ミツバチのささやき』がミニシアターブームの火付け役となり、人気を博す。
寡作な監督と知られ、長篇作品は以下の通り___
1973年『ミツバチのささやき』
1982年『エル・スール』
1992年『マルメロの陽光』
2023年『瞳をとじて』
『瞳を閉じて』Cerrar los ojos
監督:ビクトル・エリセ
出演:マノロ・ソロ、ホセ・コロナド、アナ・トレント
かつての親友は、 なぜ姿を消したのか_____。
未完のフィルムが呼び起こす、 記憶を巡るヒューマンミステリー
映画『別れのまなざし』の撮影中に主演俳優フリオ・アレナスが失踪した。当時、警察は近くの崖に靴が揃えられていたことから投身自殺だと断定するも、結局遺体は上がってこなかった。
それから22年、元映画監督でありフリオの親友でもあったミゲルはかつての人気俳優失踪事件の謎を追うTV番組から証言者として出演依頼を受ける。
取材協力するミゲルだったが次第にフリオと過ごした青春時代を、そして自らの半生を追想していく。
そして番組終了後、一通の思わぬ情報が寄せられた。
「海辺の施設でフリオによく似た男を知っている」_______
上映時間が169分と長めなんで、たっぷりとビクトル・エリセを味わわせてもらいました。
淡々としてるんですが、自然の光が美しいのは相変わらずでした。
多分、『ミツバチのささやき』が好きな方なら、”期待通り” って感じの評価になると思います。
一応、本作の公開に際して、濱口竜介監督や岩井俊二監督をはじめとした多くの映画関係者から賛辞が寄せられていますが、基本、『ミツバチのささやき』を通ってきた方ばかりです。
ビクトル・エリセ自身、自分の過去作品を観た人限定での映画作りをしたわけではないのでしょうが、過去作品同様のモチーフや構図を組み込んだ結果、良くも悪くも、この映画は『ミツバチのささやき』ありきの作品になってる気がします。
もちろん、『ミツバチのささやき』を知らなくても大丈夫なんですが、やっぱ、観ておくにこしたことはありません。
『ミツバチのささやき』もとても良い映画なので、この機会に観てみることをお薦めします!
『ミツバチのささやき』
社会や家族の閉そく感、その中で、きらめきを見せる少女の純粋な姿、幻想と交じり合う現実、観る側に委ねるラストシーンなど、とても印象的な作品なんです。
この映画制作時、スペインは、まだフランコによる独裁政治下にあった時代なので、この映画には、当時の社会を隠喩した部分が組み込まれているといわれてます。
ただ、そういう状況下だったんで、決して大きな声で主張する映画ではないんですよね。
観る側が耳を澄ましていないと聞こえてこない… そんな映画なんです… だからこそ、忘れられない余韻を残したと思うのです。
その一方で、今回の『瞳をとじて』はというとですね、同じように淡々として静かな印象だけど、意外としゃべる映画なんですよね。
こんな多弁な映画を撮る監督だっけ?
と、思っちゃうほど、画面からいろんなことが伝わってくるのです。
たとえば、冒頭では、富豪の邸宅の庭に設置された「ヤヌス像」をしつこいぐらいに映します。
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双面神ヤヌスの一方の顔は「過去」を、もう一方は「未来」を向いていると言われているんで、それがこの映画のテーマのひとつだということが伝わってきます。(この作品では過去ばかりだった気がしますが)
また、作中作として登場する『別れのまなざし』は、演劇風味が強く、”作り物感” が強調されていて「映画」と「現実」を明確に分けているようです。
そして、その中では「父が娘を探す物語」というテーマが提示され、「現実」のドラマと重層的な関係を持たせています。
さらに、『ミツバチのささやき』の、あのラストシーンが再現される場面もあって、エリセ監督から、ここがポイントですよ!と、言われてるような感じもして、なんか複雑な気持ちになるんです。
多弁に感じてしまうのは、エリセ監督の演出の変化だけではなく、きっと、スペインの政情変化による自由な空気感によるのかもしれませんね。
『ミツバチのささやき』の「無口さ」を好む者としては、この多弁さに最初はとまどってしまったんですが、この『瞳をとじて』自体が、多くの映画ファン(シネフィル)に向けられたメタ映画の様相もあって、タイトルも含め、エリセ監督の込めた思いを解釈しながら観るのが楽しい作品なのです。
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⇩ 他にも、こういう考察・解釈する部分がたくさんあるんです。
※ 主人公が暮らしている海辺の町や、後半の舞台となる施設のある町は、第二作目の『エル・スール』で描かれなかった「南」を想起させます。
二人の老人が流れ着いた「南」の地から、さらに「南」を眺めてるシーンも象徴的です。
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※ ちなみに、ポスターに使われている少女は、作中作『別れのまなざし』に登場するチャオ・シューです。
ポスターでは窺えませんが魅力的な瞳をした少女で、きっと『ミツバチのささやき』のアナや、『エル・スール』のエストレーリャの眼差しを思い出すこと間違いないです。
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30年ぶりのミニシアターを堪能しました。
行ってみて思ったのは、驚くほど変わらないってことでした。
もちろん、新しくなってる箇所もあるのでしょうが、空気感はまるで変わらないのです。
正直、このミニシアターは、時間の流れ方が外の世界と違うんじゃないかとまで感じるほどでした。
平日に観に行ったので観客は10人ほど…
年齢層は60代以上を中心に様々でしたが、みんな映画好きの顔をしていて、そんな映画好きたちと、いい映画を共有する時間も、豊かな感じでした。
大劇場のような大きなスクリーンや音響施設はなくとも、映画を味わう特別な時間を過ごせる場所だと再確認したところです。
こういうミニシアターの存在って貴重なんで、しばらく不義理をはたらいてましたが、今後は、ちょこちょこ通いたいと思います。
自分をこのミニシアターに呼び戻したのは『瞳をとじて』のおかげなのは間違いなくて、そこにビクトル・エリセが込めた思いが重なって感じられて、「映画」の魔法を感じた日だったのです。
リュミエール兄弟の当初の計画から今に残っているのは映画館だけだ。
技術の発展により、私たちは自宅で映画を鑑賞するようになり、鑑客としての経験もすっかり変わってしまった。
しかし私は、映画を観るという公共的な経験を守りたい。
(サン・セバスティアン国際映画祭(2024年)にて)
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