【lifestyle】普通ってなんじゃい
最近三人の方のnote記事を拝見して改めて気になったことがある
それは『普通ってなんじゃい?』ということ
ねこよんこごころっこさんは洋服屋で働かれているが、
「普通のある?」
と、言われることがあるそうだ
「普通ってなんじゃい」
と、なるねこさん
迷子の子猫さん状態ではあるが、犬のお巡りさんが助けてくれるわけでもないので、
「こんなのはいかがですか!」
と、なるわけだが
心の中では泣き止んでいない
にゃんにゃんにゃにゃ〜ん♪
である
ねこよんこごっころっこさんは、2人の方から服を自由に選ぶことの楽しさを知ったそうだ
それはねこさんのお婆様とファッションデザイナーの山本寛斎さんである
自由にファッションを楽しむということを教わったねこさんにとっては、
『普通』という言葉に寂しさを感じるのかもしれない
『普通』は人それぞれ
『普通』はみんな違う
と言うけれど、そもそも『普通』なんて言葉がこの世からなくなればいいのにと私は思う
人それぞれにも『普通』はないし、共通する『普通』も存在しない
『普通』がある以上、『普通じゃないもの』の存在は消えない
山本寛斎さんの服は素人ながら見たことがある
誰に媚びるわけでもないスタイルは、普通がどうのこうのと言う次元ではないところを走っているように思う
ドイツのベルリン郊外にある遊具製造会社でデザイナーとして働いているあかねさんの記事である
公園をデザインしているあかねさんは以下のように『普通』ということについて話されている
公園は、障害の有無、文化、宗教、年齢などにかかわらず、多様なこどもたちみんなが遊べる場所を目指すべきで、自分たちも常にそのことを大切にしながら遊具・公園作りをしていること。障害があるこどもたちも挑戦ができるような遊びを取り入れていること。皿ブランコは、1人でも数人でも、また車椅子のこどもたちも遊べるし、こどもたち大人気なこと。「インクルーシブ」とは、本来、誰も締め出さないということ。「インクルージョン」においては、「普通」が存在しないこと。インクルーシブな公園とは、障害のあるこどもたちのためのものではなく、みんなが一緒に遊べる場所であるべきだということ。そして、インクルーシブな公園、遊び場が当たり前になって、わざわざインクルーシブと言わなくてもよくなることを目指していること。
この記事の中でも、『インクルーシブ』すなわち『普通』という言葉がなくなればいいのではないか、ということが述べられているように感じた
特に日本人は『普通』大好き人種なのだろう
私も仕事をしていて『普通』を求められることは少なくない
やはりそのとき私も
「普通ってなんじゃい」
となる
「普通は玄関は何帖の広さで、リビングは何帖が普通です
普通の子ども部屋は各自一部屋か普通で、それぞれ何帖くらいが普通で、寝室は何帖が普通で、普通は家全体で、普通の家庭ですと何坪くらいの家が普通です」
何回普通って言うん!
とツッコミたくなるが、あり得そうな営業マンのトークである
noteで知り合ったこれでも母さんは
みぃんな『ひと』でよくない?
ということを述べており、まさにそうだなぁと思った
沢山の共感を集めた記事であるので是非読んでもらいたい
ここで私は差別やジェンダー、人種について議論したい訳ではない
単に『普通ってなんじゃい』という素朴な疑問から『普通』なんて言葉は無くなってしまえばいいといことをフツーに主張したいだけである