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当たり前のことの貴重さに気づいた人が幸せになる

幸せと健康は似ている

幸せは健康と似ています。どちらも今の当たり前のありがたさに気づいた人が享受できるもので、予防して努力することは稀です。

まず予防が難しいということについて考えてみます。例えば、腰を痛めるというのは子どものときはほとんどありません。大人になるにつれ、徐々に腰痛で悩むようになりますが、何の原因もなく、ある日突然痛むわけではないのです。

身体の使い方、心持ち、生き方、考え方に腰痛のタネは潜んでいるのですが、一つ一つは取るに足らないことであったり、生きていくのに仕方ないと考えることであったりして、修正する気は起きません。すると何年か後に腰痛で悩むことになるわけです。

次に今の当たり前の貴重さに気づくのが難しいのだという意味について考えてみます。これも健康面で考えた方がわかりやすいですね。例えば、呼吸。当たり前のように吸ったり吐いたりして生きています。苦もなく呼吸できているときは他にいっぱい不満や欲があって呼吸へのありがたさなど気にも留めないはずです。

もっとお金が欲しい。ヒマが欲しい。モノが欲しい。人気が欲しい。欲しいもの、足りないものばかり見て今の自分の持っているものには何の価値も感じないでしょう。

これが呼吸が苦しくなるとどうでしょうか。吸っても吐いても息苦しい。少し動くと息切れする。そんなふうになったら、お金もモノも役に立たないことがわかります。そんなことより思い切り呼吸したい。その時にはもう二度とその願いは叶えられません。そうなって初めて今までの当たり前だったことのありがたさや奇跡に気づくのです。

幸せになりたいなら気づくこと

失ったあとに健康に気づくように、幸せも失って初めて幸せであったことに気付くものかもしれません。ただ、健康よりも幸せになりたいと希求して今の自分を顧みないことが多いのではないでしょうか。人は満たされているものより、足らないものに目を向けがちです。今あるモノは当たり前だからです。当たり前など何一つないことに気づけば気づくほど幸せな自分に気づけます。

誰でも存在自体が恵まれていて幸せなので、それを希求しなくてもいいんです。ただ、ここで大切なことがあります。失われないための予防という努力はしなければならないのです。

自分の意思で生活するという生き方を幸せだと思ったとして、それらを構成する分野を精神面、身体面、経済面、人間関係に分けて考えてみます。これらは現状に感謝しつつも常に失われないための行動が必要なのです。

あるのが当たり前ではないという考え方で行動していくのが難しい。人は予防の価値を認めるのが一番難しいのです。

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杉浦麻友美
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