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星野源 『そして生活はつづく』僕にもあなたにも、それは平等なかたちで

社会人になってから3年とちょっと。長らく遠ざけていた(文字通り全く活字に触れなかった)読書を、最近時間を取ってするようになった。大学生の頃は文芸学科ということもあって、多少なりとも、それなりに、慎ましく読書をしていた。
基本的には文学系。人文学的なものや雑誌、趣味少々。そんな配分だったと思う。

のんきで意識も別に高くない大学1年生の僕は、「本読んでる自分偉い」と自己肯定感を日々高めていた。しかしある日、教授が「お前たちが本を読むのは趣味じゃねえ。舐めるんじゃないよ。当たり前だ。仕事なんだよ」的なことを言った。うろ覚えながらそれが出てくるのだから、それなりに僕の胸に刺さったのだろう。目を覚ましたように、僕は読書して、しかし、やはり自分は偉いと自己肯定感を高め続けていた。

時間が有り余っていたとはいえ一日一冊読んでいる時期もあった。大学の間付き合っていた彼女と別れた時は、現実と向き合うのがつらくて小説の空想世界、ゲームにひたすら逃げ込んだ。自分の中の空虚を埋めるために、とにかく必死になって。
卒業して定職にも就かず、毎日散歩と称して近所の公園に行って読書をしていた僕は、どう考えたって正常ではなかっただろう。
公園のベンチに座って本を読んでいると、走り回ったり、ボール遊びをする子どもたちが視界に入る。物語の行間を噛みしめるように、また、乾いた口の中に含んだ冷水が体に馴染んでめぐるように、僕は時折それらの光景を眺めた。その頃の僕にとって自分の中に現実はなく、外に目をやることでしかうまくバランスを取ることができなかった。

それから社会福祉士の国家資格を取って、病院でメディカルソーシャルワーカー(無駄にかっこいい横文字職種だ)として勤務し始めた。仕事に関係のある本以外は、その時からはほとんど読んでいない。関係のある本といっても、ほんの数冊程度。論文や役所が発行する福祉関連の手引きは必要最低限読んだりはしていた。
MSWの仕事というのは、それなりにやりがいはあるが、ばかみたいに忙しく(休憩中もPHSが鳴りやまない)、医療職と患者の間に立って様々な調整をせねばならない。その上給料も低い。おまけに僕の働いていた職場に一人しかいないMSWの上司は、職人気質でいじわるな女性だった。割と自由な職場で放置され気味だったため、仕事を教えてもらうこともなかった。その上司以外はかわいがってくれる人が多く、なんとか続けられたが、仕事は雰囲気でこなしていた気もする。
おかげで3年経ってから頭頂部に小さいハゲが出来た。ストレスで頭皮が荒れ、かゆみがふつふつと湧くために狂うように搔きむしった。その代償として毛根を失う。ありきたりな物語だ。
それでも、僕の生活は続く。

星野源の『そして生活はつづく』は、逃げ出したい現実の真っただ中にいる人や、世界的なスター、すべての人が繰り返す「生活」についてのエッセイである。
僕は正直にいって星野源のことをあまり知らないし、そこまでの興味もなかった。元々TVも見ない、タレントや役者、芸人にもそこまでの関心がない人間だ。逃げ恥で初めて星野源の名前を知ったが、結局逃げ恥も未修のまま。妻が星野源のことをゲンゲンという特徴的な呼び方をするため、僕の中で野源はゲンゲンという愛称で定着している。
この本を読むまでは、新垣結衣と結婚するほどであるし、音楽もなんだか人気で、俳優もやって文章も書くなんて、とても多才な人なんだなあと、そういう印象だった。

しかし、本を読んだ後の印象は、この人本当にばかなんだなあという一点のみだった。なんならこんな人がうまいこと生きていけるのだから、自分も大丈夫だと、自身の生活に太鼓判を押されたような気にすらなる。
読了前に勝手に抱いていたスター的なゲンゲンのイメージとはまるで違い、どこまでも地を行くような、根暗で変態な人間臭い部分を惜しみなく表現している。
公共料金等の払い込み用紙は当然のように期限過ぎで支払うし、時折はうんこを漏らす。そんな当たり前の日常、生活が、ゲンゲンにもあるのだと気づかされる。どんな人でも共感できるありきたりな生活と、ゲンゲンの変態さを垣間見れる作品だ。

特に「ばかはつづく」という文章は、声を出すくらいおもしろいので、その部分だけでも買って読んでいただきたい。


※※※

病院で働いていた時は業務中の忙しさもあり、そのストレスからか、時間はあったにも関わらず、なぜか全く読書に気が向かなかった。その後2回転職し、今の職場は家からかなり近く、今のところ定時で帰れるし、意地悪をする人もいない。心の余裕ができたのもあるだろう。
また、娘が産まれるからゲームばかりしてても恰好がつかない気がしたというのもある。
寝室を整理し(ずぼらな性格の夫婦であるため片づけるのに2年かかった。妻の引っ越してきた荷物が段ボールのまま置かれていた)、ソファとテーブルを設置して、20年来変えていなかった部屋の照明をカバーごと入れ替えた。その甲斐あってか、今は穏やかな気持ちで読書をすることができる。とても新鮮だ。しかもなぜかおまけで文章も書きたい気持ちが湧いてきていて(どうせまたすぐ飽きるかもしれないが)、やはり物置みたいな部屋で生活するのは良くなかったみたいだ。

どうであれ、僕と、おなかの大きな妻と、拾ってきた三毛猫、爬虫類たちの生活はこれからも続くのである。



念のために言うが、今はハゲてはいないので、悪しからず。


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