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主催(しょうご)が自由に書いたもの

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#檸檬

梶井基次郎『檸檬』3 感想

読書会では作品の最後の一部しか読んでいませんが、作品の総論として感想を書いていきます。 「えたいの知れない不吉な塊」という言葉について ぼくたちは言葉によって現実の世界を捉え、思考しており、その言葉は接続と切断という2つの反する機能を持っています。例えば「猫」という言葉を発明した時、何が起きるか。その時、世界に猫が現れ、認識され、自己に猫が接続されます。しかしそれと同時に、それまで世界の外側であったもの、混沌とした、融解しているものにメスを入れられ、世界の外側から分離し、

梶井基次郎「檸檬」2主催者の感想

今回読んだ箇所から「身体性の回復」ついて考えました。主人公は檸檬を手にしたことにより、その温度、重さ、匂い、触覚、たぶん作品には書かれていませんが、たぶん見た目から酸っぱさも感じとったのだと思います。檸檬から、自身の外部から内部への侵入、侵食を感じたのでしょう。また主人公は肺尖カタルを患っており、常に熱のある状態で、夢と現実の境界が曖昧な、常にふわふわした中にいる状態だったと思います。ふわふわとした中では、生きている手触りを見つけるのは困難であり、それが心の抑圧になり、「えた

梶井基次郎「檸檬」1主催者の感想

読書会では、自身の体調と世界との関係についての話になりました。体調の良し悪しで世界が変わってしまうことがあります。例えばぼくも、疲れている時は他の人がしていることー普段は気にも留めないようなことーが妙に鼻につくように感じ、時には怒ってしまうことがあります。ぼくたちは、体調という自分の意志ではコントロール不可能なものに影響されて世界を感じ、それによって行動せざるを得ないようです。昨日の自分と今日の自分は一貫した連続性の中にいるように感じていますが、体調によって自分が変容し、過去