発達障害という言葉で自らを語る時、私をめぐる何もかもがその四文字で覆われて、息が苦しくなる。 これは観念的な問題なのか? それとも現実か? 個性、特性、障害、あるがまま、どうでもいい。 いや、どうでもよくはない、それはわかっている。 しかし、もっとまるっと、突き抜けた形で私を語ることはできないものか? 物語の必要性が昇華される…
発達障害当事者として、何か書ければ、自分だけじゃなくて、他の方へもシェアできていいだろうとはじめたnoteだけど、 当事者意識にしても、勘弁してくれよといったような、自分に対する無責任な感情が湧き起こってくる…。 責任感とかで書くんじゃないしなぁ… 目的意識としても、もっと別の、ただ書くことで、癒される的な、そういった効能?だけでもあればそれでもう充分なのではないか。 自分のため、人のためというのは、一旦置こう。 何のためでもない、書くという行為に、沈潜しよう…。
iPhoneを使っているが、ボリュームオンにしていると、フリックの時にぽちぽち音が出ますね。 これが好きです。 Androidだと、フリックそのものにバイブレーションをつけることができますよね。それも好きですね。 スマートフォンが書くことの日常を占めるようになって、それはそれとして、楽しい部分もあります。 こういった触覚的なところで、書くというより、なぞっているだけかもしれないけど、書くことが別な意味で興味深く感じられます。
メリット:日中の眠気がかなり減る デメリット:その反面として、昼寝など日中少し横になっても眠りにつくことが難しい。 そのため、休憩したいときに目が冴えていることがある。無理に寝ようとしても、逆に気が散って眠れないということがある。 寝るには効力の切れる夜まで待つしかない。 (あくまで主観です)
四つ葉をよく見つけるので、その時の写真を簡単な動画にしました。発達障害(感覚過敏)の恩恵…?!
発達障害とひとことで言っても、その困りごとに対しては、いろんな要素があると思う。 僕の場合、視覚や聴覚からの刺激に対しての敏感さが以前より増してきて困ることがある。 今回紹介するのは、GUで買った990円のサングラス。UVカットだけでなく、直射日光を多少カットしてくれるのがホント目に楽だ。 視覚は多少寒色の方向に傾くので、その点には注意してほしい。 それに装着すると、如何にもサングラス🕶!な風貌に変わるのは当然だが、視覚の敏感さ、周囲の光のまぶしさに困っている人は、日差し
僕はずっと、抗うつ薬と抗不安薬(と睡眠薬)を処方されてきた。 発達障害と診断されるまで、ひどい抑うつ状態が主な病状なのだと自分でもとらえていた。 しかし、ちっともよくならない。 おかしい、と思う。 色々と調べる。 図書館で本を借りて、ネットで情報を収集して。
コンサータは、朝起きてすぐ飲まねばならない。 タイミングを逃すことができない。 その代わり、飲めば12時間は作用する。 その代わりの代わりに、12時間後、効果が切れる頃、どっと疲れを感じる。
コンサータは助かる。慣れるまでかなりの月日を要したが。最初は頭痛と、食欲減退に参った。他にも環境要因としてのストレスが多かったので、コンサータ単体の副作用とは判別しにくいが、とにかく体重減少は困った。 それもようやく落ち着きをみせると、やはり飲んでいる状態での頭の中の血の流れみたいなものが、行き渡り方が異なると感じる。
僕は発達障害と診断されている人間だ。 コンサータを72mg処方されている。この処方にもやっと体がついてくるようになった。 以前は、副作用の方がきつくてたまらなかったが。 今は食欲も普通にあるし、夜も眠れる。(寝付きを良くする薬は出ているが) ただ、どうしても疲れやすい。気力が切れるのが早すぎる。このことが一番自分の体で困るところだ。
このPowerBook、OmniOutlinerがはじめから入っているけど、そういうものだったのだろうか…?使いやすいからメモ代わりに書いているけど…。 今のこのアプリは課金前提でないと使えないようですね。もったいない気も。
今、このPowerBookはとてもがんばっているのがわかる。 パームレストの部分が熱いし、唸りもあげている。 じじじ…とHDの小人達も右往左往だ。 そのうえで、僕は書いている。 中身を考えずに。 何も考えずに。 がんばるということを、考えている。 意識的にがんばるということではなくて、無意識にがんばってしまう人のことを考えている。 意図をなくしてしまった人が、がんばり続けると、自分を見失って、やがて疲れてしまう。それが僕だ。 僕はいま、休職をしている。 い
僕は今、Power Mac G4からこ文章を書いている。 2005年あたりのMacだ。 先日ハードオフでなぜか出会ってしまった。美品という形容も失礼なほどの巡り合わせ。HD内の小人たちは、忙しそうに今も元気に動き回っているのがすぐにわかった。で、購入して持ち帰った。 キーボードの質感がすばらしい。当時はこれが当たり前だったのだろうが、 とても馴染む。 馴染む、というのはよい感覚だと思う。 ものとひととがひとつになる感覚だから。 今僕はそれを感じながら、この文章を
とーちゃんが泣くの、すごく迫る…ものがある…
泣く…
よつばと!すばらしいな…泣く。