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マンガ専科の最終講義の裏で

半年間、コルクラボマンガ専科というオンラインスクールを受講していました。

そして、昨日、5時間に及ぶ最終講義が終わりました。時差の関係で、オーストラリアでは午後3時から夜9時まで。ちょうど、子供たちの夕飯・風呂・寝かしつけの時間とバッティングしていた。

それを、昨日は夫が全部やってくれた。本当に、感謝しかない。

そもそもオンラインスクール自体、次女が生まれたばかり(2ヶ月)の頃だったので、応募するか、かなり迷った。

前々から気になっていた講義。でも、東京で開催されるから、オーストラリアからは参加できない…なんて愚痴っていたら、今回はコロナの影響で、オンラインで開催されることになったと通知が入った。「今後はどうなるかわからない。今回がチャンスだ。サポートするよ。」と夫が背中を押してくれた。

最終講義だけではなく、数回あった、長時間の講義中には、夫は、赤ちゃんと幼児を連れて、公園や買い物に行ってくれたり、課題のネームの感想をくれたりしていた。

本当に支えてもらった。その分、いい漫画が描けるように私はなったのだろうか?


https://comici.jp/articles/?id=27776

最終課題で描いたネームがこれです。3年間、子育てエッセイばかり描いてきたので、今回、違うジャンルで、「32P感情の流れのあるものを描けた」というのは、半年間で変わった点。自分の底にある問題意識や、描きたいシーンも入れられた。

書き上げる途中で、もうできないと落ち込んで、嘆いた。描いてる途中で眠くなるなんてこと初めて発生して、「描いてて眠たいマンガなんて…」と落ち込んで、ちょっぴり泣いていた(ほんとは号泣)。かなり苦労した(←言いたくないけど、自分の不名誉のために言っておく)。

正直、同期の中には、卒業とともに、電子書籍を出したり、最終課題が賞に選ばれたり、何万人に拡散されるくらいバズったり…と、色んな目に見える成果があった人達もいて、それと比べると、私は、特に何もなかった。

特に何もなかった…って、自分で言って、自分で傷つきそうになるけど。

けど、違う。

自分の中で、前は描けなかったものが、描けるようになった。考える力をつけようとか、問いを考えようとか、じゃがりこ一つでも期待まみれで、どこからでも人は学べるとか、一生続けられるように家族を含めた健康に気を遣うとか、土日はちゃんと休もうとか、もう色々考え方が変わった。

何をするにも悩んで同度巡りしていたところから、もっと戦略的に変わりたいと思うようになった。3年間、インスタの世界で閉じこもっていたけど、怖かったTwitterもちゃんと運用するようになった。noteも始めた。時間がなくて仕事が引き受けられないと思っていたけど、夫と話し合って保育日も1日増やした。

実は、英語もちょっと勉強するようになった。オーストラリアに来て2年経ち、初めて車も運転し始めた。マンガ専科に入って、マンガ以外の部分で、生き方が少しずつ変わった。

マンガってきっと、好きとフェチズムの集合体だから、人生や考え方がにじみ出ると思う。早く結果を残したいけれど、私は不器用なので、そうやって内面から変えていくしかないのだと思う。

話がズレてしまった。

最終講義では、課題の講評をもらった。直すところとしては、「仕事の話から入って、途中に演劇の話に変わるところが、わかりにくい」(ついていくのが混乱する)、男の子の「間違えたら引き返せばいい」の思想が出てきた経緯の深堀りを(できればストーリに絡ませられる形で)」という意見をもらった。

自分の中でも、「仕事から、急に演劇の世界へ入る必要性はあったのかな?仕事の中で学ぶ方がいいのでは?」ってずっと考えていていたり、「男の子が、イイ人すぎるよな~っ」て思っていたところで、刺さる批評だった。やっぱり自分で消化不良だったところは、人から見たら、分かりにくさとして顕著に表れる。

「分かりやすさ」だけで、かなりマンガが読まれるかが変わってくるんだということも、最終講義で何度も言われた。スマホでチェックしたのか?色は情報量が多いのになぜ乗せないのか?などなど、本当に古い、なんとなくの習慣にとらわれているなと気づかされた。

更に、他の同期の作品や批評も見ていて、素晴らしく面白いものが沢山あった。比較すると自分の話には、萌えや面白いポイントが少ないなぁ…っとも思った。そういうの、全部加味して、主に前半部分を、ごっそり直してつくり替えることはできるだろうか。

今から3ヵ月間、実はページ数の多い仕事が入っているので、ちょっと厳しい気もする。けど、ちゃんと直したいな。

他にも、講義でもらった考え方は、もう何回も見直して、今後の漫画に活かしていきたい。

今、一番変わったのは、マンガのスクラップの習慣ができたこと。いいなと思ったものは、(外に出さず、自分で見返す用として)貯めるようになった。そうやって、ストックをためていくと、ネームに詰まらなし、表現の幅が広がるということで。(知識として貯めているだけど、すぐは出せないけど。)

私は社会人になってからマンガ描き始めたので、圧倒的に人よりマンガを読んできた量が少ない。から、もっと読みたいなと思っている。(特に、少年マンガ。恥ずかしながら、スラムダンクですら読んだことないのです。読もうとおもったら、スラムダンク…電子書籍ではないんですね( ;∀;)。)

ちなみに私にはとっては、具体でストックを貯めて、リズムを暗記するのが、合っているなと感じた。

逆に、抽象化された型から物語や具体を出すというのは、かなり苦手。だから、自分の感情や描きたいことをバーっと一人ブレストで出してから、型に当てはめてチェックするのが向いている。…と最終課題で気づいた。(←またどうやって作ったのか、自分の今後のために、細かく振り返りもしたい)

32Pを俯瞰で眺めて、ページの役割を考えたりしていると、マンガは「期待と不安しか描いていない」と言われていたことを思い出した。自分のページに、どちらでもないものが見つかったりする。ここ、期待でも不安でもないな…ってカットして直したのが、すごく新鮮だった。

今回、10回直せって言われていて、結局4回しか直せなかったけど(中途半端な根性)、その直した作業で色んな発見があった。つまんな過ぎて描けなくなった時に、「描けないシーンは省略する(←あまいろさん談)」というのをやってみたり、「最初にこだわっていた案を捨てる」とか、今までやったことないことを色々できた。

うん、振り返ると、色々できるようになった。何もなくなかった。人の成功をみると、やっぱり羨ましいけれど、それだけの気持ちで終わらずに、いいところを言葉にして、心から喜べるようになって、できるなら真似していきたい。これだけも大きな変化じゃないか。

ささやかに満足。でも…本当は、欲を言えば、自分でめっちゃ面白いって思えるものが描けるようになりたいし、世間の人も面白いって言ってくれたら、嬉しい。今のところ、好奇心や考える力の教育について、興味があって、そういうのが分かるマンガを描いてみたいと思って、関連本を読んでる。進路に迷ってばっかりだった自分のような人の助けになるマンガが描ければいいのにな。

さらに俗欲まみれに言っちゃえば、めちゃくちゃヒット作とか描けるようになりたい。お金もすんごく稼げるようになりたい。げへへへ。

欲望がとめどなく、出すぎました。マンガは描き続けるけど、ひとまず、一区切り。

余談ですが、最終講義に区切りついた夜8時、ドアを開けたら、寝ようとしていた長女に、見つかった。しまった…と思いつつ、寂しそうな顔をしていたので、ハグして、お休みといい、ドアを閉めた。

「日中ケロっとしていたはずの長女が、その後、思い出したように、母恋しさに泣いていた…」と夫から聞いた時、胸がギュッとなった。

今朝、私のベッドにもぐりこんでいた長女に、「ごめんね、もう勉強、終わったからね」といって、髪をなでた。

長女は昨夜泣いていたのを忘れたのか、ケロっとしていた。

「今日もお仕事するの?」と何故か嬉しそうに言われた。ちょっとびっくりした。長女が幼稚園に行っていて、次女が昼寝している時間は、もちろん描く。でも、そういうことじゃない気がした。

私は、マンガ専科に入る前、「マンガを仕事と呼んでいいいのか」悩んでいた。育児エッセイマンガは、練習を兼ねて好きで描いているだけだ。仕事って感じじゃない。時々、インスタで育児マンガを読んだ方から、イラストやPRなどのお仕事依頼を受ける。

でも、それだけじゃなくて、もっと能動的に色んなマンガが描けるようになりたいし、マンガ家って自信をもって名乗れるようになりたい、仕事にしていきたいと思っていたんだった。

そういう意味で聞かれている気がした。

コルクラボマンガ専科に入って、変わったのか?結果は華々しいものではなかった。

でも、何もなかったけど、何もなくなかった。

「今日も、仕事するよ」

布団に寝っ転がりながら、次女に髪の毛引っ張られながら、口に出していた。

なんか、マンガ家になった気がした。

半年間、お疲れ様でした。




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眠井アヒル
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