やり過ぎた後、どうするか
クリスマスプレゼント
クリスマスが近づいている。
子供と話している時に、クリスマスプレゼントに何をもらうか、、という話題がでてくることが多くなってきた。
もちろん僕にはもうサンタクロースが来ることはないけれど、プレゼントの話をする時の子供のなんとも言えない横顔を見ると、僕もワクワクした気持ちになれる。
これは、子供からもらうことができる唯一のクリスマスプレゼントともいえるのかもしれない。
ケーキ
クリスマスといえばプレゼントをもらうことと同じくらい、ケーキを食べることを思い浮かべる人は多いと思う。
ケーキは最初の一口が1番美味しい。
僕の場合、一切れ食べ終えた頃には、十分満足していることがほとんどである。
美味しいことに気を良くしてもう一切れ、、と手を伸ばしたりしてしまったら大変だ。
食べ終える前に気持ち悪くなり、しばらく動けなくなる自分の姿が目に見える。
何事もやり過ぎることはよくない。
おふざけ
小学生にとって"おふざけ"は、生活に欠かせない要素の1つなのだと、子供たちと触れる中でしみじみ感じる。
僕の過去を振り返ってみても、いつボケられるか、どの子にどうやってちょっかいをだそうか、、などとよく考えていたものだ。
おふざけは時にはコミュニケーションになったり、場の雰囲気を和ませるなど、良い面もある。
しかし一方で、気をつけないと相手を簡単に傷つけてしまうのも確かである。
やり過ぎはよくない。
知ること
"気をつけないと"などと書いたが、どうやってその"気をつける感覚"を身に付ければよいのか
それは"知ること"から始まる。
例えば、ある子がちょっかいをだし過ぎてしまい、相手を泣かせてしまったとする。
その時にちょっかいをだした本人は何を感じるだろう。
相手が悲しんでいること、泣かせてしまったことへの罪悪感、お母さんに怒られるかもしれないという恐怖心、胸のモヤモヤ、、、
様々な思いを一瞬のうちに抱えるはずだ。
これら全てに共通していることは、自分が気持ちの良い思いを抱かないということである。
こういうような気づきが何度も積み重なることが、やがて自分の経験となり、"気をつける"指標になっていくのだと思う。
大切なのは、やり過ぎてしまった時、相手や周りの人、そして自分自身すらも嫌な気持ちになるという事実を知り、感じ、己の胸に深く刻むこと。そしてそれに気づいた後、自分をどうやってこの先変えていくのかを考え、実行することだ。
知ることの土台
自分の気持ちをキャッチし、表現すること。
相手の気持ちを受け取め、考えること。
この2つのことができてはじめて、"知る"ことへたどり着ける。
僕たちが子供たちに対してできることとは、それをサポートすることやその大切さを何度も伝え続けることなのだ。
サンタクロースの友達
クリスマスプレゼントの話をしていると、サンタクロースはいるのか?という話題になった。
僕は少しふざけて
「そりぁいるよ、僕はサンタクロースと友達だしね」と冗談を言ってみた。
その直後、子供たちから大量の質問ぜめにあい、ついにはそれに答えられなくなり、黙ることを余儀なくされた。
嘘つきだ、としばらく批判された。
何事もやり過ぎはよくない。