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未来への不安と焦りでいっぱいだった34歳の母親が、誰かに話を聴いてほしくて13万円の自己投資したら見える世界が一変した話

いまわたしは、「コーチング」というスキルを使って、1対1のコーチングをしたり、ワークショップを企画したり、二児の母をしながらプロコーチとして楽しく仕事をしています。個人事業主になって、去年は夫婦起業して1年たち、”取締役”なんていう名ばかりの肩書きがつきました。

2023年10月に友人のカメラマンに撮ってもらいました。お気に入りです。

今年フリーランスのコーチとして、会社員だったころの年収は超えましたが、6年前の長女を妊娠した頃、私は将来への不安と焦りでいっぱいでした。今日はタイムスリップして、このままでは何もないおばさんになっちゃう…と恐れていた、あの頃の話をしてみたいとおもいます。

もし今、自分の未来に不安を持つ人がいたら、ちょっとしたきっかけで人は変わるんだと、何かが伝わるといいなと願って。


今から6年前。34歳の私は小売店のスタッフでした

新卒のころ、22歳でリクルートに入社して、リクナビやリクナビNEXTを熊本で営業していました。ともに働く仲間は魅力的で楽しかったのですが、仕事がハード。いつのまにかメンタルも体力もボロボロで、もう無理だ…逃げ出したいという気持ちと、「彫金」というジュエリー制作をやってみたい!という無謀な夢を追いかけて退職したのが25歳でした。

25歳の頃ですね。小指の絆創膏がなんか健気ですね。

そこから5年。コールセンターでアルバイトをしながら彫金教室に通い、いつか"装苑"という雑誌に載ることを夢見て、石を買っては指輪にしたり、友達から注文をもらってオーダーメイドジュエリーを作ったりしていました。

ルビー、サファイア、トルマリンで作った椿の花をモチーフにした指輪。

その夢も、始めた頃のエネルギーがいつの頃かなくなって、29歳で結婚と同時に東京に来て、あれほど夢中になっていた彫金、作る気力がなくなってそのまま部屋の片隅にたくさんの工具が積まれたままになりました。

結婚して東京に来たばかりの私は、素敵なビジョンを掲げるスタートアップで正社員として働き始めます。全国各地の美味しいものを東京で売る小売店です。朝は9時前から、イベントの時は終電まで残って設営や売り場替えをする日もザラにあって、忙しくも楽しい日々でした。

社会人になって12年。コーチングとは全く違う仕事で今とはまるで違う世界にいました。

いつか子どもが欲しい。母親になった後のキャリアがずっと不安だった

法人営業、ジュエリー職人、小売店バイヤー。

一貫性がなく、職務経歴書を書くと虚しくなるほど強みがないと感じられたキャリアステップ。こんな経歴に、自分は何もない、価値がない、社会でどこにも必要とされない、と強い不安を持っていて、今の会社で頑張らないと他では誰も拾ってもらえない。ここで頑張らないと!と思っていたところに、妊娠しました。結婚して4年目です。

「やった!母親になれる!」と思ったら8週で繋留流産。大切なものがあっという間に手の隙間から流れ落ちるような虚しさと悲しさ。あれ以上の痛みと悲しみは、他に知りません。

妊娠して分かったことがありました。
スタートアップの勢いある会社で、割と社長の近くに大事なポジションで懸命に働いていた当時。妊娠すると、できない仕事が急激に増えるんだということです。お酒の試飲はできなくなり、全国出張は難しくなりました。
新店舗の責任者の話もありましたが、いつのまにか他の人が抜擢されました。

子どもが欲しいけど、できたらここでのキャリアは終わるんだ…といろんな痛みを感じながら、男性と同じように働く!成果を出す!と思って働いてきたのですが、何かがちょっとづつ変わっていく様子。ずっと同じではいられない様子をなんとなく感じていました。

母親になったら会社でポジションを高めることは無理なんだ…を実感する

流産して半年後。もう一度妊娠しました。前回と同じ目に遭わないように、ほとんどの仕事を手放して子どもの命が無くならないように、あんなに働いてたのに、ほぼ他のメンバーに権限委譲をしました。

すると急激に暇になり、あれ?わたしここにある意味ある?と虚しさが込み上げるほど、今まで頼られていたことが喜びで存在価値だったのに、どんどん寂しくなります。

でも、順調に育って命の方が大切だったので暇をよしとしながら、複雑な気持ちのまま受けいれるようにしていました。

小売の仕事は好きだったし、全国を回って美味しいものを仕入れてどうすればこの魅力が伝わるか?を考えるのが好きでした。そういう仕事は子どもが生まれたら、しばらくできないんだろうな、気軽に出張とか行けないもんな、と寂しく思い、わたしが社会にいる意味って何?と漠然と考えたのが妊婦として働く期間でした。特に私が勤めた場所は、段ボールを運んだり、椅子を動かしたり、時間が遅かったり肉体労働があったので、妊娠中は顕著にできないことがうまれました。そういう仕事だったのです。

待望の子どもが育つ喜びと、今までの権限がなくなっていく虚しさが半々でした。

9月が出産予定日だったので、6月末で産休に。

あぁわたしはもうここに戻っても、前みたいに働けないんだろうな…誰からも頼られないんだろうな…もうお母さんっていうのになったら社会に必要とされないんだろうな…

強烈に寂しく虚しくなったことをはっきり覚えています。

産休育休で1年半前線から離れたら、みんなに忘れられる、仕事がなくなる。価値がなくなる…。そう怯えると同時に、子どもに会える喜びでいっぱいという不思議な気持ちだった臨月でした。

あと2週間後に生まれる子どもを抱えて、産前のエアロビ運動に参加していました。

子どもが生まれたら、さらに感じる不安感と孤独

無事に長女を出産して、しばらくは実家で過ごしました。昔からオーバーワーク気味だったのでゆっくり実家で過ごすのは初めて。"のんびり"といえど、慣れない育児です。寝れない、授乳はうまくいかない、体は痛い。それもまた辛さもありましたが、半径1mの自分と娘のことだけ考えれば良いというある意味の楽さもありました。

無事に退院して初めての外の空気です。

話し相手として母親はいるけど、毎日一緒に家にいるとさすがに息が詰まります。7月に帰省して9月に生まれて11月末に東京に帰ったのですが、10月ごろは息が詰まって早く好き勝手にしたい…と、世話になっておきながら思っていました。

お宮参り、顔がぱんぱんですね。娘のドレスは義母が手編みしてくれたものです。

車がないと移動できない、新生児を置いては自由に買い物にも行けない。ふらっとカフェで本も読めないし、散歩も行けない。新生児を面倒見るおばあちゃんとなった母と慣れない環境で、2人ともギリギリだった。
早く帰りたい、早く東京に戻りたい…とぶつぶつ思いながら産後3ヶ月ごろ、ようやく夫とともに3人の暮らしが始まりました。

初めての育児は、暇と孤独と未来への不安だった

東京の家に戻ってみると、夫は毎日出社で家にはいない。
割と良く寝る長女と二人きり。とにかく暇でした。

結婚して東京にきたので、近所に友人はいません。ママ友を作った方がいいのかな?と、生後半年ぐらいの娘を連れて、児童館に行き、ママと子どものふれあい会みたいなのに、何度か参加したのですが、私も居心地が悪かったし、娘も馴染めず、いつしか足が遠のきました。

馴染もうとおもって、児童館に行って寝相アート体験もやったりしました。寝相アートはこれっきりです。

仕事以外の友達はいなくて、暇だったのと、これからの未来が不安だったので、何か仕事ができないか?と色々トライしました。

帰省中に母親から教わってミシンを覚えて、簡単な洋服は作れるようになったので、娘をおんぶして寝かせながら、ミシンをかけて、子供服や布雑貨を作っては、娘に着せず売り物にしてminneで販売したりもしました。過去作ったジュエリーの在庫を整理して、 Creemaで販売したりもしました。それでも満たされない暇さと虚しさが付きまといました。

子供服を作ってブランド化できないか?とタグまで作って販売していました。

このままでは社会から取り残される。
営業も中途半端。
ジュエリーも中途半端。
バイヤーとしてもマネージメントも中途半端。
とにかく何も極めないまま34歳の子持ちの女になった
どうにかしないと・・・

未来への不安を抱えていたのですが、もちろん辛い悲しいだけではなく、娘との初めての暮らしも楽しんでいました。娘はとにかく可愛かったし、よく寝てくれました。その喜びと同時に、なんとも言えない不安がありました。

娘の髪はなかなか生えて来ずに、このまま髪の毛が生えて来なかったらどうしよう…と心配しました。6歳の今は、すっかりロングヘアです。

会社に戻っても居場所がなさそうだったから、店舗のスタッフに忘れられないように、長女をベビーカーに乗せて店舗に行って、無給で試食販売を4時間ほどしたことも何度かあります。

長女を抱っこ紐でおんぶして、エプロンつけて、試食販売を店舗でやりました。試食販売に店舗にたっても、1歳ぐらいの娘がぐずりはじめます。泣き出すこともあります。当たり前ですね。4時間もおとなしく寝てるわけがないんです。そうなると試食販売をやってる場合じゃないので、いそいそと帰ることになります。

なんのために行ったんだろう…結局何の役にも立たなかった…みんなは忙しい中でセッティングしてもらったのに申し訳ない…

そう思いながら家に帰り、娘を抱きしめながら途方に暮れたことも何度も…

あぁ、このまま私、終わるのかな…と。
忘れない光景があって、日がさす窓辺で、ゴロゴロする娘を眺めながら、ぼーっと虚しく泣いてた自分の姿です。

虚しい、不安、寂しい、孤独。この気持ちを誰かに静かに聴いてほしかった

誰でもいいから私の話を聞いて!わたしのこの気持ちを誰か聞いて!

大した不安ではないかもしれません。深刻な悩みではありません。勝手に自分で作り出した不安です。でも、誰かに吐き出したかった。うんうん!って黙って聞いてほしい!!!
そう思って、LINEを探すも適当な友人が見当たりません。

あぁ、この人は最近彼氏と別れたっていってたな。
この人はいま2人目妊娠してて忙しいだろうな…
この人は仕事大変そうだな、今は迷惑かな…

子供もいる、一応育休中とはいえ、一応仕事はある。夫もいて家もある。それなのに不安だとか言って、聞く人によっては腹立たしい話かもしれないし、そんなの知らん!ってことかもしれない。

母親に言ったら不要な心配をさせるかもしれない。
夫は、そもそもあなたに対して言いたいこともあるんだよ!ということもあるのであんまり言えないし、仕事で大変そうだし言いにくい。
保健師さんかな?と思ったけれど、いろんなアドバイスは求めてなくて、あれこれ聞かれてもめんどくさい。

そう思うと、わたしには誰にも話す相手がいませんでした。友達がいる、って思ってたけど、こんなセンシティブ話を話せる相手がいなかったんです。

初めて体験したタイプの虚しさでした。

わたしには本当の気持ちをただ黙って受け止めてくれる相手がいないんだ。余計なアドバイスもいらないし、心配もされなくない。ただ静かに聴いてほしいだけなのに、そんな相手がいないのか。

結構ショックな気づきでした。

人の話を聴くのは疲れる。ゴミ箱になるにしてももう少し聴き方はないのか?

そういう悲しい日もあれば、店舗の後輩や他店舗の友人が私の家に遊びに来てくれる日もありました。アクセスがいい場所にあったのと、わたしが社内の人間ではあるけど、育休中なので、他の人にペラペラ秘密を話すことがない、いわゆる守秘義務を守る存在だったのでしょう。

我が家に来ては3時間ほど喋って帰っていきます。
仕事の愚痴、未来への不安、彼氏との愚痴。こんなことしたいんだけど無理だよね…という話。ふんふんとたくさん聴きました。"職場の今"を聞けるのは嬉しかったし、友達の役に立ちたいと思ったから真剣に聴いきました。良かれと思ってアドバイスもしました。

相談されてるから役に立たないと!と親身に聴いて、持てる知恵を出します。すると、相手はとてもスッキリして帰っていきます。

ありがとう!なんかもう少し頑張れそう!
なんかやる気になった!ありがとう!

そうと言って帰っていく様子を見るのは、役に立てて嬉しいことでした。
だけど同時に、闇や沼や泥を被さったように疲れます。まるでゴミ箱になってゴミを捨ててもらうような感覚です。ゴミ箱は必要だと思うのですが、そうなってばかりだとさすがにぐったりします。

ぐったりしたことを夫に聞いてもらって少し楽になるのだけど、体には妙な疲れが残りました。でも役に立ったことの方が嬉しく、また遊びに来てくれると大喜び。数ヶ月前と大きくは変わらない話を持って、3ヶ月後に友人が遊びに来てくれました。嬉しい!楽しい!でもなぜかとても疲れる。このループを繰り返していました。

CTIの基礎コースというワークショップに何故か行ってみることになった

産休にはいり、会社を休んで約2年の2019年の1月。
4月からいよいよ職場復帰というとき。あと数ヶ月で社会に戻るというタイミング。

相変わらず誰にも虚しさや不安を話せず、話を聴いてはひどく疲れる…を繰り返し、そんな話を何気なく夫にしたら、

前から勧めてるけど、CTIというところでコーチングを学んでみたら?個人コーチングなんだけど、かよ、好きだと思うよ。それに僕が関わっている世界をちょっと知ってほしいから、基礎コースの費用を出すから行ってみてよ。

この誘いは、おそらく6回目ぐらい。そもそも夫は、5年ほど前にシステムコーチング(組織・チームの関係性を向上して成果につなげるコーチング手法)を学びORSCCという名前の資格を持っていました。以前から、組織開発や人材開発に関する似たような名前の本が家に届き、「同じような本だから1冊あればいいよね!」とメルカリで売ろうとする私を夫は必死にやめてくれ!と言っていました。

また断ろうかと思ったのですが、6回目のお誘いで、ふと妙に興味が湧いたんです。あのときに、何故興味を持ったのか、今でも謎です。

ここ行ったら、わたしもうちょっと楽に話聴けるかな?
わたしの話、誰か聴いてくれるのかな?

もしかしたら、何か意味があるかもしれない。もう直感というか、第六感というか、妙にはっきりそう思ったことを覚えています。とはいえ3日で13万円です。全く安くない価格です。いわゆる自己啓発系の自己投資をしたことありませんでした。即答できずにいたら、夫の膨大な本棚から「コーチングバイブル」を出してきました。

「とりあえずこの本最後まで読んで、面白いと思ったら行ってみたら?」

今でもパラパラ読み直しますが、さすがバイブルというだけあって、読み応えがある本です。

そこで初めてコーチングバイブルという分厚い本の存在を知り、それならまあ…と読んでみることにした。

こたつの上で勉強していたら、長女がやってきました。私より真面目ですね。

小説は好きですが、文字ばかりの本は苦手で、コーチングバイブルは読み始めると面白い気はするけど、数ページで眠くなる…全然先に進まない… 書いてあることも難しいし、イマイチ意味がわかりませんでした。

でもなんとなく惹かれるものがあって2ヶ月ほど頑張って向き合ってみました。

結局、たったの100ページぐらいしか読めなかったのですが、ある夜、夫にかしこまって相談しました。

「あの本、全然読めなかったんだけど、なんとなく面白そうな感じはしたから、前すすめてくれたCTIの基礎コース行ってもいい?」

もちろんどうぞ、と勧められて、社会復帰も兼ねて2019年の3月に初めてCTIというコーチングスクールの一番最初の「基礎コース」に行ったのでした。

基礎コース中は、とても居心地が悪く、何故こんな場違いな場所に来てしまったのだ…偉い人ばっかりじゃないか!と縮こまっていた私に、「ぐっち、いいよ!あなたコーチに向いているよ!」と声をかけてくれたのは、池田佐佳子さんで、4年後のいま、一緒にROOTSというプログラムを企画している仲間であるさよさんです。

ROOTSという連続講座をさよさんと一緒に司会進行しました。(2023年12月)

そんな運命もまた面白い。

あの日、なんとなく面白そうだから行ってみよう…と足を踏み入れたところから、私の人生は変わり始めました。

初めての基礎コースから4年。想像していない自分を知ることになる、とんでもない旅の始まりでした。

今も不安がないわけではないけど、相談できる相手と在りたい未来が見つかって日々が楽しい

CTIでコーチングを学んだから、未来への不安がなくなり、凸凹なキャリアが真っ直ぐに変わったわけでは、決して、ないです。

でもひとりぼっちで、誰も私の話を聴いてくれないという孤独感は今は無くなりました。ここを辞めたらもう他に行くところなんてないという不安は、今はありません。

こういう経験をしているので、私はどんな人もちょっとしたきっかけで人生は変わると信じています。そして不安と虚しさは、なにかちょっとの行動でいくらでも乗り越えられると何故か無条件に信じています。

安心して自分の話ができる相手や、アドバイスや助言なく、ただただ話を聴いてくれて、最後まで聴き切ってくれる相手がいると、自分で決意したり選択できるんだと。これは私の信念といえるでしょう。

そして、誰かの言葉で、心のむくままに信じて進み続けると、信じられない出会いがあったり、「あなた素敵ね!」と応援してくれる人が現れて、こんな経験できるんだ!と、数年前の自分が聞いたら驚く体験ができることも、この6年で経験しました。

今、もしこれを読んでくださった方が、未来に対して不安を持っていたり、こんな私に価値があるのか?と思っているならば、大きな声で言いたいことがあります。

だいじょうぶ。あなたにしかない価値があり、未来はたった1°の変化で大きく変わる。1ヶ月後には変わらなくても、1年、3年、6年と時間がたてば、振り返ると全然違う場所に来れる。

今では聴き方を学び、何時間でも疲れずに話を聴けるようになりました。

夫が何度も勧めた13万円の学びを5回断り、6回目にようやく、ちょっと勇気となんか面白そうという直感で出して進んだ一歩で、40歳の私は全く違い世界にやってきました。

もし何か心が動く誘いがあれば、乗っかってみるといいかもしれません。たった1°の今の変化は、6年後のあなたを全然違う場所に連れてくるでしょう。

#CoActiveアドベントカレンダー 参加企画で、私がCTIに出会うまでのお話を書きました。


追記:読んでくれたみなさん、メッセージをありがとうございます。みなさんと出会えたおかげで、ひとりぼっちじゃなくなりました。ありがとう!


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坂口佳世|ぐっち
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