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2年で100人が参加したプログラムにロマンを感じて続けている理由を考察してみた

創作活動を通じてフロー状態に入る体験や、没頭する場として「彫金ワークショップ」というプログラムを2022年から提供している。毎回、みなさんが「没頭する顔」が愛おしくて、続けてきたらもうすぐ20回目となり、気がつくと100人以上の方が参加している。わたしは100点以上の作品に仕上げ作業を施して発送したことになる。

どの作品たちも本当にユニークで愛おしてくて、作品のみなさんの写真を嬉々として撮っている。指輪に仕上げたり、キーホルダーのチェーンをつける私はそれはそれは緩みっぱなしのニヤケ顔だ。

100個以上の作品たちをそれはそれは丁寧に丁重に仕上げているのだけど、回数を重ねるごとに「彫金ワークショップ」が、"ものづくり体験以上のなにか"が秘めている気がしている。もともとは作り手の職人を目指した私が、まったく飽きもせず、人が作った作品をなぜこうも愛おしく仕上げをして、発送できるのか… なぜこんなに続けられているのか。100人を記念に、立ち止まって参加者さんの感想を読んでみると、こうやってコツコツと続けている理由がわかった。私はこのワークショップにロマンを感じているのだ。

「ロマン」という言葉で終えたい気もするが、あまりにも伝わらないので、どんなところに、ロマンと呼びたいような物語性・情緒を感じているのか・
いままでの参加者さんの感想を入口に、「ロマンの正体」を私なりの視点で紡いでみたい。


ロマンを感じると言い放つ「彫金ワークショップ」とはなんだ?

ロマン云々の前に、そもそも「彫金ワークショップ」ってなによ?を書いてみたい。まず、彫金という言葉。彫刻の彫に、金属の金とかいて、「ちょうきん」とよむ。ジュエリー制作の技法の総称だとおもってもらえるといい。

「彫金ワークショップ」をざっくりいうと、コーチングをベースとした対話と彫金技法を使って、シルバーや真鍮でオリジナルの作品を作る4時間〜5時間程度プログラムだ。

こんな作品が完成する

そもそも始めたきっかけは、わたしがシルバーやK18YGで指輪とかを作っていた15年くらい前まで遡る。ジュエリーブランドで軌道に乗ることは33歳ぐらい諦めたけど、時間を忘れて制作に没頭することがとにかく好きで楽しかったから、みんなに「没頭体験」を味わってほしい!という「好きのお裾分け」のようにはじめたものだ。

こんなのつくってました

夢中になって、没頭して、気づいたら時間が溶けている体験を、友人に味わってほしくて、「彫金たのしいよ、やってみない?」と始めてみると、徐々に友人を超えて遠くの方まで届いてきて、私と同じように「これ面白い!没頭するって気持ちいいね」という感想が続々と集まってきた。自分の好きを誰かも好きっていってくれるってとても嬉しいことだ。

100人を超えた時点で、今まで参加してくださった方の声を改めて読んでみるとこんな声があった。

今後の人生において、どうありたいか?を体現しているモチーフ/見ることでその時の想いや気持ちを思い出せるお守りのようなものができた。

忙しい毎日の中、立ち止まって自分の感覚に集中できる時間でした。

数時間の中に自分の価値観の確認やそれを形に落とし込んで、実際のものとして作り上げるという要素がぎゅっと凝縮されていて、とても濃く充実した時間だった。

大事にしたい感覚を取り出して思い出すキーアイテムのような役割を担ってくれると思います。

これらをじーっと見つめていると、4つのロマンが彫りだされた。

無心で集中する没頭体験

自分のことを知りそれを無心で彫金というものにアウトプットする稀有な体験。(20代男性/プロジェクトマネージャー)

無心でアウトプットする稀有な体験と称してくださった方がいる。無心、集中、没頭することだ。

周りの声が聞こえないほど没頭することを、「フロー状態」と心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱した。没頭や熱中など、「自我を忘れて物事に取り組む状態」を指す。

フローに入ると、自分のことも他のことが気にならなくなって、時空が歪んだように時間を忘れて、目の前の作業にのめり込む感覚になるのだけど、彫金ワークショップでも、同じように自然に集中し、夢中に、無心になる。

今読んでくれているあなた、平日は、Slackやteamsの返信でPCを凝視したり、Googleカレンダーに次の予定を指示されていないだろうか?思考は明日と明後日にあって、昨日と一昨日のことで気持ちがいっぱいという感覚はないだろうか?

彫金ワークショップでは、黙々と削る・磨く、こする。ひたすらこの単純な作業を繰り返しながら、形を作るのだけど、これがいわゆるマインドフルネスな状態というやつだ。

見てこの顔!時間を忘れて削る作業に没頭する。これぞ快感

どのアンケート見ても「手元に没頭する」という体験が面白かったとあるので、この没頭体験をお届けすることは新感覚なのではないだろうか。

大人が日常を離れて、目の前に没頭してマインドフルネスになる。そんな様子を見ながら、ニヤニヤして写真を撮っている。この状況にわたしは胸が熱くなっている。

アーティストとして未来に残る作品を作る創作活動

とんがった自分とふんわりした自分、どんな自分も自分なんだって手に取りながら思い出すようなものができた。描いたものを作りだすと、未来の自分に贈り物をしているようで、この時間もいいなぁと思いました。
(30代女性/介護士)

プログラムの始まりに、「みなさん今日は「アーティスト」です」って伝えると、みなさん嬉しそうに、恥ずかしそうに、戸惑いながら聞いてくれる。

自分の手を動かして何かを作るって、大人になればなるほど減っていく。よっぽど趣味としてもっていないと、自分の手で作るなんてしなくなる。

アクセサリーはもう、買った方が早いし安い。そんな時代にわざわざ自分で作るのだから、それはもう「アーティスト」だ。名乗ったもん勝ちともいえるけど、名乗ってしまうと色々はじまる。

この時間に作るものは、世界に一つだけのもので、シルバー925とか真鍮という丈夫な金属に変わる。あと千年ぐらい朽ち果てることなければ形が残る。日本で最古の真鍮製の装飾は、奈良の正倉院に飛鳥時代や奈良時代の真鍮製品が収蔵されている。

そう考えると、作った作品が、子どもや孫に受け継がれていく可能性だってあるし、未来人が発掘して美術館に飾るかも…それをみた千年後の未来人があなたの創造力に何かを感じるかもしれない…「彫金」という金属作品は、アーティストとしての創作活動なのだ。

こうやって妄想すると楽しくなってしまう。現実主義の日々に、一瞬のロマンを振りかけるようなインパクトなのだ。

目まぐるしい毎日から離れて自分に向き合う時間

自分のキャリアや仕事のことは、よく話してきたけど、制作するテーマを対話したとき、「自分と家族」思い浮かんだことが自分にとっても驚きだった。いまでもインタビューされたときの、あの体感覚が残っていて、対話と制作が自分の真の願いに近づいていくような気がしました。
(30代女性/ブライダルコーディネーター)

大人の毎日はとても早い。仕事に追われ、家事に追われ、気がついたら夜になっているなんてことはないだろうか。日常から離れて、いつも会わない人と会って、自分の大切な話を誰かに聞いてもらうといろんな発見があるものだ。初対面の人に話なんてできないよ、と思う方もいるだろうが、

いつもの環境を離れ、非日常の空間で新しい対話や創作を体験する。初めて触る道具や材料を使うことで、普段とは違う視点や気づきを得られ、考えの幅が広がることは、経験がある方も多いとおもう。

ハッとする感覚だ。そんな目から鱗が落ちるアハ体験。ものづくりをしながら起きるかもしれない。

日常生活では交わることのない2人が創作のための対話を通して交わっていく

目まぐるしく駆け抜ける時間の中で、矢印を自分に向けてものおもいに耽るkとなんてない。でもそんな時間こそ、「あぁ今日生きているな、幸せだな」って感じるものだ。むしろ、そうやって感じる暇もないほど走り抜ける日々なんて、なんて虚しいんだ、とさえいいたい。

それほど「自分の内側に矢印をむける」というのは、本質的な喜びであり、令和を生きる私たちが忘れてしまっていることだと思う。

決意やビジョンのリマインド・アンカリング効果

人生の変革期にいる自覚があり、この状態が形に残るものになった感覚がある。魂に刻まれたようだ。

(50代女性/コーチ)

話しているうちに、気づきや決意が起こっても、瞬間的な強い感情のひらめくきは、日常に忙殺されるうちに次第に薄れて忘れてしまう。重要だと感じたものでも、時間が経つとその感覚は色褪せ、見失ってしまう。

だからこそ、その決意を込めた形を自分で作ると、それを見るたびに思い出して確認することになって、目標に向けた行動が続けられるようになる。

「Be Water」と自分で書いたくじらのキーホルダーが家の鍵についていたら、家を出るたびに、あの日の気づきや決意を思い出す。あぁそうだった、大事なことは「Be waterだ」と。

こんな効果をNLPでは「アンカリング」と読んだりするけど、目に映っていたもの・音・匂いなど、細部まで具体的に思い浮かべられる記憶にすることで、いつでも思い出せる、引き出せるということ。周りの空気の温度や、聞こえていた音、匂い、他の人との会話もセットになって記憶に残りやすい。

だからきっと「魂に刻まれる」と表現してくださったのだろう。

非日常体験をしながら自分で作る願いを叶えるツールとなる

フランスのショーヴェ洞窟には、3万年以上前に描かれた動物の絵や手形がある。当時の人々は、純粋に表現する喜びを楽しんでいたのかもしれない。私たち人間には、技術や美しさにとらわれず、直感と感覚で何かを創り出す喜びが本能的にあるのではないか?と思うのだ。人間が自分の手で作品を作ることに、本能的な喜びを感じてしまう。

こんなことを思ってロマンチックだと思って、つづけている。

お手本や指導もなく、直感を頼りに、曖昧な線を信じて作る。工具を手に取り、自分の感覚だけで世界に一つだけの作品を「アーティスト」として作るって、ロマンチックだと思っている。私が飽きもせず続けていられるのは、このロマンを多くの人に体感してほしいからなんだと思う。

最後まで読んでくれてありがとうございます。なぜこんなに飽きずに開催し続けられるのか、今までの参加者さんの声から理由が語れた気がする。

これからもロマンを追いかけて続けられそうだ。

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次回の彫金ワークショップのご案内


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坂口佳世|ぐっち
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