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最後の運動会
ドンドンドンドン ドンドンドンドン
太鼓の音と共に、はっぴ姿の子供達が入場してきた。
次男は私のすぐ近く、斜め右にスタンバイ。
チラっと目が合って、心の中で「頑張れー!!」と叫びながら笑顔を送った。
ソーラン節の曲が始まり、踊り始めると私は次男を目で追いエールを送る事に必死だった。
そう、何も感じる暇がなかった。
遂に最後の運動会
先日、次男の運動会があった。
長男が1歳の時に初参加してから、休む事なく毎回参加している。
でも、今年でいよいよ最後である。
コロナ以前は、「卒園生の徒競走」みたいなコーナーもあったけどすっかりなくなってしまった。
今年もプログラムの最後は
年中 → パラバルーン
年長 → ソーラン節
という流れだった。
去年も感動したパラバルーンを見ながら、来年は見られない事がとても寂しく感じられた。
長男のクラスメイトだったお子さんの弟や妹が頑張っていた。
あの子達も、来年・再来年にはソーラン節を踊るかと思うと他人事ながら胸がいっぱいになった。
自分の子供が出てこないパラバルーンを見ながら、アレコレ考えているうちに「もうすぐソーラン節だ」「これで最後なんだ」という思いがこみ上げてきてやっぱり泣けた(笑)
忙しい
にもかかわらず。
ソーラン節が始まると、何も感じる暇がなかった。
視線は次男を追いかけ、目が合えばエールを送る。
三脚に乗せたスマホが、きちんと次男を撮影できているかチェックする。
去年のパラバルーンは没入できたのに、今年は何故か没入できない。
結局、没入どころかクラス全体を見たり、踊りが上手な子探し(笑)をする暇もなく終ってしまった。
これは「目が合うから」かもしれない。
「次男から見えている」と思うと、余計な事を考える暇がなくなる。
長男が1歳の頃からずっと「年長になってソーラン節を見たら泣いちゃう」と言い続けてきたのに。
去年も「来年こそは泣くだろうな」と思っていたのに。
全然、泣いてる暇がなかった。
二度と会えないかもしれない
去年と同様に、今年も在園時の兄弟として卒園児が沢山来ていた。
長男も保育園時代に同じクラスで毎日一緒に過ごした子達と再開を果たし、観覧そっちのけで遊んでいた。
そして、懐かしい先生も沢山見に来ていた。
異動した先生、退職した先生、育休中でしばらくお見かけしていなかった先生。
こういう「現役ではない先生」に会える場所も、運動会しかない。
もしかしたら一生会えないかもしれないなぁ…
そう思うと、何だか切なかった。
話したい事、当時助けられた事。
色々あった気がするけど、急な再会で何も思いつかなかった。
長男・次男を通して8年間、毎日送迎していた保育園。
親、兄弟、先生と顔を合わせ続けた場所。
全員が集合する行事は、これが最後。
まだまだこの先、保育園時代を終えても小学校6年、中学校3年…と続いていくけれど。
きっと、親にとって「最も思い入れのある場所」は保育園になるだろう。
<あとがき>
パラバルーンとソーラン節以外の競技は、毎年色々変わりますが考えるの大変ですよね。
毎年「玉入れ」「かけっこ」「綱引き」とかでも全然良いのに、先生達の企画力は凄いなぁ…と感心してしまいます。
特に小道具作ったり、曲を選んだり、そういう仕事も大変ですよね。
今日もありがとうございました。
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