自分サイズの旅の形
自由気ままにどこへでも行ける人になりたかった。
中学生の頃、大型バイクに乗って一人で日本各地を巡っている女性の本を読んだ。
バイクに跨っている姿が様になっていて、すごくかっこよくて憧れたし、高校生になったらバイクの免許を取るんだ!と意気込んでいた。けれど、高校生になってみたら教習所に通う度胸はなく、なんやかんや理由をつけて、結局二輪の免許は取らないまま現在まで至ってしまった。
憧れは憧れのまま終わった。
同じ頃、奥様と子供二人の一家四人で世界各国を旅しているという方の本も読んだ。世界各地を旅しながら暮らすことの自由度と壮大さに憧れた。その大胆な行動力はどうやったら得られるのか、旅を共にする奥様の度胸も素晴らしいと思った。
訪れる先々で変わる様々な習慣に馴染ませながら生きている。適応能力が凄すぎる。
旅の本を読むたびに思うことは、ほぼ際限なく自由に水を使える国に生まれ生きていられることを恵まれていると感じ、この環境から抜け出すことは私にはできないということ。水がない生活は過酷だと思ってしまう。
そんなわけで、バイクで日本一周や世界横断、世界一周などの旅は断念。
そして、安定した収入がない生活への恐怖に打ち勝つこともできず、社会の歯車として働いている身に「自由気まま」はない。
「自由気ままにどこへでも行ける人」にはなれていない。
けれど、どこかへ行くことは好きだ。
長年好きなアーティストのライブツアーで全国各地へ遠征している。
ライブの他に、時間があれば観光地を巡ったり、ご当地の美味しいものを食べたりもする。ライブツアーがあるお陰で様々な都府県へ訪れられたと思う。(残念ながら北海道へはまだ行ったことがないため「道」は省かれてしまった。)
最近、「47都道府県行ってみた」系の書籍や記事がよく目に付く。これは世間的にブームだからなのか、それとも私がそれに惹かれているからなのか、あるいはどちらもかもしれないけれど。
「47都道府県、全部行ってみたい……」そんな思いの種は、ずいぶん前から芽生えていた気がする。現実的に無理だと諦めが先立ってしまっていたけれど、無理だと決め込んでしまうのは勿体無いのだと、最近思うようになった。八十歳、九十歳まで生きるつもりで考えれば、きっと実現可能だ。
「自由気ままにどこへでも」は難しくても、自分に合った旅をすればいい。
そう思えるようになってきた。
旅の定番だけれど、御朱印帳巡りもいいテーマだと思う。
神様や仏様を並行して拝んでいいと許されている国なのだから、全国各地の神社仏閣を巡り、様々な神様仏様の気に触れられる贅沢を味わいたい。
これはとある本で読んだことだけれど、自分に合った神様は「わかる」ものらしい。巡るうちに、そこを見つけられたらいいなと思う。
あとは各地の独立書店を巡る旅も楽しそうだと思うし、パフェ部と称して個性豊かな芸術的パフェを提供するお店を巡っているが、その活動を全国展開するのもいい。図書館や博物館、科学館などを集中的に巡る旅もいい。
刀剣乱舞が好きということもあり、訪れた場所で刀剣の展示があれば、鑑賞をスケジュールに組み込むようにしている。見る目を養うことは難しいけれど、この刀がここに至るまでの経緯に想い馳せてみることから初めている。
名古屋の熱田神宮には大太刀の『太郎太刀』と『次郎太刀』が展示されていた。
このサイズの大太刀を振る人間が存在していたことも驚愕だけれど、このサイズの大太刀を振るわれたら一溜まりもなく、一振りで数名の命が奪われたことだろう。当時の武士の気持ちを想像し、恐ろしさに身が震えた。
人の血を浴び、人の命を奪い/守り、人の志と共に存在し続けて、今ここに在る。刀を観ると人が紡いできた歴史と事実に心が震える。
こんな風にテーマを決めて旅をするのも楽しそうだと思う。
それと、あともう一つ、やってみたい旅がある。
「東京駅から往復一万円の旅」だ。
往復一万円で行ける範囲の東西南北様々な地へ赴いてみたい。
一万円だとどこまで行けるだろう、と調べてみると、もう実践している先駆者がいらっしゃった。少し検索しただけで、いくつかの記事がヒットした。
「こんな方法でこの駅まで行ける」と具体的な解説付きだ。
それはありがたく参考にさせてもらいつつ、やっぱり自分でも調べて行き先は決めてみたい。
旅にもいろんな形がある。
自分サイズの旅の形を探すのも、旅の醍醐味かもしれない。
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