ぼーっと、気ままに、ぼんやりとして旅に出たい。 #日々短文随筆
最後に遠出したのはいつだったっけ、と思いながら、写真アプリに保存された写真や動画を見返す。
そんなことを最近繰り返している気がする。
***
元来写真を撮ることが好きだった私は、幼少期から、家族と出掛けた際に父親が持つ一眼カメラを借り、写真を撮るということをしていた。
中学校入学と同時に、今まで貯め込んでいたお年玉を使い、自分専用のコンパクトデジタルカメラを購入した。
「自分専用」というラベルがついたモノを持つことに非常にワクワクしたことを今でも覚えている。
高校生にもなると、友達と遠出する、ということに対する気持ちのハードルも下がり、休日などはよく出掛けたものだ。
大学生になり、学業の傍らアルバイトを始めた。目的は生活費等を稼ぐ、ということであったが、その一部を貯金することにしていた。一眼レフカメラを購入するためであった。
そして念願の一眼レフを手に入れて以降、さらに写真の世界に夢中になった。写真・画像の延長として、動画の世界にも夢中になった(現在進行中)。
***
最後に「遠出」したのは、去年の夏の頃である。なんとなく、「ひとり旅」というのをしたくなった。経験したことのないことを、大学生のうちに色々と経験したかった。
そんな思いから、青春18切符を握りしめ、出発した。
まず、半年ぶりに祖父母の家を訪れた。一人だけで訪れるというのは初めてであった。特に明確な目的はなかったが、祖父母はいつ来ても温かく迎えてくれる。いつでも自分を応援してくれる。そんな存在に、ただただ感謝の思いでいっぱいになった。
ここ数年、祖父は体調を崩し、入退院を繰り返すようになった。入院しては心配になり、退院しては安堵し、もう体調を崩して欲しくないと願う。最近は某ウイルスのせいで直接会いに行くことは難しい。移動が本当に緩和された時には、また会いに行きたいと思っている。
*
祖父母の家をあとにしてから、本当の一人旅が始まった。
ひたすら電車を乗り換え、ぼーっと、気ままに、ぼんやりとして九州へ向かった。日常の喧騒から逃れた、非日常のど真ん中。移りゆく車窓から望む景色を眺め、時にシャッターをきる。
今まで訪れたことはなかった地であっても、どこか懐かしく思った。
目的地は九州であったが、具体的には何も決めていなかった。とりあえず、九州へ行く、という朧げな計画だけで十分な旅であった。
*
約1日をかけて下関についに到着した。新幹線等を利用すればすぐに到着できたところを、風景を楽しみながら時間をかけて移動した。決して時間の無駄ということはなく、達成感がこみ上げた。とても有意義であったと思った。
九州に到着してからは、風景を探しに、移動する。
宿泊費を押さえたかったので、漫画喫茶、ネットカフェで基本は宿泊をする。しかし、温泉が有名な場所ではせっかくなので旅館で宿泊したり、または日帰りで温泉を堪能した。
観光地を巡ったり、博物館や美術館、水族館に行ったり、自分がしたいことをする。
電車に乗り、ひたすら風景を求め、歩く。一歩ごとに時の経過を踏み締める。
空間と、時間を、緩やかに気の赴くままに移動する。
*
こうして、初めてのひとり旅を終えた。
自分がしたいことをする事ができる。こんなにも素晴らしいことはない。こんなことをする事ができるのはいつまでなのか。そもそも、自分がしたい事、とは何なのか。
この旅では、そんなことを考える事ができたと思っている。
***
ところで、ぼーっとすることは、脳にとって大事らしい。
何でも、近年の脳科学研究において、何もしないでただボーッとしている時の脳は、通烏城の活動時の約15倍以上のエネルギーを消費しているという事だ。
このぼーっとしている時、脳内では様々な領域が活動し、互いに同期している。これは「デフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれ、脳内の複数の領域で構成されるネットワークの中でも、最も大きなものの1つらしい。
ぼーっとすることは、「使われ続ける頭をリフレッシュさせる役割」と、「自分自身と向き合い内省思考を充実させる役割」、この2つがあると言われている。
確かに、ぼーっとすることで、知らず知らずのうちに頭の中に溜まっているストレスを解放し、デトックスさせることができる気がしている。
自分と向き合う時間はとても大事である。自分と向き合う、というのは人生において継続的に必要なものである。
*
ぼーっと、気ままに、ぼんやりと。
そうして過ごす事が、最近めっきりなくなってしまった。
頭をリフレッシュさせてストレスを解放するのが目的ならば、10〜20分くらいあれば十分らしいので、ぼーっと散歩をしたりする時間を意識的に日常に取り入れるなどしようかなと思う。
***
最後に遠出したのはいつだったっけ、と思いながら、写真アプリに保存された写真や動画を見返す。
それは去年の夏、色々なところに出掛けたな、と思い出す。
そんなことを最近繰り返している気がする。