【心の詩歌】現実逃避としての読書
読むべき本が溜まりだしたのはいつごろからでしょう。
大学生が学問の本を溜めるのは仕方がない。学べば学ぶほど次に読むべき本が増えるし、そんなに学んでばかりはいられません。
私は最近、詩歌や小説という分野の本でさえ、読むべき本が増えてしまいました。
詩歌や小説に「読むべき本」なんてあるんでしょうか。
なにか間違っているような気がします。
かつては面白い本だけをワクワクしながら読んでいた……という言い方は、これもまた違う気がします。
子供の頃、サッカーボールは巨大で、上級生は巨大で、大人はもっと巨大で、プリントを親に渡さないでいて叱られ、世界は恐ろしかった。
それで、何かしら本があれば本を読み、そのあいだ恐怖を忘れようとしていました。
楽しい本だけを選ぶということはあまりなかった気がします。手近にある本を読みました。
どんな本でも物語でも、何らかの知識が書いてありますから、読書は私に知識を与えました。
割とバラバラに、非体系的に、偏見も含めて学び取りました。
あの本は素晴らしい、あの本は読むべき本だ。いまそういう本が溜まってしまう私より、つらさを忘れたくて面白かろうが普通だろうがダラダラ読んでいた私のほうが……「適当」だった気がしています。
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