消えゆく音、終わらない音楽――『Ryuichi Sakamoto | Opus』の公開に寄せて③
楽曲解説
引き続き、楽曲の成り立ちについて考察していこう。
Lack of Love
BB
Andata
Solitude
for Johann
Aubade 2020
Ichimei - small happiness
Mizu no Naka no Bagatelle
Bibo no Aozora
Aqua
Tong Poo
The Wuthering Heights
20220302 - sarabande
The Sheltering Sky
20180219(w / prepared piano)
The Last Emperor
Trioon
Happy End
Merry Christmas, Mr. Lawrence
Opus - ending
「Aqua」
ピアノソロアルバム『BTTB』(1999)からの一曲。
坂本がそう語るように、オリジナルは娘の坂本美雨のために書かれた楽曲であり、ファーストアルバム『DAWN PINK』(1999年)の先行シングル『in aquascape』(1999年)として発表されている。
この曲はコンサートのエンディングに演奏される機会が多かったが、この映画では中盤に登場することで、普段とは異なった特別なメッセージを帯びている。
この演奏には、娘の美雨に対する特別な想いが込められているのだ。空間が静かな優しさに包まれていく――
「Tong Poo」
YMOのデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年)より。
坂本のコメントにもあるように、「Tong Poo」は北京交響楽団とクラフトワークをイメージして作曲されている。
細野晴臣も、北京交響楽団とクラフトワークは、YMO結成時の重要なコンセプトであると次のようにコメントしている。
YMOを体現した楽曲とも言える「Tong Poo」を演奏することについて、坂本は次のように言及している。
「Tong Poo」は、この映画ではもっとも古い楽曲となるが、過去を振り返るのと同時に、新たな試みの実践でもあるのだ。
「The Wuthering Heights」
坂本がそう語るように、ピーター・コズミンスキー監督『嵐が丘』(1992年)のメインテーマ「The Wuthering Heights」を、ピアノだけのコンサートで演奏するのは、初めてことである。
『1996』ではピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオ編成では、演奏されているものの、それ以外で取り上げられなかったのは、ピアノの音が減衰するという表現上の制約を意識していたことが原因であるように推測できる。
映画の公開に際し、空監督はこんなコメントを寄せている。
しかし、今やピアノの音が自然のなかへと消えゆく様子を楽しみながら、楽器と戯れる坂本は自由だ。そのような境地に至り、この曲をピアノソロで演奏することにしたのではないだろうか。
響きから静寂へ。そして静寂から響きへ。
坂本がピアノで奏でる音楽は、ときにノイズと一体になりながら、静寂と響きの間を分け隔てなく、そして自由に行き来する——
「20220302 - sarabande」
2021年3月頃より、シンセサイザーとピアノを使って日記のようにレコーディングされた楽曲が、生前最後のアルバム『12』となった。
現代美術家の李禹煥は、本作のためにジャケットのドローイングを制作している。
坂本は芸術運動「もの派」の理論を提唱した李を学生の頃より敬愛しており、このアルバムにも「もの派」の影響が色濃く反映され、音を「もの」として、ありのままに表現する試みが実践されている。
プリティブな音を探求するアプローチは、『async』(2017年)の頃より鮮明になっていく。
坂本がインタビューでこう語るとおり「もの派」への傾倒は、『async』から始まっている。
そして、2019年に開催された李の展覧会への音楽提供というコラボレーションを経て、「もの派」の思想を取り入れた音楽は、ラストアルバムの『12』でついに完成するのである。
坂本が語るように、「もの派」を音楽に取り入れるというコンセプトは、学生時代より構想されているが、それがキャリアの最後で実現したというのは、感慨深いものがある。
『12』では『aync』以上に音響的な表現に重きをおき、抽象度の高い楽曲が多い。しかし映画で演奏された「20220302 - sarabande」だけは、sarabandeという楽曲の様式がタイトルに付けられているように、クラシックの楽曲を想起させる作品に仕上がっている。
この映画だけでも、「Aubade」、「Bagatelle」、「Sarabande」などクラシックの楽曲様式をタイトルに取り入れた曲が3作品もあることから、坂本とクラシック音楽との結びつきの強さを想像することができる。