言語使用の世代差から言語変化の手がかりを掴もう(TruskのLanguage Change)
本日は、3年生のゼミで講読しているTruskのLanguage Changeに関連する話題をお届けします。先日のゼミ(7月10日です…)では、Chapter 5: Change in pronunciationを扱い、発音の変異や変化について議論しました。言語変化への洞察をどのように得るか、という方法論的な問題についても議論が及んだので、本記事では授業中に盛り上がったapparent timeという手法を取り上げたいと思います。
real timeとapparent time
歴史言語学や社会言語学において用いられる言語変化の調査方法には主要なものが二つあります。直観的にわかりやすいのがreal timeというアプローチです。これは、複数の時点を対象にし言語使用を比較するものです。例えば、1900年から2000年の間にどのような変化が起こったかを知りたい場合には、1900年(時点A)と2000年(時点B)を対象にした調査を行い、使用状況を比較します。
具体例として私が過去に行った研究(菊地 2015)の結果を取り上げます。1810年から2019年までの期間のアメリカ英語を収録したコーパスであるCorpus of Historical American English(COHA)によると、譲歩を表す前置詞despite、in spite of、notwithstandingは約200年の間に使用頻度が著しく変化しています。例えば、1810年代(時点A)と2000年代(時点B)を比べてみると、notwithstandingが大幅に頻度を落とした一方で、despiteは使用頻度が大幅に上昇したことが読み取れます。
real timeのアプローチは時間の経過が前提となっており、既に起こった変化を調べる際に本領を発揮しますが、現在生じている変化やこれから生じうる変化について考察する場合には限界があります。これまでの変化の傾向を踏まえて、これからの変化の方向性を推測することは可能ですが、実際に時間が経過して複数時点の比較が可能になるまではreal timeのアプローチは使えません。
このような場合に役立つのが、変異から変化を読み取るapparent timeというアプローチです。これはある一時点における言語使用の世代差に着目し、これからの変化の方向性の手がかりを掴もうとするアプローチです。前提となっているのは、若者は年配者よりも新しい言語形式を用い言語変化を先導する傾向があるという考え方です。若者の言葉によく見られる特徴がこれから言語全体に広まっていくと考えるわけです。
具体例を取り上げ、apparent timeについての理解を深めましょう。みなさんはcontributeという単語を発音する際に、どの音節に強勢を置きますか?CONtributeでしょうか、それともconTRIbuteでしょうか?(私は後者(conTRIbute)派です)Longman Pronunciation Dictionary(第3版)は、以下のようにイギリス英語における全体的な使用状況と年代別の使用状況について興味深いデータを提供しています。
円グラフによると、イギリス英語全体において、conTRIbuteが59%、CONtributeが41%の割合で使われています。全体で見るとマイノリティーであるCONtributeですが、使用率には世代差があるようです。折れ線グラフに注目すると、年配者(Older)の使用率は15%程度である一方、若年層(Younger)の使用率は50%を超えています。このデータから、CONtributeという発音が今後さらに広まっていく可能性を読み取ることができます。
なお、apparent timeのアプローチを通じて予想したことを検証する際には、ある程度の時間が経過した後にreal timeのアプローチによる追跡調査を行うことがあります。言語変化のメカニズムに迫るためには、real timeとapparent timeの両方のアプローチを組み合わせることが肝要です。
日本語の「あとで」を取り巻く問題
次に、私の実体験から日本語に関する例をご紹介します。「あとで」や「後ほど」のような未来を表す表現についてです。私は大学生の時にこれらの表現をかなり広い意味で使っていました。一般的には発話した当日の出来事に限定される表現であることを知らずに、次に会うのは一週間後や一か月後のような場合にも「またあとで」などと言っていたのです。不思議に思った友人に「ん?今日はもう会わないよね?」などと確認されたことが何度もありました。ミスコミュニケーションに繋がりうることを意識し始めて以降は、あまりこのような使い方をしないよう注意しています。大学時代に私がよく使っていたこの用法は一体何を示唆しているのでしょうか?単なる日本語の「誤用」なのでしょうか?
私の大学生時代と重なる2009年に、NHK放送文化研究所がとても興味深いデータを公開しています。「あとでお宅に寄りますね」と言われたときに、「その日のうちに家に来るものと思う」(以下、当日用法)か「その日のうちに家に来るかもしれないし、後日に来るかもしれないものと思う」(以下、後日用法)のどちらの解釈をするかというアンケートの結果です。以下の折れ線グラフは、若ければ若いほど後日用法の回答率が高いという傾向を示しており、後日用法が今後広まっていくことを示唆しているように見えます。当時の私は言語変化の先導者の一人だったのかもしれないと思うとワクワクしてきました。
apparent timeの考え方に従うと、アンケートの実施から15年経った現在、後日用法はさらに普及していてもおかしくありませんが、現在の使用状況はどうなっているのでしょうか。授業中に3年生のゼミ生(14名)を対象に同じアンケートを行ってみたところ、とても興味深い結果が返ってきました。増加が予想された後日用法を選んだ学生は1名のみで、残りの13名が当日用法と回答したのです。スモールサンプルなので確かなことは言えませんが、後日用法は思ったほど広まっていないのかもしれません。
話はここで終わりではありません。後日用法を支持した学生1名と私には共通点があります。それは一体何でしょうか?驚くなかれ、なんと私と同じく茨城県出身!この事実が判明した時、教室は爆笑の渦に包まれました。同時に、「言語変異や変化を考える際には出身地域も考慮に入れないといけない」という貴重な教訓が共有されることになりました。実際、NHK放送文化研究所によると、東関東でこの用法がよく使われているそうです。
その後色々と調べてみると、どうやらやはり地域差が大きく絡んでいるようです。2021年にJタウン研究所がインターネット上で実施した同様のアンケートによると、なんと、少数ではありますが後日用法が優勢な地域が存在するようです。茨城県はやはりそのような地域の一つでした。なお、後日用法の割合は栃木県・群馬県では82.2%、それ以外の都道府県では平均15.8%となっており、驚くほど対称的です。この用法はどこから生じたのか、なぜこのような顕著な地域差が生まれたのか等、次々と疑問が湧いてきます。本格的な調査が待たれます。(既に先行研究があるかもしれませんね。またあとで調べてみます。)
言語変異や変化を考える際には、年齢だけでなく、出身地など様々な社会言語学的要因を考慮に入れる必要があることを再認識することができ、収穫の多い授業回でした。それではまたあとでnoteでお会いしましょう!
参考文献
本記事と関連する話題は以下のhellog記事で扱われています。
#1901. apparent time と real time
#1890. 歳とともに言葉遣いは変わる [本記事では深掘りしていませんが、apparent timeの手法を用いる際には、年齢とともに言葉遣いが変わる(age grading)という可能性に留意する必要があります。私自身は「あとで」の使い方が大学入学以降に変わってしまいました。今でもたまに後日用法を使ってしまいますが…]
#488. 発音の揺れを示す語の一覧
#914. BNC による語彙の世代差の調査
Trudgill, Peter. 2003. A Glossary of Sociolinguistics. Edinburgh: Edinburgh University Press.
菊地翔太. 2015.「現代英語における譲歩を表す前置詞―英語史研究の英語教育への貢献―」『専修人文論集』第97号: 375-391. [PDF]