第23回:「喜び」で自己承認をする
今回は、人の「喜び」の質が上がっていくと、どのような意識の変化が起こるのかということを、マズローの5段階欲求説を使って説明していきたいと思います。
ちなみに、このマズローの5段階欲求説のマズローとはアメリカの心理学者のことです。また、彼が唱えた5段階欲求説は、西洋的な価値判断やイデオロギーにバイアスがかかっているとして非難されていることもあるようですが、もはやこの世界は西洋的なシステムで成り立っているため、東洋で暮らす私たちにも当てはまることであり、普通にわかりやすい説だと思います。
マズローの5段階欲求説
マズローの5段階欲求説は、その構造を図式化して説明することが多いため、下の図はよくネットで見かけるものを私が真似て作ったものです。
この図をもとにマズローの5段階欲求説を説明すると、人の欲求は、「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の5段階に分かれていて、人は下位の欲求を満たしていくごとに上位の欲求へと欲求の質を変えていくということになります。
例えば、人の心理として最初に生きる上での生理的な欲求を満たすと、次に安全性を求めるようになっていきます。また、安全欲求が満たされると社会一員として認められたいという社会的欲求を、その次に他者から認められたいという承認欲求を抱くようになり、最終的には自分の望みを果たしたいという自己実現欲求を抱くようになるというのが、マズローの5段階欲求説です。
このマズローの5段階欲求説の図が3角形になっているのは、それぞれの欲求を満たしている人の割合であり、多くの人は「生理的欲求」や「安全欲求」を満たしているものの、一番上の欲求である「自己実現欲求」を抱ける人は、それほど多くないということを示しています。
とはいえ、この日本においては「自己実現欲求」を抱ける人は他の国に比べると大いのではないかと思います。私たち日本人のほとんどは、「生理的欲求」、「安全欲求」を満たすことができているし、仕事や家庭での役割を持って生活している人がほとんどなので、大多数が「社会的欲求」も満たされているように思います。
しかし、この日本においても、多くの人が自己実現を果たしたいという思いを抱いていたとしても、具体的にそれに向かって動いている人の割合は少なく欲求の段階として「承認欲求」の段階で止まってしまっているということもいえるでしょう。
自分自身を承認しないと「自己実現」はできない
では、なぜ多くの人が「自己実現欲求」を持っているのにもかかわらず、具体的な行動ができずに「承認欲求」の段階で止まっているかというと、マズローの5段階欲求説に従うならば、自分の存在を他者からの承認されていないということがその理由になるといえます。
人は他者から承認されると、その承認によって自分自身を承認できるようになるという傾向があります。例えば、幼い頃から家族から褒められた経験が多い人は、自分自身を承認できるようになっていたりするし、何かしらの結果を残すことで他者に認められ、自分を承認できるようになるといったケースも多かったりします。つまり、他者の承認があってはじめて自分自身を承認できるようになるというのが、人の心理でもあるといえます。
とはいえ、これはあくまでも私の考えですが、承認欲求が承認してもらえる相手がいれば満たされるものであるのなら、何も他者に承認を求めなくても、自分で自分を承認してもいいわけです。そして、自分で自分のことを承認できれば、実現したいという「夢」に向かって自分で「GO」を出せばよかったりします。
というのも「こうなったらいいな」「ああなったらいいな」という思いを持っていたとしても、それに向かって具体的に動けていないのは、自分がそれを達成できるという「承認」が出来ていないからといっていいでしょう。
例えば、一年前の私であったなら、私は自分自身を完全に承認できていない部分があったため、自己実現に向けて「GO」を出すことができなかったと思います。しかし、今であれば自分自身を承認できているので、自己実現に向かって動くことができています。
こういった感じで、自分で自分を承認することができたなら、達成したい目的に向かって人は動けるようになるものです。つまり、多くの人が「自己実現欲求」を持っているのにもかかわらず、「承認欲求」の段階で止まってしまっているのは、「自分自身への承認」が出来ていないからといっていいでしょう。
自己実現はあくまでも自分ですることなので、極論をいうならば、他者の承認は必要ではなく、自分がこの先やっていけるという強い確信さえあればできることです。
そういった意味では、自分の欲求がどの段階にあったとしても、自分自身に承認を与えることができたなら、「自己実現欲求」を満たすために動き出せるといってもいいでしょう。
例えば、「生理的欲求」を満たしている段階であったとしても「自己承認」さえできてしまえば、「自己実現欲求」を満たすために生きることが可能になります。したがって、自分の思いと行動が一致させることができれば、人はいつでも「自己実現」に向けて動けるようになるといってもいいでしょう。
人は段階的に生きる必要はない
先日(10月17日)、私が観たさかなクン原作の映画の「さかなのこ」の主人公であるミー坊は、幼い頃に魚博士になると決めて生きていました。大人になった彼は実際に大学等で博士号を取るわけではありませんが、世間的に魚博士として認められるようになっています。
彼のように、「自己実現」を果たすために「自己承認」をして動き出すのに年齢も実績も関係なかったりします。魚が好きという純粋な気持ちを認め、自分は魚博士になるという承認をするだけで、シンプルに自己実現に向けて動き出すことができるようになります。
私たちは、何かを達成するにはしかるべき段階を踏んでいかなければならないという考えを持っていたりします。しかし、目的を達成するために、必ずしも段階を踏んでいく必要はなかったりします。
例えば、アニメーションの世界で映画監督になるには、美大やアニメーションの学校に通って、アニメーションを製作する会社に勤めて、助手から監督になるというのが段階を踏んでいく生き方だといえるでしょう。しかし、「君の名は」の新海誠監督は、そういった段階を踏まずに、ほとんどひとりでデビュー作の「ほしのこえ」という映画を制作したといわれています。
新海誠監督やさかなクンも、段階を踏んで生きる人生を歩んできたわけではありません。彼らは、おそらく自分の欲求に従って生きているだけで自己実現を果たしたのだと思います。自分のやりたいと思ったことを具現化していくうちに、いつのまにか現在のような形に繋がってたといえるでしょう。
大切なことは環境や状況や順番ではなく、自分が「どうしたいか」「どうなりたいか」を考え、今できることをシンプルにやっていくだけで自己実現を果たしていくことです。そのためには、まず最初に自分が「なりたい自分になること」を承認することから始めなければなりません。
自分を承認するためには、「喜び」が欠かせない
「自己実現」をするには、自分の「承認」が必要であるということを書いてきましたが、この「自己承認」には、自分にとってかけがえのない「喜び」が必要です。なぜかというと「喜び」が「承認」の根拠となるからです。
何かを実現したいという理由には、そこに必ず「喜び」があるはずです。さかなクンも新海監督も、魚やアニメーションに関わることをしていることに多大な「喜び」を感じていたはずです。そういった「喜び」があったからこそ、人生の大部分を好きなことに関わっていたいという思いが生まれ、その思いを具体化した結果が今に現れているように思います。こういったことは野球の大谷選手や将棋の藤井棋士にも当てはまるように思います。
彼らのように、「喜び」にまっすぐに向かっていき、それに向かって一点突破で人生を構築していくことができたら、私たちも「自己実現」を果たすことができ、かけがえのない最高の人生を歩んでいけることになるでしょう。
こういったことができるかどうかを決めるのは常に自分であり、それが自己承認なのです。
といったわけで、今回はマズローの5段階欲求説をきっかけに自分自身を承認することや「喜び」の必要性について書いてきました。次回はマズローの5段階欲求説にはもう一段階上の欲求が存在しているということと「喜び」の関係性について書いていこうと思います。
*こちらの2冊は文中で紹介した映画のノベライズです。文章で一度見た映画を読み直すのも楽しかったりします。
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