第14回:「喜び」が新時代のスタンダード
本日は、「喜び」が新時代のスタンダードということについて書いていきます。
今回のテーマを簡単に説明すると、人は「喜び」を求めて生きるのが真の姿であり、我慢する生き方ではこれから訪れるであろう新しい時代を生き残れないだろうということです。したがって、これからは自分にとっての「喜び」を選んで生きるということが当たり前の時代になっていくことでしょう。
我慢しない生き方
人は「喜び」があるからこそ前向きな人生を歩んでいけるようになるものです。逆に「喜び」がないと、生きている意味を見い出すことができなくなるため、後ろ向きな意識で生きることになってしまいます。
もちろん、これまでも「喜び」が生きる上で欠かせない意識でしたが、ある意味では、「我慢」と「喜び」がワンセットというような側面がありました。
人は「我慢」をすればするほど、ストレスを溜めるようになります。また、「我慢」するということは楽しさを感じられないことであるため、長続きすることありません。
これからは多くの人がこういった「我慢」することのデメリットを理解できるようになっていくため、「喜び」を主体とした時代になっていくと考えられるのです。
人は「喜び」のために生きているということを知っている
人は日常の些細なことから、人生を決定づけるような大きなことまで、「喜び」を動機として生きています。
例えば、空腹を満たすという些細なことも「喜び」の一つだし、仕事を選ぶといった大きな決断をする場面においても「やりがい」という「喜び」を基準にして選択をしています。
つまり、私たちが何かをする動機のすべては「喜び」に繋がっているといえるのです。こういったことから、人は「喜び」を求めて生きる動物であるということが分かります。
しかし、こういった「喜び」を選ばずに、あえて我慢して生きるという生き方を私たちは無意識のうちにしていたりします。人は本来、「喜び」を求めて生きている存在なのに、我慢した先に「喜び」があるという考え方をしてしまったりするのです。
こういった我慢を優先させてしまう癖は、人生の岐路に立ったようなときでも出てしまうことががあります。これは私の経験ですが、転職をしようとするときに、収入面を優先してしまうあまり心では求めていないことを選択してしまったことがありました。
こういった人生を左右する様な決断を、自分の気持ちと裏腹なことを選んでしまった結果、気が付くと何のために生きているかが分からなくなってしまい、また転職をするという羽目になってしまうことがありました。
こういった感じで、我慢することを対価にして何かを得るという生き方をしていては、自分の精神性を活かしながら、自分の人生を築いていくという新しい時代に適応することができなくなってしまいます。
しかし、意図して自分にとっての「喜び」を選んで生きるられるようになると、内面から活力が湧いてくるようになるため、「心に張り」が出てきます。そして、この「心の張り」によって、前向きな気持ちになって目の前の課題に対しても挑戦できるようになっていきます。
最近は、こういった心の仕組みを理解できるようになっている人も増えているため、今後「喜び」を選んで生きる人が増え、それがこの世界のスタンダードになっていくと考えられるのです。
神の世界では「愛」はスタンダード
以前、OSHOの「TAO 永遠の大河」という本を読んでいて、「あの世では愛は当たり前のことだ」というような文章に出会って、なるほどと思ったことがありました。
この人間世界では、私を含めて「愛」という概念を正しく理解できている人はあまり多くないように思います。しかし、OSHOは「あの世」である「神の世界」においては、「愛」を誰もが理解していて、それが「神の世界」での最低条件であるといっていたのです。
私たちの世界では「愛」が最高の条件のようになっていますが、「神の世界」では「愛」は当然の物事です。
もちろん、「神の世界」は、私たちよりも次元の高い世界なので、「愛」を共通の認識にして自他の関係性を築いた上で、各々の活動をしているということは容易に想像できることです。
しかし、私たち人類は、現時点では、神の世界の存在達のように「愛」についての認識を持つことは難しいかもしれません。
「愛」を理解できなくても「喜び」は理解できる
私たちは「愛」を共通の認識として理解することは難しいことかもしれませんが、「喜び」を共通の認識として理解することは可能です。
なぜなら、誰もが「嬉しい」、「楽しい」、「大好き」といった感覚を持っているし、そういった「喜び」が生きていくための動機になっているということは誰もが理解できていることだからです。こういったことから「愛」以上に「喜び」を人々の共通認識としていくことは可能なことといえます。
もし、今以上に自分の「喜び」を追求して生きる人が増えていくようになれば、この社会そのものが変わっていくことでしょう。
人は気が進まないと感じることをしていると意識にトゲが出てしまいますが、それを辞めるとトゲが消えるため優しい気持ちになることができます。また気が進まないことを辞めた後に「嬉しい」「楽しい」と感じることを選んで生きるようになれば、前向きな気持ちになって生きていけるようになります。
こういったことは、きっと誰もが理解できていることです。しかし、理解できているのにもかかわらず何かしらの理由をつけて「喜び」を追求することを諦めてしまうケースが多いように思います。特に現の状況を深く考えてしまった結果、無理だと思ってしまうことが多いのではないでしょうか。
この無理だと思って諦めてしまうという背景には、自分にとっての「喜び」をちゃんと理解できていないということもあるでしょう。人は自分の核心となる「喜び」を見つけることができると、それを諦めることができなくなってしまいます。つまり、簡単に諦めることができることは、自分にとっての真の喜びではないということだともいえるのです。
「他者」を応援することで「喜び」を見つけることができる
現状で自分が何をしたいのかが分からなくても、私たちは、本来「喜び」を求めて生きる存在であるということを認識することができれば、それだけで生き方を変えることができます。
例えば、現状で自分の「喜び」が分からなかったとしても、他者が頑張っている姿を見ると応援したり援助することはできることです。そして、この他者を応援したり援助したりするということをきっかけにすれば、自分にとっての「喜び」を見つけることが可能になります。なぜかといえば、応援したり、援助したりする人の中に自分の姿を重ね合わせているからです。
たとえば、私は今年、野球の大谷選手のことを応援していて、彼の活躍に「喜び」を感じていました。私が彼を応援する理由は、彼が野球を楽しんでいる姿を見るのが楽しかったからです。
私は彼のように好きなことに夢中になって生きていけるようになりたいと思っいました。この「彼のように」というのが、応援している人に自分の姿を重ね合わせているということです。こういった重ね合わせをするのは、自分の中の「喜びのセンサー」によって出来るようになることです。
「喜びのセンサー」は誰もが持っています。そして「嬉しい」「楽しい」といった感覚をによって、「喜びのセンサー」は働き出すため、この「喜びのセンサー」をフルに使っていけば、必ず私にとってのかけがえのない「喜び」を見つけることができるでしょう。
「喜びのセンサー」の具体的な使い方を説明すると、日々の生活の中で選択をしなければならないときなどに、その都度ごとに、自分の心が喜ぶことを選択していけばいいのです。
我慢するという選択肢を除外して、毎回、自分の心が躍り出す方を選んでいれば、いつか必ず自分が何を求めているかを本当に理解できるようになっていきます。
「喜びのセンサー」は自分の心と一致するものであるため、この「喜びのセンサー」を使いこなすことができるようになると、その対象から自分が求めていることを見つけることができるようになったりします。
「喜び」を選択していれば「愛」も理解できるようになる
私たちが「喜び」を選んで生きるようになると、「愛」についての考え方も理解できるようになります。なぜかというと、人は「喜び」を通じて「愛」の意識を育むことができるようになるからです。
自分が何かを夢中でしているときに邪魔をされたくないという気持ちが分かれば、他者が何かに夢中になっていることを邪魔しようとは思わないはずです。
自分が夢中になってしていることを応援されると嬉しいように、他者が夢中になっている姿を応援したくなるものです。そうやって自分が「喜び」を通じて得た感情をそのまま他者に向けることで「愛」の感情を育むことができるようになるでしょう。
下の表は、「パワーか、フォースか」の「意識のマップ」のポジティブな意識を表したものです。この表の「レベル」の欄を下っていくと、「喜び」があり、そのの下に「愛」があります。つまり、この図から「喜び」の感情を育むことができれば、自然と「愛」の概念を理解できるようになるということがわかります。
また、この表の「喜び」を右に見ていくと「(神)変身」という文字に行き当たります。つまり、私たちは「喜び」で生きれば「神」になることができるのです。
このことは、私たちが「喜び」で生きれば、この世界を「愛」の意識をベースにした「神の世界」を作れるということを示しているといってもいいでしょう。
つまり、OSHOがいっていたことを私たちのこの世界でも実現できるようになるのです。
「あの世」といわれる「神の世界」をこの世界に作ることが私たちの魂の求目的です。そのためには、人が生きるための動機となっている「喜び」を選んで生きるということが欠かすことができません。
「神の世界」を「この世界」に作って行く
といったわけで、「喜び」が新時代のスタンダードというテーマでここまで書いてきましたが、次回は、「神の世界」を「この世界」に作って行くというテーマで「喜び」と自分の内側に存在する内在神について書いていこうと思います。
*こちらの2冊の本は記事の中で紹介したOSHOの「TAO 永遠の大河」と「パワーか、フォースか」です。どちらも読みごたえ十分のほんです。
「TAO 永遠の大河」は絶版なので中古の本で販売されているようです。