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82.「人生軸」を養えば、生きることが楽になる

昨日の記事で『新訳 願えば、かなうエイブラハムの教え』の「感情のスケール」を借用させて貰ったが、この「感情のスケール」を眺めていて、人の感情は波を打つように上下動しながら上昇していくという気づきを得ることができた。

下から見ていくと、たとえば㉒の状態だとエネルギーが枯渇している状態だけど、⑲~⑰はエネルギーに満ちている。

しかし、⑯~⑧でエネルギーが減少していき、➆~②に向けてエネルギーが上昇していき①で高止まりする。

しかも、下から上に行くにつれエネルギーの質が繊細になっていき軽くなっていくのも読み取れる。

とはいえ、自分の意識を軽くし荒いエネルギーを繊細にしていくには訓練が必要になる。

また感情の波幅を少なくしていくのにも訓練が欠かせない。

禅の教えの中に『十牛図』というものがある。

牛を人の心(感情)に例えたお話で、十枚の絵で構成されている。

話はある牧人が、逃げ出した牛を探しに行くところから始まる。

牛を探しに出た牧人は、無事に牛を見つけることができるものの、牛はなかなかいうことを聞いてくれない。

それでも試行錯誤を繰り返しながら徐々に牛と仲良くなって、牛の背に乗って笛を吹けるようにまでになる。

その後、家に牛を連れて帰ってきた牧人は、牛のことをすっかり忘れてあるがままの自分を楽しむ。

時はたち、牧人は老人なり里に下り牛を探している若者に逢いに行く。

この十牛図の牛は、人の感情を指していて、感情を上手に扱えるようになると幸福を手に入れることができ、あるがままの自分を楽しめるようになっていくというストーリーでもある。

牛は放っておくといつ暴れ出すか分からないし、急に座り込んで動かなくなってしまうこともあるだろう。

人の感情は捉えどころがなく感情に振り回されいると、人生そのものを振り回されてしまうことになる。

そこで感情を上手に扱えられるようになるために訓練が必要になってくる。

十牛図の牧人が牛を探しに行くところは、自分の心とは何なのかを知ろうと決意することを意味するといっていい。

暴れる牛を治めるには、強い決意が必要になる。

そういった強い決意があって初めて、暴れる牛というべき感情を乗りこなせるようになるものなのだ。

そして、牛の扱い方を知り、背に乗り笛を吹けるようになるくらいに牛を手名付け自分の家に牛を連れて帰る。

安堵した牧人は、やがて牛の存在すら忘れて、あるがままの自分を楽しむ.

我々も感情と仲良くなることができると、あるがままの自分を楽しめるようになる。

「感情のスケール」の①の状態である「喜び」「気づき」「力があるという感覚」「自由」「愛」「感謝」といった感情で過ごせるようになると、エネルギーに満ち溢れていながら静寂の中に身を置くことができるようになる。

神社にある大樹のように、存在感は大きくエネルギーに満ち溢れている一方で静寂を保つことができる。

静寂は波のない「凪」の状態でもあるから、さざ波の上で優雅に生きていくことができる。

「感情のスケール」の②の「情熱」や③「熱意」「意欲」「幸福」の状態は、まだエネルギーに波がある状態といってよく、①に達することで波は凪へと変わっていく。

十牛図の面白いところは、凪の世界で生きていた牧人が老人になってから里に下り、若者に合いに行くというところ。

悟りを得た牧人は、牛の扱い方に戸惑う若者に探し方から手名付け方を教える。

人の感情は、人生を掛けて習得するものなのかもしれない。

それくらい人の感情は暴れる牛のようなものであり、手名付けるのが難しい。

特に若い頃は肉体的なエネルギーの方が人の感情に影響を与えるものだから、そういったエネルギーを制御するのは至難の業でもある。

悟りを得た牧人は、そんな若者に牛の扱い方を伝授していく。

人の心というべき感情は、その人のエネルギーの状態を表すものであり、単にエネルギーに充ちていればいいというわけではない。

充ちたエネルギーを上手に使えるようになってはじめて、人生という荒波を乗りこなせるようになっていく。

高速で回転するコマは、一見すると止まっているかのようにも見える。

なぜコマが止まっているかのように見えるかというと、コマの中心にある軸にエネルギーが集約されているからである。

我々のエネルギーも「感情のスケール」にある最上位の感情である「喜び」「気づき」「力があるという感覚」「自由」「愛」「感謝」に焦点をあわせていけるようになると、独楽のように静かで動いていないかのようでありながらも、内実は物凄いスピードで回転させることが可能になる。

そういった意味でも、前回の記事にも書いたように「喜び」「気づき」「力があるという感覚」「自由」「愛」「感謝」を人生の軸にすることができるようになると、穏やかでありながら愉快な生き方ができるようになっていくことだろう。

牛を乗りこなすにも、上手にコマを回せるようになるにも、ある程度の訓練が必要だけど、それができるようになってしまえば、あとは楽しんでいくだけでいい。

牛を乗りこなせるようになったり、上手にコマを回せるようになったら、人生のステージが一つ上がって未知の世界に入って行く。

これから多くの人が、次のステージでの人生を歩んでいくことになるだろう。

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アキタロウ
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