書道を始めて1年が経った感想
昨年の6月19日より書道を始め、筆で書いた字をnoteのつぶやきの記事として出すようになって1年が経つ。
この「始」の字が第1回目のもの。
書道を始めたから「始」の文字を書いた。
この頃は、一字書くだけで精いっぱいで、決して上手く書けているわけではなかった。
それでも、勇気を出して人前に公表することにした。
なぜかというと、記事として上げると決めないと続かないと思ったからだ。
書道は小学校の頃に習っていたものの、それ以降、全く筆を手にしたことはない。
書道を習っていた当時は、自分の意思で始めたわけではないので、あまり乗り気ではなかった。
だから、当時は字を上手に書けているという思いを持つことはなかったし、得に上達したいという思いがあったわけでもない。
だから、書道が好きで再開したわけではなかった。
では、なぜ改めて書道を始めたかというと、ほとんど思いつきだった。
すぐにできて自分のためになりそうなことはないか、そういったことを考えて、思いついたのが書道だった。
書道であれば用具一式を購入すれば、その日に書き始めることができる。
しかも、書いた文字について短めの文章をつければ、一つの記事として成立させられる。
140文字のつぶやきを書くことで、文章を上達させることができるようになるだろう、という思いがふと湧き上がり、ちょうど一年前に、筆で文字を書き始めた。
また書道だと物を増やさなくてもいい、ということもメリットだった。
僕は、ある時点から物を増やさないようにすることを心掛けるようになった。
昨年まで住んでいた東京のアパートは必ずしも広いとはいえなかったし、数年前から断捨離をしていたこともあり、物が増えるようなことをしようとは思わなかった。
以前、絵に挑戦していた時期があり、最初は色鉛筆、次に水彩とやっていて、次第に道具が増えていった。
水彩の次に、アクリルとか油絵に手を出し始めたら、「物を増やさないというポリシーに反する」という思いに至ったことがある。
そういったこともあり物が増え始めたあたりで、絵を描くのを辞めてしまった。
一度、断捨離を経験すると、物が増えることに抵抗感を覚えるようになる。
しかし、書道は最低限の物で出来る。
今でも一年前に買った筆と硯で字を書いているし、今のところ新しいものを買い替える予定もない。
そういった理由で書道を始めたら、想像以上に楽しめた。
子どもの頃の経験が、結果的に活かされたのかもしれない。
当時、書道をしていなかったなら、こういった発想も生まれなかったに違いない。
意味のない経験など、一つもないのかもしれない。
この「鱗」という字は、昨年の8月頃に書いたもの。
この字を書いているときは、楽しかった記憶がある。
複雑な字は、書いていて面白い。
上手くはまった感が、心地よかった。
「情熱」は、「つぶやき書道」というマガジンの表紙にしている文字で、これを書き上げたときは嬉しくなった。
この字は、開始して4ヶ月くらいたったころに書いた。
筆で字を書き始めて2か月くらいは、楷書で文字を書いていたが、あまり上手く書けている実感がなかった。
そこで思い切って楷書を捨て、行書で書くようにしたらより楽しめるようになった。
このことが、最初のターニングポイントだった。
行書で書く方が、字の流れに沿って書けるから心地いい。
楷書は、きっちり書かなければならないから息苦しさを感じてしまう。
次のターニングポイントは、開始して3か月が経った頃。
1文字を100枚の記事として出してから2文字にすることにした。
それ以降、3文字も挑戦することもあったけれど、書いた字を写真形式でつぶやきに載せるため、横文字の2文字がちょうどよいと感じていて、これから先も、この形で書いていこうと思っている。
2文字の熟語の方が、つぶやきの文章としても書きやすかったりする。
3番目のターニングポイントは実家に引っ越したとき。
偶然にも手つかずの1000枚入りの半紙があった。
この半紙の価格をネットで調べて見ると2000円程度のもので、紙質としてはあまり高価なものではない。
しかし、そのお陰で紙の枚数を気にせずに書けるようになった。
それまでは100枚入り400円の紙を買って書いていた。
100枚ではすぐになくなってしまうけれど、1000枚の半紙があったお陰で、経済的な手間と購入する手間の二つを省くことができ、心理的にも好影響だった。
こちらが昨日のつぶやきで書いた「夏至」の字。
これが、一年の集大成となる。
今は書いた字をスキャナで取り込んでいる。
実家に戻ったタイミングでスキャナを購入し、デジタル化を図った。
ただ、半紙に書いた字をスキャナで取り込むと、文字周辺に皺のような波線が出てしまうので、それをフォトショップで取り除き、Canvaに取り込んで、緑色の背景に合成させて写真形式にする。
書道を始めて、よかったことは丁寧さを心掛けるようになったこと。
そういった影響なのか、日常生活でも思いのほか慌てることが少なくなったし、そういった意味では幾分、運勢が上がったように思う。
慌てずに丁寧にということは書道だけでなく、生き方にも当てはまる。
自然体であればあるほど、比較的納得のいく字が書けるようになるもの。
しかし、上手く書こうとすると納得のできるものを書き上げることができない。
上手く書こうとすると、過分に力が入ってしまう。
だからこそ、リラックスしつつ丁寧に書く、というさじ加減を習得しなければならない。
そういった意味では、書道から生きる姿勢や運勢の上げ方を実感として学ぶことができた気がする。
自然体が、結果的に一番上手くいく。
一文字一文字、その文字のバランスを掴み取ることも大事な要素。
「熱」や「勢」という字は、特に書いていて楽しい。
逆にシンプルな字ほど、難しく感じることも多々あった。
この一年、字を書き続けたことで、だいぶ上達したのではないかと思う。
とはいえ、まだまだ納得できる字を書けているわけではないし、一回で上手く書けるということは稀なこと。
そういった意味でも、まだまだ道半ばであり、字を書き続ける限り過程の状態が続く。
今回、ここで紹介した「始」以外の字は、書いていて楽しかったもので、自分の中では上手く書けたと感じたものだ。
「創」という字も、書いていて心地よさを感じる字でもある。
心地よく書ける字は、何度も書きたいと思うもの。
「道」という字も、ついつい書きたくなる字でもある。
やはり、どんなことでも心地よさがないと継続することはできないように思うし、心地よく感じるかどうかが、自分の性にあっているかどうかの指標となる。
書道を始めて一年が経つけれど、これまで継続できた理由を並べてみると、➀一人でできる、➁いつでもできる、③道具を増やさなくてもできる、④上達している感じがする、といったことがあるだろう。
こういった点が、僕の性に合っていることように思う。
しかも、この4つのことは、文章を書くということとも共通している。
noteで記事を書き始めて1年9ヶ月、書道を始めて1年、どちらも継続することができているが、その理由は同じだ。
僕の喜びと楽しみの傾向は、上の4つを満たすことにあるとであり、これら4つの要素が揃えば継続可能といっていいだろう。
最近始めた家庭菜園も同じ理由で、継続していけそうだ。
そんなわけで、これからも文章を書いたり文字を書いていくことだろう。
とはいえ、もっと人と関わることもしていかなければならないのかな、と思案中でもある。
いずれにせよ、新たなチャレンジをするようになったら、それを記事にしていきたいと思うし、家で出来ること以外のことも増やしていきたいとも思う。
楽しんで継続できることができると、生活が楽しくなっていく。
そんな楽しみを増やしていきたい。
楽しむために、人生を使っていきたい。