第42回:「喜び」の波動を出すと「喜び」が返ってくる
今回は、前回に引き続き「波動の原理」についていきます。
この「波動の原理」は、【[実践版]ヒマラヤ聖者への道2】という本の序文の中で船井幸雄さんが書いていることです。
その部分をあらためて引用します。
前回は、この序文の①同じ波動のものは引き合う、➁違う波動のものは排斥し合う、について書きました。
今回は、③自分の出した波動は自分に返ってくる(フィードバックの理)、④波動には優位と劣位があり、優位の波動は劣位の波動をコントロールするについて、私なりの見解で説明していきたいと思います。
自分の出した波動は自分に返ってくる
「この自分の出した波動は自分に返ってくる」ということをわかりやすく説明すると、「情けは人のためならず」という言葉がふさわしいかと思います。
「情けは人のためならず」の意味は、次のようなものです。
この「情けは人のためならず」は、日本のおとぎ話の「わらしべ長者」を思い浮かべて貰えると分かりやすいでしょう。
「わらしべ長者」の主人公である貧しい男が、困った人にわらしべを与えるところから、人生が好転し始め、やがて長者になっていくというストーリーは、まさに「情けは人の為ならず」を表しています。
他にも、「お金を使えば使うほど入ってくる」という言葉を見かけることがありますが、このことも自分の出した波動は自分に返ってくるということに当てはまります。
よくアメリカの富豪は収入の何割かを寄付しているという話を聞きますが、彼らがなぜそうするかというと、彼らは自分の出した波動は自分に返ってくるということを理解しているからです。
とはいえ、むやみやたらにお金を使ったり、たくさんの寄付をすればそれが返ってくるのかというと、やはり、そこは波動の問題であるため、普段から「お金を使えば使うほど入ってくる」という意識でいないと、実際には使った分だけお金が返ってくるというようなことはないといっていいでしょう。
なので、「お金を使えば使うほど入ってくる」ということを安直に信じて散在してしまうと失敗してしまうことになります。
そこでもし「お金を使えば使うほど入ってくる」という状態にするのであれば、「お金を使うことに抵抗を減らしていくこと」が大切なのではないかと思います。
ブッダの逸話としてこういったものがあったりします。
ブッダが弟子に今日の托鉢はどんな家に行ったのかと尋ねると、その弟子は、とある裕福な家に行って食糧を貰ってきたと答えます。
すると、ブッタは「なぜ貧しい家に托鉢に行かなかったのか」と弟子を叱ります。
ブッダに叱られた理由が分からない弟子は、慌てて「貧しい人から食糧を貰うと、その人が食べる分が減ってしまうから」と説明しますが、ブッダは首を横に振って、その弟子に次のようにいいます。
「豊かな人は、与えると豊かになるということを知っている。しかし貧しい人は、貧しいがゆえに他者に何かを与えようとはしない。そして、貧しい人が、そのまま他者に何かを与えずにいると、ますます貧しくなってしまう。
そうやって、彼らがずっと他者に与えずに生きていると、与えれば返ってくるという法則があること知らぬまま人生を終えることになってしまうだろうう。
だからこそ、お前が貧しい家に行って少しでもいいから何かを貰い受ければ、彼らに与えることで人の役に立ったという思いを持たせることができるようになる。
そうすることができると、彼らの考え方を変えるだけでなく、生き方そのものも変えることができるようになる。だから、次からは貧しい人のところに行って、少しでもいいから、その家から何かを貰ってきなさい」
このブッダの話にあるように、豊かになりたいと考えるならば、まずはマインドを変えないといけなかったりします。
そうやって、貧しさを作り出してしまう考え方に気づいて、貧しいと感じている波動を少しづつでも豊かな方へと変えていくことができれば、人生そのものを豊かな方へと変えていくことができるようになっていくことでしょう。
似たような意識はぶつかり合う
「自分の出した波動は自分に返ってくる」ということは、ネガティブな意識を出すと、それがそのまま返ってくるという場合にも当てはまります。
「嫌悪同族」という言葉がありますが、この「嫌悪同族」は「自分の出した波動は自分に返ってくる」ということのネガティブなパターンです。
たとえば、詐欺の被害を受ける人と詐欺を仕掛ける人の意識は、コインの裏と表のようなものであるため、お互いが同じ意識を持って引きっ合っているということができます。
一見すると「騙されたくない」という思いと、「騙そう」という意識は反対のように思えますが、「騙す」「騙される」とい行為を凹凸で考えるならば二つの意識はぴたりと合致してしまいます。
つまり、騙す側の波動も騙される側の波動も同じ性質を持っているということになるため、たとえば不安な気持ちを持って過ごしていると、不安を感じるような出来事を引き寄せてしまうことになってしまいまうため、不安な気持ちを抱き続ける限り現状は変わらなかったりします。
こういったことからも、やはり普段から、自分がどういった波動を出しているかに注意を払って生きていたほうがいし、ポジティブな波動を出していればポジティブな出来事が返ってくるため、普段からポジティブな意識を保っていることが必須といえるのです。
波動には優位と劣位がある
この「波動には優位と劣位がある」ということを簡単に説明するなら、ネガティブな意識よりもポジティブな意識の方が優位になるということです。
この波動に優位と劣位があるということを、お店の例で例えるとわかりやすいかもしれません。
たとえば、同じ商品を扱っている2つの店があったとして、感じのいい店員がいる方が栄え、そうでないお店が栄えないということは、当然のことです。つまり、感じのいい店員さんはいい波動を出しているからこそ、そうでない店員さんがいるお店より優位に立つのです。
そういった意味では、現在、企業として栄えている会社は、会社自体が優位の波動を放っているということがいえるし、いわゆるブラックといわれる企業は、劣位の波動を放っているため長続きしないといえるし、仮に長続きしたとしても社員の離職率は高いままということになります。
この波動の優位と劣位を一言でいうなら、優位がポジティブで劣位がネガティブと考えるとわかりやすいと思います。また、この優位の意識を極めると奇跡が起こるようになるため、ブッダやキリストに奇跡のような出来事があったという逸話が生まれるのは、当然といえば当然のことだったりします。
ブッダやキリストは別にしても、もし何かを成し遂げたいと思うのであれば、意識は常に優位でなければ成し遂げられないといえます。
「喜び」で生きていれば「波動の原理」を使いこなせる
私たちは、普段出している意識(波動)によって人生のあり方を決め、そのあり方、応じた事象を引き寄せています。
だからこそ、ネガティブ思考よりもポジティブ思考の方がいいわけであり、ポジティブ思考もただ単にポジティブでいればいいかというと、そうではなく、そのポジティブさをより洗練させていくことができると、引き寄せる事象も洗練させていくことになります。
また、ここまで書いてきたような「波動の原理」を理解できるようになると、嫌なことがあっても、その気持ちを引きずっているよりも、気持ちを切り変えて、心地よいと感じる気持ちを持つようにした方がいいということに気づけます。
いずれにせよ、ここまで書いてきた「波動の原理」を理解できると、生き方そのものを見直せるようになるし、普段の意識の大切さに気づくことができます。
そして、この「波動の原理」を上手く使いこなす方法が、「喜び」の意識で過ごすということであり、「喜び」の意識で過ごすことでリラックスして、無理なく「波動の原理」を使いこなせるようになっていきます。
人はポジティブでいなければと思い込んでしまうと、むしろネガティブな気持ちになってしまったりするので、そういった意味でも、普段から楽しいと感じることをしていると、それだけで「波動の原理」を使いこなせるようになるでしょう。
こちらは前回の記事です。
こちらは、船井さんの序文が書かれている本です。
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