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「いまここ」にある幸せを実感すること、それが生命の本質である

自分に満ちていれば、本当に必要なことが起こってくる。

本当に必要なこととは、自分では想像できないような出来事であり、生命としての繁栄を促がすような出来事のことである。

本当に必要なこととは、自我が望むような出来事ではない。

だから、本当に必要なことは自我の自分では想像できないものごととなる。

自分に満ちるということは、満足に焦点を合わせることであり、日々、満足に焦点を当て続けていると、やがて生命の本質に繋がっていく。

生命は常に拡大していきたいという意思を持っている。

このため、自分自身に満足し生命の本質と繋がることができるようになれば、生命そのものの拡大していこうとする意思に沿うことができるようになり、生命の側から後押しを受けるようになって予想外の出来事を体験するようになる。

予想外の出来事は、生命の本質と繋がった人同士が出会うことで起こり出す。

そういった出会いは、自我の自分が望むような出会いではない。

しかし、生命の本質と繋がった人同士の偶然の出会いは、自我の望む出会いを超えた喜びを実感させる。

生命の本質と繋がった人同士が出会えば、これまでにはない化学反応が起こるようになり、それが生命全体の繁栄を促がすことだろう。

そして、生命全体の繁栄を促がすような経験をすることが生きることの喜びとなっていく。

我々は、生命の本質と離れていけばいくほど不幸を感じることになる。

生命は発展し拡大していこうとしているため、生命の意思と反することをしていくと、不幸を感じるような出来事が起こってくる。

自我が求める幸せは、時として生命の本質と異なることがある。

自我が求める幸せが生命そのもののあり方とずれるとき、その幸せは実現することはないだろう。

だからこそ、我々が望むことが生命の本質に沿っているかどうかを見極めなければならない。

生命は、調和を求める。

生命は、循環を求める。

なぜなら、この宇宙は一つの生命であり、それが全体だからだ。

人間の身体が、異なる部位や臓器で成り立ち、それらが調和しながら一つとなって循環していいるように、この宇宙も異なるもの同士が集まり、それらが調和を図りながら循環していくことで成り立っている。

調和と循環がこの宇宙の本質であり、我々一人ひとりが調和と循環に沿って生きれば、それが幸せの後押しをしてくれるのは当然のことなのだ。

調和と循環のない望みを果たそうとすることはエゴとなる。

だから、エゴにもとづく幸せは長続きすることはない。

しかし、今ここにある幸福を認めていけば調和と循環のある行為を取れるようになり、生命としての本質に沿った生き方をするようになる。

今ここにある幸せを認めて、それを実感して過ごしていけば調和と循環を拡大していけるようになって、長期的で安定した幸せを手にすることができるようになるだろう。

自分に満ちていれば、本当に必要なことが起こってくる。

本当に必要なこととは生命全体の一助となることであり、一人ひとりが自分を満たすという役目を果たして生きるとき、自分では予想出来ないような出来事を体験することになる。

いまここにある幸せを実感すること、それが生命の本質なのである。

いまここにある幸せを実感すれば、それが「私」と「生命全体」を幸福に導き、個人を超えた幸せを実感できるようになる。

調和と循環なくして、新しい世界が生まれることはない。

いまここにある喜びを実感するとき、生命が輝き出す。

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アキタロウ
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