『おとなしい女』―『作家の日記』より⑦―
『作家の日記』は、全体として時事評論的な文章が多い。
当時の世相や国際情勢を題材としてドストエフスキーが自身の立場や意見を表明するような、いわば政治的・社会的な性格が強く表れたものが目立っている。
例えば、第三巻(1876年7-12月)では、作家は、しばしばセルビアとトルコの紛争という時局的テーマを扱い、セルビアへの支援に向けたロシア国内世論の統一やスラブ民族の連帯を訴える議論に多くの紙数を割いている。
そのような中で、『作家の日記』1876年11月号は、例外的に全号が一編の中編小説『おとなしい女』に費やされている。
その筆致は、政治的・社会的な主張とは対極的に、個人的・内面的な性格を帯びる。
今回は、この小説をとりあげてみたい。
おおざっぱなあらすじ
『おとなしい女』は、妻に自殺された直後の夫の心理を克明に描く。
妻のなきがらを安置した自宅の部屋の中で、そのような悲劇に至る経緯をなんとか整理しようとする夫の混乱に満ちた回想を一人称で綴る物語である。
この小説の奇妙なところは、タイトルの「おとなしい女」にあたる「妻」にも、また「夫=私」の方にも、ともに名前がないことである。
したがって、あらすじの紹介に際しても、単に「夫」あるいは「妻」としか呼びようがない。
夫である退役二等大尉は質屋を営む四十一歳の中年男である。
発端は、彼が、しばしば質草をもって店に現れる十六歳の娘に興味を持ったことだ。
彼女は三年前に父母と死別し、同居する叔母たちから奴隷のように扱われながら、誇りや向上心を失わない気位の高い娘である。
その若い姪を、叔母たちが金目当てで近所の初老の商人へ嫁がせようとしている事情を知ると、男は娘に求婚し、叔母たちも懐柔して、二人は婚約する運びとなる。
しかし、男は、婚約者の初々しい愛情に、最初から、冷ややかな、よそよそしい態度でこたえる。
……なによりも特筆すべきは、彼女は気を強く持とうと思っていたにもかかわらず、初めからいきなり愛情をもって私のふところへ飛び込んできたことである。よく晩に私が出かけていくと、さもさもうれしそうに出迎えて、例の子供っぽい話しぶりで(魅力ある純真な子供っぽさ!)自分の少女時代のこと、幼年時代のこと、両親の家のこと、父親や母親のことなどを話して聞かせた。けれど、私はこうした感激に、いきなりその場で冷たい水をぶっかけるようなことをしてしまった。その中にこそ私の思想があったのである。歓喜に対して、私は沈黙をもって答えた。もちろん、好意の沈黙ではあったが……しかし、彼女はいくばくもなくして、私たち二人の間には大きな差別があり、私が一つのなぞであることを見てとった。ところが、私は主としてこのなぞをねらったのである!……(岩波文庫版『作家の日記』(三)、一八七六年十一月。米川正夫訳。以下同じ)
実は、男には、癒しがたい過去の傷があった。
将校として軍務に就いていた時に、所属する連隊の名誉にかかわる事件に巻き込まれながら、汚名を晴らすための決闘を忌避したために、臆病者として連隊から除名されたのである。
男は娘を妻として迎えるにあたって、金のことについてはやかましく指図しながら、自らの不祥事については一切妻には打明けず、ことさらに「厳格」と「沈黙」を貫いた。
……なぜ口をきかなかったのか? 矜持を有する人間としてである。私がいわずとも、彼女が自分で知ることを望んだのである。卑劣な人間どもの話によらないで、自分で私という人間のことを洞察し、理解することを望んだのである! 彼女をわが家へ迎え入れる際に、私は満腔の尊敬を欲した。彼女が、私の前に私の受けてきた苦悩のために祈念しながら立つ、それを私は望んだのである、――私にはそれだけの値打ちがあったのだ。おお、私は常に驕慢(きょうまん)であった、私は常に全か無かを望んだ! つまり、私は幸福において中途半端がきらいで、すべてを望んだからである、――つまり、それがために、私はその時、『自分から察して、尊重するがいい!』という態度をとらざるを得なかったのである。なぜなら、察してもらえることと思うが、――もし私が自分で彼女に説明したり、口を添えたり、きげんをとったり、尊敬を求めたりすれば、――それこそ、私は施し物を乞うと同じことになるではないか……
男は妻に対して強固な尊敬を求めるあまり、弁解や「こびへつらい」によって自分の価値を下げることを恐れたのである。
気づまりな日常を重ねる中で、夫婦の間には次第に溝が深まり、妻は夫を「虫唾が走る」ほど嫌いになっていく(夫自身がそれに気づいている)。
妻は早くから夫の不名誉な過去を周囲から聞きつけていたのだが、やがて質屋の商売方針に絡んで夫といさかいが始まり、さらには家の外でほかの男と会っていた現場を夫に取り押さえられるなどして、夫婦の関係は破局寸前に至る。
そして、「ある恐ろしい修羅場」を経て、妻は熱病にかかり六週間床につく。
妻の回復後、夫婦の関係は奇妙な小康状態を回復し、落ち着いた日々が流れるようになる。
夫はそれを良い兆候ととらえ、時間がたてば妻は自分を理解し、尊敬するようになるだろうと期待する。
ところが、ある時突然、夫は、妻が平静でいられるのは、すでに彼の存在を自分の心から追い出してしまっていたからであることを悟る。
夫は、恐怖と歓喜に駆られて、それまでの冷淡な態度を豹変させ、自分の感情を露わにして、妻に対する愛情を訴え始める。
「さあ、話そう……ねえ……何かいっておくれ!」と私はだしぬけに、なにやら馬鹿げたことを、ろれつも怪しく言い出した、――なに、馬鹿だの利口だのといっているどころの騒ぎか? 彼女はもう一度ぴくりと身震いして、私の顔を見つめながら、激しい驚愕におそわれたさまで、一歩後ずさりした。とふいに――真剣な驚きが彼女の眼に現れた。そうだ、驚きである。彼女は大きな目で私を見つめていた。このきびしさ、このきびしい驚きは、一挙に私を粉砕したのである。「では、お前はまだ愛がいるのか? 愛が?」女は口をつぐんではいたものの、この驚きの中に、突如こういう質問が聞こえたようであった。私はすべてを読みとった。すべてなにもかも。私の内部ではいっさいのものが震撼し、私はそのまま彼女の足もとへくずれおちた。そうだ、私は彼女の足もとへくずれおちたのだ、彼女は早くもおどりあがったが、私は異常な力で彼女の両手を押さえた。(強調の箇所は本文では傍点)
夫は妻の足もとに身を投げ出して、その足に接吻までするが、妻は驚きと恐怖のあまりヒステリーに陥り、錯乱する。
妻が落ち着くと、夫は、二人の将来の生活について語り、質屋をたたんで、まず外国の海岸に転地療養に出かけ、戻ってきたら新たな勤労の生活を始めようと申し出る。
妻は、いったんは、忠実な妻になって夫を尊敬することを自ら約束し、夫は歓喜のあまり「気ちがいのように」妻を抱きしめる。
しかし、夫が二人の外国旅券を取りに外出したすきに、妻はその約束の重さに耐えきれなくなったかのように、聖母像を胸に抱いて窓から飛び降りる。
そして、小説は、棺に納められた妻の遺骸の前にひとりでたたずむ夫の悲嘆の叫びで終る。
全編が鬼気迫るような複雑な心理劇であり、まさにドストエフスキーの真骨頂である。
そして、上のあらすじでは、煩雑を避けてあえて説明を省いてしまった「ある恐ろしい修羅場」こそが、この心理劇の重大な鍵の役割を担っている。
興味を持たれた方は、ぜひ作品を読んでいただきたい。
後味の悪い読後感
この鬼気迫る心理劇が、まぎれもなくドストエフスキーの真骨頂であることを認めたうえで、私は、小説を読み終わった直後に、なんとも落ち着かない、後味の悪い気分を覚えずにはいられなかった。
そのような気持ちを引き起こしたものは、ひとことで言えば、この小説の真の主人公である「私」すなわち夫の忌まわしい性格に対するぬぐいがたい嫌悪感である。
「重苦しい性格」が災いして「ついぞ人から愛されたことがな」く、「いつもきらわれものであった」と自認するこの男は、病的に過剰な自尊心と自意識のために、まだ若い娘であった妻を無意味に苦しめ、その人生を滅ぼした。
妻の遺骸を前にした夫の回想の中身は、その大部分が自己弁護であり、一部に自身への嘲笑や非難も含んでいるが、いずれにしても、それらの思いは終始自分を中心とした軌道を周回するばかりである。
生前の妻の振る舞いや、表情や、心の動きをこまごまと思い起こす場合であっても、それらはすべて夫=自分との関係性の中でのディテールであって、語り手である夫にとって、それらのディテールは彼の自我の反射あるいは反映と呼ぶべきものでしかない。
彼は、妻が独立したひとつの人格であることすら否定している。
……失礼ながら――女、ことに十六やそこいらの娘が、絶対に男に服従しないわけにいかないことを、私は承知していた。女には独自性がない。これは、――これは公理である。今でさえ、今でさえ、私にとっては公理である!……
夫は、彼なりに妻を愛していた。夫は、妻が「私にとってすべて」であり「未来の希望の全部」であった、と回想する。しかし、その愛すらも自己愛の反射でしかない。
……彼女をわが家に迎え入れるにあたって、私は親友を得たと考えた。私にはあまりにも親友が必要だったのである。しかし、私はこの親友を養成し、仕上げをし、あまつさえ征服しなければならぬことを、明らかに見てとった。……
夫の回想は堂々巡りでなんらの解決も見いだせない。小説は次のように終わっている。
……時計の針はちくたくと無感覚な、いまわしい音を立てている。夜中の二時だ。彼女の小さな靴が、まるで主人を待つもののように、寝台のそばに並んでいる……、いや、真剣の話、あす彼女がかついで行かれたら、私はいったいどうしたらいいのだ?
結局、夫は、最後まで「自分のことしか考えない」のである。
そのような孤独なエゴイストの愚かさ、卑小さを全編にわたって執拗に突きつけられ、私は、なんとも言えないいやな気持になってしまった。
実は、白状すると、私が感じた後味の悪さには、私自身の中にもこの男の性格に通じるようなものがあることを認め、いたたまれなくなったという事情も含まれていたように思う。
「夫」と作者の関係
この小説を読みながら、考えずにはいられなかったのは、小説の語り手である「夫」は作者自身の分身だったのではないか、という疑いである。
ドストエフスキーは、自身の性格の負の部分を写しとって主人公を造形したのではないか?
そのように疑う根拠は、小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』に描かれた作家像にある。
以前の投稿(小林秀雄『ドストエフスキイの生活』(1))で紹介したように、作家と同時代の知人・友人は、ドストエフスキーという人物について、かなり辛辣で、手厳しい証言を残している。
それらの証言から、ドストエフスキーの人物像を端的に表すキーワードを拾いあげると、「極端に神経質な感じ易い人」「意地の悪い、しつこく人を困らせる人」「気難しさと尊大な調子」「意地の悪い、嫉妬深い、癖の悪い男」「意地の悪さと悧巧さ」といった評価が集まってくるのだ。
また、二人目の妻であるアンナ夫人の回想に描かれたように、作家は、一時期ルーレットに憑りつかれ、負けて帰ると夫人の足元に転がって大声で泣きながら金をせびるという激情的な一面も持っていた。
これらの証言は、作家が『おとなしい女』の語り手に与えた性格と奇妙に符合するように思えてならない。
『ドストエフスキイの生活』によれば、作家の二十年来の友人であったストラーホフは、ドストエフスキーの作中人物で作家自身一番に近い人物として(非難の思いを込めて)『地下室の手記』の主人公、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『悪霊』のスタヴローギンの三人をあげているが、ここに、『おとなしい女』の主人公を加えてもよいのではないか?
では、仮に『おとなしい女』の「夫」が作者自身の分身であったとすれば、この小説を書いたドストエフスキーの意図はどこにあったのだろうか?
自分自身をよく知っていたドストエフスキーが、そのネガティブな側面を、客体化し、突き放し、断罪することによって、おのれの罪深さを浄化しようとしたのだろうか?
いやいや、そのような解釈は、我ながらあまりに皮相なものであるように思う。
あるいは、『おとなしい女』の夫は、人間存在に付きまとう根源的な不合理を一身に集約した象徴的な人物像として描かれたのだと考えるべきだろうか?
おそらく、このような「問い」は、ドストエフスキーの他の作品、例えば『地下室の手記』の主題とも深く関わるものだろう。
※画像は、ロシアの画家イワン・マカロフの「名もなき婦人の肖像」(1885、部分)