カズオ・イシグロ『浮世の画家』
『浮世の画家』(原題 An Artist of the Floating World, 1986)は、不思議な小説である。
同作は、イシグロの長編デビュー作である『遠い山なみの光』(1982)と、ブッカー賞を受賞した作家にとって代表作である『日の名残り』(1989)との中間に位置する。
そう考えてみると、なるほど『浮世の画家』には、これら相前後する二つの作品との間で、それぞれ異なる共通点があるようだ。
『遠い山なみの光』とは、主人公が日本人であり、舞台が戦後間もない時期の日本の地方都市である点が共通する。ただ、前作では、それが長崎であることがはっきりと描かれているが、『浮世の画家』の舞台は、どこか現実感のない、架空の町であるようにも感じられる。
『日の名残り』とは、より深いテーマにおいて共通点をもつ。
二つの作品では、ともに主人公である「わたし」は、自身が戦前期から戦時期にかけて一身を賭して貫いた信念が、戦後になって間違いであった、あるいは間違いに加担するものであったことを思い知らされるという苦い運命を負うのだ。
しかし、『浮世の画家』の主人公の小野益次には、『日の名残り』の終幕で自らの人生の無意味さ、空しさを悟り、男泣きに泣いた老執事スティーブンスのような悲愴感はない。
むしろ、小野の「語り」からは、自己弁護に終始する「滑稽さ」、あえて強い言葉で言えば「見苦しさ」をいやおうなく感じてしまう。
そのような感じ方は個人的なものなのかもしれないが、イシグロは、なぜそうした人物を主人公とした物語を書いたのだろうか、と不思議な印象を持った。
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小野益次の誤った信念がどのようなものであったのか、例によってイシグロ(というか語り手)は明確には述べない。が、どうやら、小野は戦時体制下の時流に乗った、愛国的・好戦的な画風で名を成した画家であったらしいということが読みとれる。そして、戦後の現在(語りの時点)では、そうした制作態度が間違いであったことを認め、すでに筆を置いて、一線からは退いている。
そのような小野の心中がもっとも明瞭に現れるのは、娘紀子の見合いの席上でいささか唐突に飛び出す次のような自己批判である。
一見すると、潔い態度に思えるかもしれない。
だが、小野は自己に対するこのような断罪に苦痛を味わったとしながら、次のようにも述懐する。
まるで過ちを率直に認めた自分はえらいとでも聞こえかねないような口ぶりである。
小野の回想の中では、自身の画家としての絶頂期、多くの弟子に囲まれ、もてはやされた日々の思い出が繰り返し語られる。
小野は、一九三八年に市内の新進画家の重要な登竜門とされる賞を受賞し、かつて師事した森山画伯(モリさん)の一門が制作活動を行う山里の別荘へと、意気揚々と凱旋しようとする。
モリさんの一派は、享楽的・耽美的な風俗画・美人画に純粋な芸術的価値を追求しようとするグループであったが、小野はそこでの修行に飽き足らず、「もうほかの方向に進む時期が来ている」、現下の苦難の時代に即して「もっと実体のあるものを尊重するよう頭を切り替えるべきだ」と主張して師のもとを去った。その際に、小野はモリさんから、おまえは「本格的な画家としての道を絶たれる」ことになると警告されていたのだ。
小野はモリさんの別荘が見下ろせる峠までやって来ると、そこに座り込んで、駅前の売店で買ったみかんを食べ始める。
誇らしげに語られるこのような感慨のなかに、果たして真に悔悟する良心を見いだすことができるだろうか?
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さらに、より興味深いと思われたのは、上のような画家の自己認識と、周囲の人々が見る小野の像との間に明らかな「ずれ」が生じている点である。
上で引用した見合いの席上での小野の自己批判を聞いて、娘の紀子はひどく驚く。
この時の様子を姉の節子に伝えた紀子の手紙によれば、面食らったのは紀子だけではなく、見合いの相手方で紀子の嫁ぎ先となった斎藤家の一同もみな当惑し、節子が手紙を読み聞かせた夫の素一もわけがわからないという反応を示したとのことだ。
節子は、父が戦時の活動を苦にして自殺した作曲家と自身を引き比べているのではないかと心配して、父を諭そうとする。
議論はさらに続き、節子は、そもそも斎藤家の人たちは父が美術関係者である事すら知らなかったらしい、とまで言っている。
小野の自己認識と周囲の人々が見る小野の像との間に生じる「ずれ」は、どちらが正しいのか? 小野の自己認識に思い違いがあるのか、それとも周囲の人々が小野の姿を見誤っているのか?
作者であるイシグロは、語り手の陰に隠れて何も言わない。例によって、読者には、自ら想像力をはたらかせて真実を読みとる余地が委ねられている。
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自画像をめぐる本人と周囲との決定的な認識の「ずれ」。
実は、これこそがこの物語の重要なテーマであったのではないだろうか?
第一に、人間は、自分という存在を決して客観的に、正確に見ることはできないのだ、ということ。
そして第二に、人間は、常に、自身による自画像と他者が見る自分の像との間の不調和・不一致に悩み、どうにかその「ずれ」を解消し、統一された自己像を実現しようとしてあがくものなのではないか、ということ。
際限なく自己正当化や自己弁護を繰り返しながら、最後まで自己像の確立にこだわり続ける、往生際の悪い「語り手」の姿をとおして、イシグロは、そんな悲しい人間の本質を描き出そうとしたのではないか?
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もしそうであるとすれば、イシグロの多くの作品と同じく本作品においても採用されている「一人称の語り」が、作品の意図を効果的に演出していると言えるだろう。読者は、小野益次の眼を借りることで、小野が見る世界と現実のありようとのギャップを小野自身と同じようにありありと感じとるのだ。
そうしてみると、イシグロが多用する「一人称の語り」は、語り手の意識と現実とのギャップ、すなわち人間にとっての世界認識と現実世界との「ずれ」を巧みに際立たせるための手法であるのかもしれない。