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010 いま死んでしまわないように

生きるのって疲れる
疲れてたまに、何のために生きているのかと立ち止まってしまう

無理矢理こじつけるなら、家族や恋人のために生きている気がする
悲しませたくないとかそんな僅かな理由を糧に生きている気がする
自分のために生きるには理由が見当たらないので、消去法のように他人を目的にした気がする

それに悲観したこともない
そして困ったこともない
だからこじつけずとも、理由なく生きていても良いのだとは思う

それでもたまに「目的もなく疲れることをわざわざ続けるのは無駄なんじゃないか」って思ってしまう
その瞬間立ち止まってしまう
ああもう動けなかったらどうしよう
そう言いながら数秒後にはじりじり歩いている

なんだかんだ言って自ら死ぬ勇気はない 理由もないけれど
そのくせに生きていたいかと問われると積極的にはいと言えない

生きていたいと答える人はこれまでどんな風に生きてきたのだろう、そもそもの脳の作りなのだろうか
私、いつ死んでも後悔はないと思っている 今も

死ぬ勇気もないがそもそもそこまで逃避したい現実もなく、ぬくぬくと呑気にほどほど幸せに生きている
きっとこれを望む人は多くいる
分かる、頭で理解はしている、しているが、別に生きたい理由にはなれない、やっぱり明日死んでも構わない
来週久々に父と再会するし、来月恋人とデートの約束があるし、来年30歳になるけれど、今不慮の事故で死んでしまったとしても困らない

心がここにないのかも知れない
大切にしなければいけない何かが欠落している気がする
気がするだけかもしれない

生きることに疲れなければもっと生きやすいのに

どうして疲れてしまうのか考えてみる
自分だけの何も考えなくていい時間が圧倒的に少ない気がする
みんな

月に3日くらい、家族のこととか仕事のこととか誰かのことも何かのことも何もかも考えない連休が欲しいな
でも今この人生を生きている限り、私があらゆることを見捨てない限り、そんなことも難しいのだろうな

生きるのって疲れる

今すぐ死んでしまいたいような激しい苦痛はないけれど、じわじわと真綿で締められているような緩い息苦しさが長く続いている

ああ、もう、いっそ、

今日はそんな気分の日なのだ 仕方がない
明日は違う きっと 明日はもう少しマシなはず
生きたくはなくとも死ぬことについて考察していないはず
今日はもう文章も脳内もぐちゃぐちゃでめちゃくちゃだ
諦めよう 諦めて寝よう
とりあえず、あるだけの幸せを数えて絶望しないようにしよう
とりあえず、いま死んでしまわないように夜を生き延びよう


010 いま死んでしまわないように

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