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約束のトーテムポールに会いに【航海日誌:Chaatl村二次遠征】

昨年8月に一度トライし、力不足から撤退した西海岸Chaatl村への旅。リベンジマッチと力試し、複数日程でのカヤックキャンプのトレーニングとして、再度西海岸へと向かいました。

↑昨年のもの

概念図

行程

7/13(土)
15:30 Kagan Bayから出発
16:30 Tree Island通過
18:45 East Narrows手前にて上陸→キャンプ
航行距離:10km

7/14(日)
8:20 East Narrows手前から出発
10:15 East Narrows通過
10:20-45 休憩
11:30 West Narrows手前で水汲み
12:30 Chaatl島の水路を通過
15:00-30 Chaatl Narrowsをポーテージ
16:45 間違えて別のビーチに上陸
18:15 Chaatl村を目指して再出発
19:45 Chaatl村上陸
20:20 Chaatl村出発
21:55 Chaatl Narrowsのキャビンに到着、上陸
航行距離:37km

7/15(月)
10:30 Chaatl Narrowsのキャビンを出発
10:40 Chaatl Narrows通過
11:30 West Narrows通過
12:30 East Narrows通過
14:15-15:30 休憩
17:30 Tree Island通過
18:00 Kagan Bay到着
航行距離:31km

航海日誌

7/13(土)

9時過ぎに起床。昨晩あらかたパッキングを済ませておいて正解だった。朝は出発する気が失せがち。

ハイダグワイ西海岸に位置するChaatl村に向かう。ダージン・ギーツ村近くのキャンプ場から漕ぎ出して往復3、4日の予定。8月後半か9月上旬に二週間ほどのロング・トリップを控えているので、その予行練習の予行練習といった形だ。昨年夏にもChaatl村を目指してカヤックを漕いだが、自分自身の経験値の低さから撤退せざるを得なかった。リベンジ・マッチである。

本格的な長いカヤック旅を見据えて、いつもより気を遣ってパッキングする。食料も余分にもっていく。インスタントラーメン、じゃがいも、米、小麦粉をたくさん。バターと醤油、塩胡椒。厚切りベーコンとメープルシロップも。五日間くらいは満足に食べられる量を詰め込んでおく。

車にカヤックを乗せて家を出発したのは11時半。道中でガス缶を買う。ダージン・ギーツ村に着いたのは2時前だった。もう来週には日本に帰ってしまう友達とリサイクルショップを漁り、よさげなアロハシャツと長靴、持ってくるのを忘れたカトラリー類をゲット。計4ドル。

酒屋でビールを一箱買い、ケーガン・ベイのキャンプ場に向かう。もう何度も漕ぎに来ているスポットだが、いつ来ても静かで美しい。今日はあいにく埋まっていたので、以前シゲルさんに教えてもらった奥のスポットまで行く。

いつもは静かなケーガン・ベイだが、今日は山から吹き下ろす風が強い。早く漕ぎ出して細い水路に入ってしまったほうが良さそうだ。カヤックを車から下ろし、準備をしていると散歩に来ていたおばちゃんに声をかけられる。

「美しいカヤックね。私はここ出身なんだけど、ケーガン・ベイはところどころ浅瀬が多いから気をつけてね」
「お気遣いありがとう。ここは何度か漕いだことあるから、大丈夫だと思います」
「あらそうなの!てっきり旅人かと思ったわ。若い頃はよく友達とカヤックでロバートソン島にいって遊んだりしたわ」
「素敵な思い出ですね」
気をつけてね、とおばちゃんが手を振ってさっていく。誰でも気さくに話しかけ、気にかけ合うというのは素敵なことだなと思う。

3時半に出艇。キャンプサイトから出発した後はまずケーガン・ベイに浮かぶ島嶼群を抜け、モウデ島とグラハム島のあいだの水路を抜けていく。スキディゲート海峡のどこかで今夜はキャンプしよう。

今回初めて導入したギアは、自作のアリューシャン式パドル。イエローシダーの角材から彫り出したものだ。いつも使っているヨーロッパ式カヤックパドルよりも一回り長い。まだ磨き上げはしておらず未完成ではあるが、とりあえずテスト航行である。

波はそこまでだが、陸から吹き下ろす風がなかなか強い。前後のハッチにずっしりと荷物が入っているので安定はしているが、カヤックの横腹に風と波が同時に押し寄せると少しヒヤリとする。自作パドルの調子はなかなか良好。いつものパドルよりもブレード面は細いが、パドル本体もブレード自体も長いので省エネで漕げている感覚がある。

1時間ほど漕いでケーガン・ベイを抜け、静かな水路を心地よく漕ぐ。小さな黒い水鳥が岩の上で怪訝そうにこちらを伺っている。オレンジ色が鮮やかな嘴から見るに、彼らはオイスターキャッチャーだ。日本語ではミヤコドリと呼ばれるようだけど、英名は愛嬌があって好き。

スキディゲート海峡に出る。ハイダグワイの大部分を構成する北のグラハム島と南のモレスビー島とは、このスキディゲート海峡で分けられている。西の太平洋と東のへケート海が混じり合う海峡は最も細いところで25メートルほどしかない。したがって、潮の動きの影響をもろに受けるエリアなのである。

僕が海峡にさしかかった時にはすでに下げ潮で、潮流は進行方向と真逆である。あいにく西の風が太平洋から吹き込んできているようで、風と潮に逆流して漕ぐようなものだ。なかなか進まないし、海面もひどく荒れている。このまま進むのは得策ではなさそうだ。

海峡の対岸にめぼしいキャンプ地があったので、そこを目指して30分気合いのパドル。昨年村田さんのカヤックスクールでトレーニングしていた時、「時には気合いで鬼パドルしなきゃいけないタイミングもあるから」と教えられたことをふと思い出す。

風と波に煽られながらも、体幹でバランスをとりつつ進む。パドルが長いおかげで漕いでいるだけで安定感が増しているのは気のせいだろうか。

歯を食いしばって対岸に渡る。陸に近づくと心なしか風も弱まる。少しばかり漕いでいると、シェルターになりそうな小石のビーチがある。カヤックを上げて、6時45分で今日の行程は終了。2時間15分、10キロの行程である。

まずはドライバッグをハッチから全て取り出し、カヤックを満潮線のうえまで上げる。一息ついてビールを啜る。陸に上がってしまうとさっきまでの暴風は嘘のようで、美しい夕日が差し込んでいる。

少しビーチが海に張り出し、海峡を見渡せるようになっているところにテントを張る。なかなかに美しい寝床だ。今夜は晴れの予報だから、タープを張る必要はないだろう。寝具一式をテントに投げ入れて夕食にする。

出発前に握ってきたふたつの巨大おにぎりには、もろみの醤油漬けとマヨネーズを握り込んでいる。それらをどんぶりに置き、お茶漬けのもとをふりかけて魔法瓶からお湯を注ぐ。日本に帰る友達からもらったインスタントの味噌汁もマグカップに作れば、簡単な和食ディナーである。なお、マヨネーズはあまりお茶漬けのもとには合わないことが判明しました

食事を終えてもまだ8時半。太陽はやっと山に隠れそうだが、日の入りは10時過ぎなのでまだまだ明るそうだ。夕日の当たる苔の上に座り、無線機で天気予報を聞きつつ航海日誌をつける。西海岸の予報は南の風15ノットということだ。北西の風でないかぎりあまり荒れないというローカル情報をもらっていたので、とりあえずは大丈夫そうである。朝8時あたりで満潮なので、早く起きて潮が後押ししてくれる時間に出発したいものである。

ひとりビーチに座って本を読む。一日のやることを全て終え、寝袋に入る前の至福のひとときだ。今読んでいるのはローリー・コルウィンの「ホームクッキング キッチンにいる作家」というフードエッセイだ。古い友人からのハグのような文章、というシアトルの本屋にあったPOPに惹かれて買った本。80年代に書かれたエッセイだが、文章とレシピにはなぜか親しみを感じてしまう。

友達と小さなキッチンで料理をする、という章で、大学一年生の頃に千葉の友人のアパートまで押しかけてチーズダッカルビなり韓国風ホットドッグとか作った日のことを思い出す。みんな元気かな。あのころも楽しかったな。

10時前に寝袋に入る。ヘッドライトを使わなくていいのは楽。

7/14(日)

6時過ぎに起床。テントを開けて外を覗くと、スキディゲート海峡は静かで、東にはすでに太陽が上がっていた。美しい朝である。さっと寝袋をしまい、テントを撤収する。パッキングにシステムがあると手間取らないのでいい。

今日は細い水路を三つ越え、目的地のChaatl村まで辿り着きたい。長丁場になりそうなので、しっかり朝ごはんを食べておく。パンケーキを4枚焼き、メープルシロップでびたびたにして頂く。甘いものはすぐエネルギーになる。

8時20分、スタート。満潮の時刻をすこし過ぎたくらいだったけれど、西の風も吹き出してまたもや逆流パドリングである。幸いこの週末の潮汐変化じたいは大きくないので全然進まないということでもないが、それでも心楽しいものではない。

スキディゲート海峡は東西ふたつの狭い海峡があり、その中間に大きな入江があるという形状になっている。潮が引く時間になると、その入江に溜め込まれた海水が我先にと東西の海峡から出ていくのである。しかし、潮汐の時間や大きさによって、どこが流れ出してどこが入り込んでくるのかが随時変わるというやっかいなポイントだ。

西に向かって漕ぎ進めて2時間、ようやく第一の海峡に差し掛かる。どうやら今は東の海峡の入り口付近で潮が入れ替わっているようで、そこからは流れが味方してくれる。少しほっとする。一番狭いマクラレン・ポイントは25メートルほどしか幅がなく、以前漕いだときには急流といっていいほどの潮の動きがあった。今回はゆったり進行方向に向かって流れているようで、肝を冷やさずにいられた。東の海峡を無事通過。

昨年来た時はこの東の水路を越えたところでキャンプし、食料や水の不足、キャンプスキルの欠如から撤退を決めたのだった。ここから先はテラ・インコグニタである。

ひとつ気に掛かっていたのは、水の補給方法だ。昨年も今年も、出発地点からここまで水源になりそうな小川を一度も見かけなかった。図面に川の記号があっても、どこも干上がってしまっている。6リットルほど水は持ってきているが、それでも不安である。

地図を見ると、西の海峡を超えたあたりにふたつほど小さな沖積平野らしきエリアが見て取れる。川の流域面積からしても、なかなかに広い範囲から水が流れ込んでいるようだ。ここにかけてみよう。水の補給路がなければ、最悪引き返すしかない。

西の海峡は潮流にのってあっさりと越え、地図上で見ていた川のエリアに上陸した。海に流れ込んでいる様子はない。ここも干上がってしまったのか… そう思いつつも、せっかく上陸したので川の跡らしいエリアを少し登ってみる。すると川は枯れ切っておらず、ところどころに深くて綺麗な池ができている。この二週間くらい乾燥した天気が続いていたので、水量が足りなかったのだろう。流れのない水を摂取するのは少し抵抗があったが、あとで加熱すれば問題ないはずだ。

ウェーダーとパドリングジャケットを脱いで、軽く水浴びをする。ほぼ透湿性がないごついウェアを上下に着ているので、中はサウナ状態。ひんやりとした静水に足をつけ、顔を洗う。気持ちがいい。ウォーターバッグをぱんぱんにして一安心。水と食料があるだけでだいぶ不安は減る。

西の海峡を越えると、また大きな入江に出る。ここからは西海岸だ。太平洋からの大きなうねりや吹き込んでくる風の影響をもろに受けることになる。ここも西からの風が強い。海岸沿いに少し遠回りしていくことも考えたが、見たところまだ少し白波が立っているくらいで本気パドルで横断できそうである。山に囲まれた深い入江をひとりで必死に漕いでいると、不安というよりも「自分、今生きてるな」という漠然とした感覚が頭によぎる。

必死に20分ほど漕ぎ、入江の対岸にジャイアントケルプが群生しているところに辿り着く。ジャイアントケルプは世界最大の海藻だ。ハイダグワイ周辺にも多く生息しており、海岸にもよく打ち上げられている。ケルプの森の風下側にくると、巨大な海藻類が波消しブロックの役割を果たして海面を落ち着かせている。
「ハイダ族の村の多くは、ケルプ・フォレストに守られた砂浜に作られていたのよ」
いつかハイダ語のクラスで、村のおばあちゃんが言っていたことを思い出す。ケルプは食用としてビタミン源にもなるし、防波堤として村を守っていたのだ。その意味が実感として理解できる。

入江を渡ると、Chaatl島が見えてくる。目的地の廃村はこの南西の端っこにある。南側の入江に渡るには再度水路を渡らなくてはならない。Chaatl Narrowsだ。
「あそこの水路は干潮だと日上がるんだ。2メートルほど潮がないと渡れないよ」
この島の海を知り尽くしている隣のルークの聞いたところ、ちゃんと潮汐を読まないとカヤックを引き上げて運ばなければならない羽目になるということだった。あいにく、2時過ぎの干潮を少しすぎたばかり。通れないかもなと覚悟しつつ、水路まで漕ぎ進める。荒れたエリアを必死に漕いだ疲れもあり、いったん上陸して30分ほど昼寝をする。

水路に差し掛かると、やはり干上がっていて進めない。カヤックは水深が30センチもあれば進めるが、それでも海水がなければどうしようもない。カヤックを降りて様子を見にいくと、100メートルほど歩けば向こう側の海に出られそうだった。しょうがない、ポーテージしよう。

ドライバッグたちを数回に分けて運び、からっぽになったカヤックを肩に担いで運ぶ。船体自体は25キロほどだが、形状が形状なだけあって担ぐのは簡単ではない。一呼吸いれながら、30分ほどかけてようやく運び切った。漕げないエリアを徒歩で船を運ぶポーテージは大変だが、モーターボートとかだったら島を一周してこなければならなかったと考えればラッキーである。水路の近くには古いキャビンがあった。戻ってくる気力があったら、ここに泊まらせてもらうのもありだな。

Chaatl島の南の入江までくると、目的地まではあと8キロほどの直線航路だ。あまり目印がないが、ルークによると一目瞭然ということである。西に向かってひたすら漕ぎ進める。

朝は晴天だったが、西海岸に辿り着いた頃からは雲が立ち込めている。村のあるハイダグワイ東海岸や北部は年間平均降水量が1500mmほどで、日本の平均とさほど変わらない。しかし西海岸となると話は別である。ハイダグワイの西側には背骨のように山々が連なり、海には日本からはるばる流れてくる黒潮が湿った空気をもたらす。そういうわけもあって、西海岸では年間平均降水量が4500mmとほぼ3倍にまで増えるのだ。これは屋久島の降水量と同じほどというのだから驚きである。

しばらくすると、島と島との間に外海が見える。太平洋だ。雲の合間から差し込む陽光を受けて、キラキラと瞬いている。美しいと感じるのと同時に、少し怖さもある。ここまでくると太平洋からのうねりも入ってきて、水面がゆっくりと、それでいて大きく上下する。カヤックは水の動きを繊細に感じ取ることのできる道具だ。深緑の海が呼吸をするように上下すると、僕を乗せた船もゆっくりと揺られる。ヒリヒリとした緊張感がある。

45分ほど漕ぎ進めると、上陸しやすそうな砂浜が見えてくる。Chaatl村はあれだろうか。海図を確認すると、近くに見えるはずの小さな島がどこにも見当たらない。見逃してしまったのだろうか。だが、あの静かなビーチがハイダの村によく見られる形状をしているのも確かである。航路を読み間違っていたのかもしれないな、と思い、上陸。4時45分、やっとこさ到着だ。

さあ、モスキート・ポールに会いに行こう。パドリングウェアを脱ぎ捨て、ビーチの奥の森を散策する。ビーチ自体は横幅100メートルほどで、ハイダ族のポールは基本的に海岸線の近くにあるので、そのエリアを探す。

ない。ポールはどこにも見当たらない。風化したレッドシダーは白こけた色になるので、若いスプルースの森の中では一目瞭然のはずなのに、数往復してもポールらしきものは目に入らなかった。れっきとしたランドマークのはずなのに、目印らしいものもない。

もしかして、ここはChaatl村ではないのかもしれない。疑念が浮かんでくる。そもそも、到着するのも予想してたよりも1時間近く早かったし、なにしろ唯一の目印ともいえる対岸の小島が見当たらなかったのもおかしい。森はどちらかといえば若く、どこかのタイミングでクリアカットされたようである。ハイダの廃村がクリアカットにあうというのもあまり考えにくい。いくら極悪非道の林業会社でも、先住民の史跡を好き好んで荒らすようなことはしないはずだ。

もうすこし外海に向かって漕いでみようか。時刻は6時過ぎ。日の入りまではまだ4時間ほどある。少し漕ぎ進めて見つからないのであれば、それは宇宙のおぼしめしだと思って帰ろう。そう心に決め、インスタントラーメンをさっとつくって胃に流し込む。もうひと頑張りだ。

相変わらず太平洋に開けた入江はゆっくりとうねっている。ここには道路も住居ももちろん、釣り船もいない。ひっくり返ったりしたらなかなかまずいことになるかもしれない。そんな思いがよぎらない訳ではなかったが、思ったより自分の心は落ち着いていたし、朝からほとんど休みなしに漕ぎ続けていたのに疲れもあまりなかった。

さらに太平洋に近づくと、ずっと先に島影のようなものが見えてくる。もしかして、あれが目印の島か…?さらに近づくと、いろいろなことの辻褄があってきた。やはり海図はうそをつかない。入江の両岸はほとんどが岩礁だが、遠くに小さく上陸できそうなビーチがある。そうだ、あそこがゴールに違いない。

本当の目的地が見えてからはすぐだった。テンポよく木製パドルを漕ぎ、こじんまりとしたビーチに上陸する。すぐ後ろに広がる静かな森に、道標としてのアワビの殻が落ちているのを見て確信した。時刻は午後7時半、こここそが伝説のハイダの廃村、Chaatlである。

Chaatl村はハイダ族のなかでも大規模な集落だったという。十九世紀前半の記録には、35軒のロングハウスに600人近い住民が生活していたというのだから驚きだ。ハイダ族の多くの村は1860年代の天然痘のエピデミックで人口のほとんどを失い、廃村や移転を余儀なくされたが、このChaatl村も例外ではなかった。生き残った村人たちは僕が漕ぎ始めた東側のエリアにHainaという村を作ったが、そこも19世紀末には棄てられてスキディゲート村に統合された。

地面は苔にびっしりと覆われ、まるで空を支えているかのような巨木が間隔を開けて立ち並んでいる。見分けにくいが、歩き固められたようなトレイルがあり、それに従って進む。思ったよりも斜面に位置していた村のようだ。

アワビの殻に従って歩くと、木の影から異様な白い柱が現れた。暗くなりつつある森の中で、色褪せたレッドシダーのポールは輝きを放っているようだった。名にし負うモスキート・ポールである。

正面から見て右側の大部分は腐食が進み、ポールを飲み込んでしまわんとする植物が根を生やしている。しかし左側は、この村から人々が去って150年以上の月日が流れていることを考慮すると、素晴らしい保存状態である。

一番下の彫刻はワタリガラスかイーグルだろうか。中腹にあるのはブラックベアっぽいな。その上にまたカラスかイーグルがいるけど、これもくちばしの形が読み取れないからどちらとも言えないな。てっぺんは腐食が進んでいるけど、あの特徴的な帽子からするにウォッチメンだろう。この豪華絢爛な彫刻の入り方からするに、このポールはフロンタル・ポール——一族の紋章を模った表札がわりのポールに違いない。

横腹に小さく刻まれているのは、カエルのクレストだ。僕にコーホーというあだ名をくれたレオナおばあちゃんの一族のクレストでもある。「カエルは知性を表しているのよ」と教わったことを思い出す。目を凝らして何度も確認したが、モスキートの彫刻はどうしても見つからなかった。すでに風化してしまったのだろうか。

ようやく会えた。胸が熱くなり、何度もこの土地に、このポールに感謝を告げる。ハーワ、サラーナ。創造主よ、僕をここに導いてくれて、待っていてくれて、見守ってくれて感謝します、と。

日本を出て早一年になろうとしている。昨年にこの場所を目指して撤退したのも遠い昔のようだ。この一年間は、僕のささやかな二十五年間の人生において、最も驚き、焦り、そして不安に満ちた一年だった。同時に、今考え直しても奇跡の連続としか思えない、魔法のような一年でもあった。そんなハイダグワイでの12ヶ月が、これからの生活でどんな意味を持つかなんてまだわからない。

ただ、昨年の自分では辿り着けなかったこの場所で、今こうして一本の美しいトーテム・ポールと対面していると、自分がやってきたことはおおまかには間違っていないのではないか、と思えた。

トーテム・ポールを目に焼き付け、村跡を少しばかり散策する。これまで訪れてきた廃村と異なるのは、このChaatl村が少しばかり斜面の上に位置していることだ。比較的波の穏やかな東側と違い、太平洋からの強いうねりと波浪から家々を守るために、少し高いところに建設されたのだろうか。

ところどころに「ポールだったもの」も見受けられる。地面から手を広げるように伸びているもの、2本で対となって並んでいるもの。太いスプルースにもたれるようにしているポールの断片もあった。これらは小規模かつ村の前面に立っているので、おそらくは死者を埋葬した「死者のポール」だったのだろう。

時計の針は8時半を指している。丸一日漕いでいて疲れも溜まっている。どうしようかとおもったが、ハイダの廃村にキャンプを張るなんて畏れ多いし、うねりと風が弱まって入江も凪いている。もう一踏ん張りして数時間前に見つけた空きキャビンのところまで戻ろう、と決心する。漕げる時に漕いでおく、というのもカヤックの師匠に教わった遠征のコツだった。

どこか聖なる気配を感じさせる空気をいっぱいに吸い込み、小川の水を手で救って口に含む。苔の上ではだしになり、ひととき目を閉じる。息を吐き出すと、この場所にまた戻って来られるような気がした。

パドルを握り、コックピットに飛び込んで来た航路を漕ぎ戻っていく。西に向かっているときは太平洋が見えたのと大きなうねりを感じていたのとで緊迫感のあるパドリングだったが、凪いた海のうえをゆったり漕ぐのは相当リラックスできる。

Chaatl島の側面には多くの土砂崩れの跡がある。表土が木々とともに剥ぎ取られ、大きな岩盤が野晒しになり、細い滝のように水が流れ落ちている。この島の大部分もきっと過去に皆伐され、森林としての力が失われていたのだろう。少し悲しくなる。

古いキャビンまでたどり着くことができれば、テントやタープを張る必要もない。テンポよく漕いでいると空腹が襲ってくる。上陸したら何よりもまずビールを流し込んで、ささっと荷物を移して夕食にしよう。ビールモチベはなかなか心強くて、10時までに漕ぎ切ってしまおうと躍起になる。

間違えて上陸したビーチを通過し、しばらくしたら静かな水路近くまで戻ってきた。鬱蒼とした森の中に、ぽつんとひとつキャビンが見える。午後9時55分、上陸。総航行距離37キロ、今日はよく頑張った。ハッチからIPAのロング缶を取り出し、パドリングウェアのまま半分ほど喉に流し込む。ビールが沁みる。

キャビンは古く、建て付けが悪いようでドアがうまく開かない。大きな窓が開いていたのでそこから一度声をかけてみる。返答はない。中にお邪魔してみると、刺繍で案内が書いてあった。
「わたしたちのキャビンへようこそ。あなたも大切なゲストですので、自由に泊まっていただいて構いません。もしわたしたちがやってきたら、どうぞ譲ってください」
なんと寛容なことだろう。こんな辺鄙な場所にキャビンを建てるのは、そう簡単なことではないはずだ。小さな部屋の中には4つの古いベッド、暖炉とテーブルがある。質素な作りだが、屋根と寝床があるだけで相当助かる。

じゃがいもをスライスして海水につけておく。ガスストーブを点火してフライパンでじゃがいもをソテーし、そこに厚切りベーコンを3枚、卵を二つ落とす。たっぷり黒胡椒を振れば、名付けてパドラーズ・ブレックファストの完成だ。夕食だけど。

ベーコンの旨みを吸い込んだじゃがいもは黒胡椒が鼻に抜け、ビールで流し込むとほうっと至福のため息が出る。ロング缶を二つ空け、たっぷりの芋と肉と卵を食べ終わった頃にはすでに外は真っ暗だった。11時過ぎにラジオで海洋気象を確認し、航海日誌をつける。一番まともそうなベッドの上に寝袋を敷いて潜り込んだ。

7/15(月)

耳の周りでずっと虫が飛んでいる音がして、浅い眠りが続いた夜だった。夜10時まで行動していた疲れもあって、ベッドから起き上がったのは8時前。

キャビンの窓からは入江が見渡せる。低い霧が立ち込め、ところどころ雨もぱらついている。しまった、パドリングウェアを外で干しておいたままだった。せっかく屋根があるのだから、キャビンの中で乾かしておくべきだった…。後の祭りである。

満潮は9時半。昨日ポーテージせざるを得なかった水路も満潮の前後1時間は漕いで渡れそうだ。気温は全然寒くはないけれど、雨は気分が下がる。昨晩に2時間近くかけて水路の近くまで戻ってきておいて正解だった。

四日間のキャンプのつもりだったけれど、体力が許せばスタート地点まで漕ぎ帰ってもいいかもな。距離を計算すると、Chaatl島のキャビンからゴールのキャンプサイトまでは31キロほど。昨日の37キロには及ばないものの、なかなかの行動距離だ。二日連続で6時間以上行動するというのもひとつのトレーニングだと思い、今晩までに帰還することにする。

満潮まではまだ1時間以上ある。しっかり朝ごはんを食べて、今日の行動に備えよう。パンケーキを5枚焼き、バターとメープルシロップをたっぷりかけていただく。

荷物をドライバッグにまとめ、9時半過ぎにキャビンを出る。おじゃましました。パドリングウェアをじっとりと湿っていて、ため息が出る。まあ漕いでるうちに汗もかいて慣れるだろう。ウェーダーのベルトを締め上げ、パドリングジャケットの上にライフジャケット。手作りパドルを握り締め、今日も出艇。

水路には30センチちょいほど潮が入っていて、なんとか通過。今日も潮に左右される水路を三つ渡って帰るので、まず第一関門を突破できて安心。

カヤックキャンプにおいて、朝に漕ぎ出すタイミングが僕は一番好きだ。入江はあくまで凪いていて、前後左右には中腹より上を雲にすっぽりと覆われた山々が壁のように堂々と立っている。尾の黒い鹿の親子がこちらを伺っている。霧の立ち込める空をワタリガラスが物憂げに飛び、水面にはウミバトがぽつんと浮かんでいる。僕はひとりのようで、ひとりでない。気配に満ちた自然の中を自分自身で旅するのは、言い表し難い喜びがある。

昨日の午後には荒れていたポイントもすっかり落ち着いていた。一直線に突っ切り、まずは西の海峡にたどり着く。ケルプが流れ出していく潮流に揺られ、浅い水面には小さな波が立っている。流れ自体はそこまで早くないので、調子良くパドルを漕いでいればあまりスピードも落ちずに通過できる。

少し頭がいたい。寝不足と低気圧の影響だろうか。身体の肉体的疲労はあまりないのは幸いだが、どこかで一度パワーナップを挟みたい。ただ、潮流が味方をしてくれている間に東の海峡を越えてしまいたいというのも本音である。もうひとがんばり。

潮流と風が背中を押してくれ、すいすいと東の海峡を抜けてしまった。昨日とは段違いの楽さだ。ナヴィゲーションでも潮と風の向きを優先して考えておく必要がありそうだ。上陸しやすそうな浜を見つけ、シーアスパラガスの草原で大の字に寝転がる。すとんと45分ほど眠りにつく。

昼寝から覚めると3時半。1日目にキャンプした場所が対岸に見える。この調子だとあと2時間くらい漕げばケーガン・ベイまで帰り着けるはずだ。

ここまでくると、釣り船をたまに見かけるようになる。ほとんどはエンジン全開で、そのおかげで僕のカヤックは落ち葉のように揺られることになるが、中には僕の横を通過する時にはスピードを緩めてくれるものもいる。僕も手を挙げて感謝する。

ケーガン・ベイはなかなかに荒れ模様だった。山から吹き下ろすように進行方向の左前から風と波が打ち付ける。今回のカヤックキャンプで一番ヒヤヒヤさせられ、頭もすっかり冴え渡る。カヤックは横腹への波と風に弱いので、風の方に船先を向けながら、流されるのも考慮して漕ぐ。所々に浮かぶ小さな島が風除けの役割を果たしてくれ、一息つけるのがありがたい。

ゴール地点の船着場が見えてきた。最後までひやりとさせられつつも湾を渡りきり、上陸。6時ちょうどである。ずっしりと疲れがきて、そのまま砂浜に横になる。やった。

こうしてひとつひとつ、できることを増やしていけばいい。ナイフだけで火を起こせるようになったのも、目を瞑ってでもサーモンやコッドを捌けるようになったのも、ポールが何を意味するのか見分けられるようになったのも、ささかやな達成である。一年間で手に入れたこの島からの贈り物を、じっくりと確認するような旅だった。

***

家に戻ってシャワーを浴び、この記事を書くためにハイダグワイの地理について詳しく書かれた本をめくっていた。

「Chaatl村には2本の素晴らしい状態のフロンタル・ポールが残っています」

2本…?森の中に立つモスキート・ポールの写真はよく目にするが、村にそれ以外のポールがあるなんて話は聞いたことがなかった。読み進めると、驚きの情報が目に飛び込んできた。

「ビーチからすぐ近くにあるのはイーグル・ポール。その奥を1キロほど西に進んだところにあるのが、伝説のモスキート・ポールです。巨木に隠れるように立っているので、注意して探す必要があります」

唖然としてしまった。僕が見つけたのは、誉高いモスキート・ポールではなかったのだ。長い時間漕ぎ続けて、せっかくChaatl村まで辿り着いたのに、僕はそのランドマークを見逃してしまっていたのだ。陽も沈まんとする時間だったので、少し焦りもあったのかもしれない。

だが、不思議と残念な感情はなかった。もう一度顔を出しに来なさい、そうあの土地が僕に伝えているような気がした。

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上村幸平|kohei uemura
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