目をしっかりと開き、耳を澄ませること【ハイダグワイ移住週報#13】
10/24(火)
トラックの前列にはタロンと僕、後列にはウォーリー(犬)、サルサ(犬)、そしてサミー(猫)。今日は5人でドライブ。タロンが入院するまえに冬用の薪を蓄えておかなければならない。荷台にチェーンソーとライフルを載せ、ノース・ビーチに向かう。
こっちにきた初日から彼とは幾度となく砂浜をドライブし、薪ストーブ用の木材を探し求めてきた。僕も目が肥えてきたようで、流れ着いた流木のなかからどれがいいサイズか、乾いているか、レッドシダーかイエローシダーか、などを見分けられるようになってきた。
ある程度木材を荷台に確保すると、ライフル講習が始まる。すでに今シーズンは何度も狩猟には同行しているが、ライフルを打たせてもらったことはなかった。砂浜にトラックを止め、犬たちを静止させ、30メートルほど先に標的として木材を立てる。
「焦るんじゃないぞ。深呼吸をしながら、各動作を確認しながら落ち着いてこなすんだ。装填、エイム、セーフティ解除、ズドン。簡単だろう?」そう教えられ、ライフルを構える。本物の銃は思ったより重く、安定しない。アクションシーンの銃撃なんてほとんど茶番なのではないだろうか。
息を落ち着かせ、遠くの的に狙いを定める。安全装置を解除し、再度人や犬が周りにいないことを確認する。スコープを覗き込み、トリガーを引く。キーンと音が飛ぶと同時に、肩に大きな反動を感じる。銃口が煙を吐いている。「命中だ。やるじゃないか」
初めて銃を手にし、初めて発砲する。達成感や解放感、力の感覚というよりも、誰も傷つけなかったことの安心感とこの火器の手軽さと力強さに慄く感覚が強かった。
10/25(水)
倉庫を掃除していると、古い自転車が出てきた。ペダルの変速は上手く動かないが、町に通う分には問題なさそうだ。マセット村までは片道10 キロ、自転車では30分ほどだろう。ガソリン代節約のためにも自転車で図書館に向かう。
外部メディアに連載している記事を書き進める。noteやインスタに投稿しているものとは方針を変え、お世話になっている編集者の方と話しながら一つのテーマに沿って書いている。
🖊️連載記事#01はこちら
日々の出来事をつらつらと記録していく週報の形式は、ここでの生活のメモという側面が強い。一日に起こったことの羅列に、ときどきの気づきを添えて文章にする。基本的には時系列で書けば形になるので、テンプレートとしては楽な作業だ。
それに対して一つのテーマをもって文章を書くとなると、書き進めるプロセスは大きく異なる。何のテーマで書こうか?出来事はいつのものを、背景知識はどの媒体のものを使おうか?冒頭は情景描写から入るなら、あの日のシーンが上手くハマるだろう。では写真はどの順で見せればいいのだろう?
僕は別にライター業の経験があるわけでもなく、基本的に誰にも頼まれることもなく勝手に文章を書いてきた。3年前に「ちょっと文章も書けるようになってみるか」と思い立ち、ひたすら本を読んで自分をことばの海に沈めた。最初は何をどう書けばいいのかなんて見当もつかなかった。noteの記事もFBやインスタの投稿も基本アーカイブにはせず全て公開されっぱなしになっているが、どこかしこにも気恥ずかしくなるような文章が散らばっていて頭を抱えたくなる。それでも「ものを書く」ことを身に付けたくて、色々なテーマ、さまざまな文体に手を出しながら試行錯誤してきた。
今、ハイダグワイという極めて特異な地がテーマとして手の内にあり、ようやく自分の中から出てくることばを少なくとも意味が通るように紡げてきた感覚がある。もちろん自分が好きになれる、納得できる、自信の持てるような文章にはまだ程遠い。それでも、今は読むべきものを読み、書けるものを書く。目をしっかりと開き、耳を澄ませながら。
10/26(木)
同居人のタロンが本土へ。ちょっとした手術があるらしく、三週間ほどプリンス・ルパートに滞在するのだとか。ハイダグワイにもクリニックはあるが対応できる治療は限られるため、ちゃんとした治療を受けるには本土に渡ることを迫られる。離島ならではの状況だ。
もちろんその間は僕が留守番をするわけで、もろもろのことを託される。井戸のこと、電力のこと、犬と鶏の世話のこと、非常時のこと。もっぱらはこちらにきて三ヶ月の間で彼から学んだことではあるが、それでもひとりでカナダのど田舎の家に住むとなると背筋が伸びる感覚がある。
「数週間、この土地は君の自由だ。楽しみなよ」そう言い残して、彼はトラックを走らせていった。家にはゴールデン・レトリバーのサルサと猫のサミー、そして僕。なんだか楽しくなりそうだ。
10/27(金)
朝起きると、車のフロントガラスが凍っていた。バケツにお湯をためて窓にかけていく。ここ数日、芯を持った寒さが続いている。もう十月も終わりだ。
陽に照らされ、地に這うように空間を支配していた朝靄がまどろむように晴れてゆく。今日も気持ちよく片道一時間半のドライブ。スキディゲートまでの通勤も慣れたものだ。
フライド・チキン・フライデーというキャンペーンを始めたこともあり、博物館のビストロは金曜日にピークを迎える。同じ建物内で働く人々はもちろん、お腹を空かせた町の労働者や家族連れでお昼時は特に賑わっている。
僕たちのビストロが入居しているハイダ・ヘリテージ・センターは複合施設。膨大な資料数を誇るハイダグワイ博物館、ブリティッシュ・コロンビア大学などと提携してフィールド実習を提供する高等教育機関であるハイダグワイ・インスティチュート、南島の大半を占める保護区「グワイ・ハーナス国立保護区/ハイダ遺産地区」を統括する事務所などが位置しており、ハイダグワイにおける文化・自然保護・教育活動の拠点だ。
お昼時を手際よくさばき、賄いをいただき、三時過ぎには閉め作業。全て終わると、陽気なシェフ・アーマンドにホームパーティに誘われる。ハロウィン・パーティである。特に仮装の用意もせずに遊びに行くと、主催者がエヴァだった。シェフのアーマンドはエヴァとシェアハウスをしているらしい。また会ったな!と抱擁をする。
エヴァは僕が日本にいた時、村のフェイスブック・グループに住居探しの投稿をした際にメッセージしてくれた一人。ハイダグワイに引っ越すフェリーでも僕を見つけてくれ、気さくに話しかけてくれた。グリーンとパープルの長髪を翻して村を闊歩する姿はひとめで彼女だと分かる。生粋のパリピ看護師だ。彼女は今日も気合の入ったコスチュームとメイクをしている。
ハイダグワイで生活をするのは先住民ハイダ族の人々だけではない。特に医療・介護の分野においては慢性的な人材不足で、本土から多くの若者が移り住んでくる。その多くはナースの資格を持っており、数年の任期をハイダグワイに数カ所ある病院で過ごす。そしてその多くはこの地に魅了され、居着くことになる。エヴァも数年前に看護師としてこの島に来た、と語っていた。
こうした欧米式のホームパーティはいつぶりだろう。シェフがシェイクしたマルティーニを何度も流し込み、テキーラでひたひたにされたパーティ用のショットグラスを開け続ける。リビングではクラブ・ミュージックが鳴り響き、リンボー・ダンスも始まった。今日集まっている多くは、本土から移住してきたいわゆる白人。自分と歳も近い彼らは、このど田舎にあってもやはりパーティが恋しいのだろう。
***
「君のストーリーはなんだい?」酔いを覚ますためにバルコニーで風に当たっていると、ネズミのメイクをした男に話しかけられる。ドリューと名乗る彼は林業を大学で学んだ後、ハイダグワイの森で働いている。
日本人で、二十代で、縁もゆかりも仕事もないけれどハイダグワイに来た、という話をすると、基本的に誰でも同じような質問を投げかけてくる。「この島を見つけたきっかけは?」「なぜハイダグワイに?」きっと自分自身でも疑問に思うだろう。そう聞かれるたび、僕も半ばテンプレートと化してきた内容で返答する。
だからこそ、自身の「ストーリー」を尋ねられるのは新鮮だった。よく考えれば、ここにいる人々は皆、この島に行き着いたおのおののストーリーを持っているはずである。一問一答の質問では捉えきれない、包括的な人生の物語が。
彼と交わした「ストーリー」はあまりにも親密かつ冗長なので、ここでは詳にしない。物語を交換しあったあとの心地よさと体を火照らせるアルコールを抱えながら後部座席のシュラフに潜り込んだ。
10/28(土)
しっかり水を飲み続けたこともあり、車の中で起きた時には二日酔いを感じなかった。ひと安心。犬と猫を家に残したまま一晩を明かしてしまったので、午前中のうちに家に帰ることにする。
帰り道、少し寄り道をする。ポート・クレメンツからロギングロードに入り、ハイダグワイ随一の河川であるヤクーン川を遡る。訪れたのは「ゴールデン・スプルース・トレイル」。巨大なシトカ・スプルース(トウヒ)が精霊のように繁茂し、地面は深い苔で覆い尽くされる神秘的なトレイルだ。
ゴールデン・スプルース—ハイダ語では”キード・キーヤス”—とは、かつてこの森に聳えていた一本の神話的なスプルース。遺伝子変異により黄金の葉をつけたその木は、何世代にもわたってハイダ族の神木であった。
1997年の冬、その伝説の神木は悲惨な運命を辿ることとなる。50メートルにもおよぶゴールデン・スプルースは、とある森林技師の的外れな抗議活動として一晩のうちに伐採されてしまったのだ。その悲しみと喪失感はハイダ族はもちろん、カナダ全土にも及んだ。犯人は直ちに逮捕されたが、保釈後にカヤックで北に向かう姿が目撃されて以降、行方不明となる。見つかったのは大破したカヤックの残骸だけだった——
現在のゴールデン・スプルース・トレイルには、もちろん例の聖なる木はない。それでも森には伝説を伝えるメッセージボードが掲げられ、巨木が力強く根を張り、そこかしこに不朽の神話の存在を感じさせられる。
10/29(日)
2023年は本気で遊んでいる大人に沢山出会った一年だ。村田さんもその一人。二十代でカナダに渡った際にカヤックと出会い、関東のカヤックショップで修行を重ねた。バンクーバー島、ハイダグワイ、ニュージーランドを漕ぎ、日本列島4,400kmを横断した。そして西伊豆の松崎でカヤックショップ兼キャンプ場をオープンし、日々人々を海に駆り立てている男である。
ハイダグワイを漕ぎたいんです、とメールして今年の三月に初めて松崎町のカヤックスクールを訪ねた。会った瞬間から、カヤックやキャンプのこと、ハイダグワイやインサイドパッセージのことなど、村田さんは自身の思い出を重ねながら隅から隅までを教えてくれた。
数回通ううちに、村田さんも「俺もハイダグワイ、行きたくなってきたな、、」と呟き出す。そうこうしているうちに僕は島に引っ越すこととなり、数ヶ月後、村田さんが本当に来た。一番弟子のまりさんと共に、カナダ中の二十年来の友人たちを訪れながら、二週間かけてハイダグワイまで来た。村のスーパーに迎えに行くと、よく焼けた丸刈りの大きな男が、子供のようないつものくしゃっとした笑顔で待っていた。
家まで案内し、日が暮れてしまう前にビーチを散歩する。今日は大潮。遠浅のビーチは干潮で、海岸線は遥か彼方にある。先週までの嵐続きの天候が嘘のように、ふたりが島に来てからカラッとした穏やかな天気が続いている。自分がいつもひとりで走っているビーチに、こんな地の果てに、春の西伊豆で出会ったふたりがいるのは不思議な感覚だ。
「ローズ・スピットの少し手前でキャンプして、沖の方をショートカットするように漕いだんだよ。このビーチには上陸しなかったけど、立派な家が立ち並んでるのを見たのを覚えてる」村田さんが最後にハイダグワイを訪れたのは2007年。カヤックで北島・南島を一周したのは2003年のこと。西伊豆に通うたび、20年前の冒険のことをとても大切そうに語るのを聞いて、僕もこの場所への思いを募らせたのだった。
帰宅してシャワーを浴びてもらっている間に、彼らに夕食を作る。自分が釣って冷凍していたコーホー・サーモンの切り身を解凍し、醤油・みそ・ブラウンシュガー・バターでムニエル照り焼きにする。オイスターソースで味付けした野菜炒めと玉ねぎの味噌汁、そしてなけなしの日本米を鍋で炊く。ここでできる精一杯の和食メニューだ。間違いない。僕たち三人とも腹ペコで、四合炊いた米も簡単に平らげてしまった。
夕食を済ませた後は薪ストーブをかんかんに焚き、コーヒーを淹れる。村田さんは今回の旅で再開した友人たちの話を、僕はカナダに来てからの生活とカヤック旅を、写真を見せ合いながら語り続けた。
日本から持ってきてもらった物資もいただく。モンベルさんに支援いただいた数々のギア、実家から送られてきた筆記用具や小物類。洋二郎さんに預けてもらった二冊の本も届けてもらう。年季の入った開高健の文庫本二冊。
「当時、カナダにいる日本人とは会うたびに本の貸し借りをしてたんだ。世界を何周もしていた本もあったよ」海外旅行の自由化が進み、日本円がまだ強く、若者を外の世界にそそのかすような作家たちが精力的に活動していた90年代。1996年にピークを迎えた20代の若者の海外出国数は、開高健や野田知佑、沢木耕太郎、椎名誠に星野道夫らの「そそのかし文学」の影響も小さくないはずだ。
本気で遊び、人々をそそのかすような先人に駆り立てられ、村田さんもカナダに渡りシーカヤックに出会った。彼をはじめとした多くの大人とさまざまな本に誘われ、僕も海を渡った。そんな文章や人々、遊び方に出会えたことは幸運だったと思う。自分もいつか、誰かをそそのかすようなものを作り上げることができるのだろうか。
10/30(月)
朝寝ぼけたまま下の階に降りると、ふたりはもう起きていた。昨晩熱めに焚き付けた薪ストーブのおかげで家はじんわりと暖かい。
朝食にはまりさんがサンドウィッチを作ってくれた。スキディゲートを午前10時に出るフェリーで本土のプリンス・ルパートに向かい、バンクーバーまで南下、そしてバンクーバー島に渡るという大移動だ。そこにもまだ会わねばならない友人がいるのだとか。朝ごはんを平らげ、ちょっとお茶を飲んだらふたりは出発する支度。ターミナルまでは片道一時間半かかる。
「じゃ、また来年!」そう村田さんが窓から手を振った。村田さんたちは来年夏、ハイダグワイでカヤックツアーを挙行するためにまたやってくる。また、と挨拶するのは不思議な感覚だ。彼らがまたこうして僕の村まで戻ってきてくれた時、食卓を囲みながら話せるような記憶をたくさん自分の中に蓄積させておきたい。
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🏝️カナダ最果ての地、ハイダグワイに移住しました。
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