空の色が変わるのは地球が動いているから
夕焼けの美しい日が続いた。
火曜日の夕方、いつものように私と犬は、4年生の女の子を交差点まで送っていく。
火曜日のレッスンは4年生の仲良し女子二人組で、6畳和室の教室に飛交う大量の日本語にぽっちりのIやらyouやらtodayやらyesterdayやらdoやらdidやら…エトセトラ、意味がわかってもわからなくても、とにかく口に出させれば私の勝ちというわけ。
レッスンが終ると夕方6時20分、3軒先に住んでる子はSee you!と走って帰っていき、通りの向こうに住んでいる子は、私と13歳のトイプードルが連れ立って人通りの多い交差点まで送っていくことになっている。
夏の夕方はまだ明るくて、坂の上から下まで蟻の行列が延々と続くのを追っていたりすると交差点までなかなか辿り着かないが、2週にわたる夏休みを経て9月に入った先週になると、レッスン後の戸外はもう夕闇に包まれていて樹上から降ってくるアオマツムシの声に背中を押されるように少し早めの足どりで歩く。
「今日も夕焼けがきれいだね」
坂の上からは町並みを包む空が見渡せる。空は濃いブルーとオレンジの2色に分かれ暮れかかっていた。これから上のブルーが下のオレンジをどんどん侵食していき、辺りは暗くなっていくのだ。
真っ直ぐ続く下り坂には、途中で数軒の住宅をコの字に回り坂へともどる短い脇道がある。今日はなぜかこの回り道を通りたいと犬が云うので、夕空から目を離して脇道へと入った。
家々の間をぐるりと回ってほんの少し下ったところで坂道に合流した。またしばらく歩いてふと空を見遣ると、脇道に逸れていたおそらくほんの3分程のあっという間の空の変化に驚いて声をあげる。ついさっきまで2色のグラデーションだった空は濃紺が圧倒してもう裾にほんの少し薄いオレンジが残っているだけだった。
「わー、すごい、地球ってこんなに速く動いてるんだ!」
と呟く声がした。
「地球…?」
「そうだよ、地球が動くと夕焼けになったりするんだよ!」
つるべ落としだね、なんてありふれた慣用句を発しようとしていた私は、数メートルふっ飛ばされたように頭がふらつくのを感じた。
きっと最近、天体のしくみを理科の授業かなにかで習ってのこの発言だと思うのだが、とにかく正しく、そして強かった。
空の色が変わるのは日が暮れるからではない。日が落ちるのが早いのは、季節が変わるからではない。地球が動くからだ。私たちオトナは原因と結果を取り違えてその事に気づかない。
秋はほんとに日が落ちるのがはやいですねぇ、なんていうお天気会話が事実、こうやってオトナ達の視界を狭めていってしまうのだと納得せざるを得なかった。空の色は毎日違うのに、夕焼けという一言で括って、季節や天気の一項目に片付けてしまう。昼間は抜けるような青色の空が夕方にはオレンジや濃紺になる不思議を、それらの色合いが刻々と変わっていく様を、ボタンひとつで付けたり消したりするモニター画面の現象と同列に並べて、ただ分類して、当たり前の、取るに足らない一項目として扱って物知り顔でいれば、思考停止を知恵のように見せかけることもできる。私も昔はそんなオトナを馬鹿にしてたのになぁ。
季節の移ろい、だとかそんな型にはまった時の流れではなく、空の変化を地球の動きとして感じられたら、強い。だから子どもはオトナより強いんだ。
天体のしくみを知ったばかりの頃のあの目で世界を眺め続けられたら、毎日が、毎時間が、毎秒が、きらきらと輝き続けるはずなのだ。
私の毎日がきらきらしていないのは、口応えばかりの娘や反応の乏しい夫や際限のない家事や仕事のせいではない。私自身が変わってしまったからなのだと、夕闇の中でふいに気付かされてしまった。
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