しりぽっけ

いつも諦めてばかりの私ですが、いまはほんのちいさなことも何処かの誰かに伝える努力をしてみたいのです。

しりぽっけ

いつも諦めてばかりの私ですが、いまはほんのちいさなことも何処かの誰かに伝える努力をしてみたいのです。

最近の記事

問い

私が何を必要としているかを考える。 他人が必要としていることを供給しなくてはと思い詰める。為すべきと思われていることを為すべきで、そうしなければ存在を許されないという思い込み。 私が何を必要としているかを聞いてくれる人は誰もいなかったし、自分で考えてみたこともなかった。 他の人があれこれ必要としているのなら、それに自分が応えようとし続けているなら、私自身にも何かが必要なはずで、私自身、あるいは他の誰かが、それを満たしてくれてもいいはずなのに。何かを必要とすることも満たすことも

    • 怖れ

      書こうと思うと何かが怖い。 なにから始めるかをすごく迷う。 どこからでもまず始めればよいはずなんだが、間違った場所から始めてしまうと、通りたいところを通れなくなってしまうんじゃないだろうかと怖れている。 その怖れはたぶん正しくない。 それはただの妄想に過ぎない。 手がかりをちょっとでも見つけたら、そこからとにかく始めない限り、どこにも行けない。 そのことはこれまでの長い人生で存分に知っているはずなのに。

      • なににも意味がないということは、なににでも意味があることと同義だと考えている。ということは、特別な意味付けを排除したい気持ちを抱えているということ。あるいは恣意的な意味付けは不可能だし意味がないと思っている。

        • 薬を飲むように珈琲を飲む。甘いもののひとつをつまみもしないで。一日じゅう理由もなく粟立つ心を瞬間でも鎮めて息をつくことができるよう、ゆっくり飲み干す。自分の為でなく他人の為に珈琲を淹れる人になれば、心はもっと平穏に近づくのだろうか。自分を労るのも他人を労るのもひどく難しい。

        • なににも意味がないということは、なににでも意味があることと同義だと考えている。ということは、特別な意味付けを排除したい気持ちを抱えているということ。あるいは恣意的な意味付けは不可能だし意味がないと思っている。

        • 薬を飲むように珈琲を飲む。甘いもののひとつをつまみもしないで。一日じゅう理由もなく粟立つ心を瞬間でも鎮めて息をつくことができるよう、ゆっくり飲み干す。自分の為でなく他人の為に珈琲を淹れる人になれば、心はもっと平穏に近づくのだろうか。自分を労るのも他人を労るのもひどく難しい。

          擬態

          娘は小6になって、ひと通り結婚やら子育てやら犬育てやら経験してきて、今になって思うのは、普通の人のフリしてしれっと生きてきたなあということ。 過剰さを好むところとか、0か100かみたいな感覚、ヒモ気質(女だけど)、生きるのが怖いのに死ぬのが怖い感覚とか、ただ風に吹かれて青い葉が裏返るのを眺め続けるだけでいいと思う感覚とか、誰にも共有することなく、ひたすらにひたすらに普通の人に擬態して何十年も生きてきて、もう無理、と思うのが今だというのはどうなのかと。 擬態ではなくほんとに普

          三流どころか五流以上、それがお囃子、という話

          未読ですが、「三流のすすめ」という本があることを知り、なるほどとつながった考えを書きます。 現代社会では一流が素晴らしく、三流は一流になれなかった人、と蔑む意味合いの強い言葉ですが、もともとは三流=多流、中国古典「人物志」によると大臣を選ぶなら一流でも二流でもなく三流以上の人がいい、とその視野の広さを利点ととらえています。 地域により様々ではあると思いますが、私の住んでいる地域では、お囃子は全員がそれぞれ①小鼓(こづつ、締太鼓のこと)、②大鼓(おおづつ、大太鼓のこと)、③チ

          三流どころか五流以上、それがお囃子、という話

          ピアノの蓋から片手離して次の救命具を掴むのは、器用な人にしかできないかも。 掴むか離すかどちらかしかできない不器用な人もいて。

          ピアノの蓋から片手離して次の救命具を掴むのは、器用な人にしかできないかも。 掴むか離すかどちらかしかできない不器用な人もいて。

          時間の影 日々の微細な傷跡

          時間の影 日々の微細な傷跡

          何にもなりたくない自分を肯定する術を知らず、何にもなれない自分を責めて責め続けて半世紀、誰とも本当の会話が成り立たない私をもう許せ。

          何にもなりたくない自分を肯定する術を知らず、何にもなれない自分を責めて責め続けて半世紀、誰とも本当の会話が成り立たない私をもう許せ。

          美味しいね。が幻想だと気づいても。

          食は匙加減で技術でエンタメであって、栄養学とは関係がない。 栄養があって美味しいものなんてどうでもいい代物だと思ったりする。エンタメはエンタメ、栄養は栄養だと言い切るべきなのに言い切れないイサギ悪さが鬱陶しい。 朝、適量を食べそこねたので10時にお腹が空く。子供か。ちゃっと茹でたパスタにシュレッドチーズを絡めて、かにだしを少々と粗挽きの黒こしょう。コバラに効くマジ美味メニュー。 その実態はゼロ。栄養面はカッスカス。農薬だらけの小麦をこね回して作った安売りのパスタ、腎臓弱い私

          美味しいね。が幻想だと気づいても。

          まだ8時前なのにバイパスがめちゃくちゃ混んでいる。晴れた日は皆浮かれて出掛けるものなのだね。

          まだ8時前なのにバイパスがめちゃくちゃ混んでいる。晴れた日は皆浮かれて出掛けるものなのだね。

          生きてるだけで価値があるというけれど、価値がいらないと思ったときはどうしたらいいだろう。わたしを価値のあるなしの類型にしないで、とわたしに願う。無用なわたしでいたい。

          生きてるだけで価値があるというけれど、価値がいらないと思ったときはどうしたらいいだろう。わたしを価値のあるなしの類型にしないで、とわたしに願う。無用なわたしでいたい。

          わたしは足りていないという感覚を持ち続けて生きることをやめることにした。 もっと早く取り掛かれたとかもっと上手くできたとか考えず、ただなにかを達成したことを味わうだけにすればいい。もっともっとと求めることが向上心だと思っていたが、そのおかげで向上したことは一度たりともなかった。

          わたしは足りていないという感覚を持ち続けて生きることをやめることにした。 もっと早く取り掛かれたとかもっと上手くできたとか考えず、ただなにかを達成したことを味わうだけにすればいい。もっともっとと求めることが向上心だと思っていたが、そのおかげで向上したことは一度たりともなかった。

          14歳トイプ女子、ようやくほんとに旅慣れたという話

          生後2ヶ月の子犬の頃にやってきたジジは、先月で14歳になった。 犬も14年も生きるとこの世によく馴染んで落ち着き払っている。 私達は4年前にキャンピング仕様のハイエースを買ってから年に一度、車で少し長めの旅に出る。最初の年は夏休みに出掛けたが暑すぎて、GWの旅が家族の恒例だ。今年はいま、出雲に向かっている。 いつも一緒に車で旅しているので旅慣れた犬だと思う。車酔いしたのは一歳の頃に三重で山道を走った一回だけで、二回目以降相変わらず山道は苦手そうにしているがなんとか乗り切れ

          14歳トイプ女子、ようやくほんとに旅慣れたという話

          埋もれ、芽吹く、ヒヤスンス=希望のスンス、私の場合。

          昨年ヒヤスンスの球根を3つ買って、2つは空き瓶で水耕栽培し、ひとつは鉢に植えて楽しんだ。 花の植え替え時がわからない性質で、整然といつでも華やかな花壇を手に入れたこともないし望んだこともない。盛りの花や季節外れの萎れた葉、落ち葉や雑草が雑然としている様が好きなので、花の終わった球根を掘り出しもせずそのまま置いていたら寒くなるとちゃあんと芽吹いて小さな花芽まで出てきた。 名も知らぬ草や枯れ葉とならんで伸びる濃い緑の葉が鮮やかだ。 横浜の片田舎の建売住宅の小さな庭の片隅の粗末な

          埋もれ、芽吹く、ヒヤスンス=希望のスンス、私の場合。

          母と娘の冬休み。闘争編

          冬休み前日、半日で学校が終わり、髪をかきあげながらインスタントラーメンをかっこんだあとメイクにネイルチップ、髪にはクリプレのヘアオイルを香らせ、お友達とプリクラ撮りに行く小5女子。なんだろう、行動と年齢がバグってると感じるのは、わたしが時代に取り残されてるから? 今年、暦の並びでまる2週間のなかなかに長い冬休み。放っておけば、一日中スマホとSwitchとユーチューブとファッション誌三昧だろうと思う。実際、夏休みに放置気味にしてみたが一日中パジャマでゴロゴロしている日がほとん

          母と娘の冬休み。闘争編