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映画館

私は映画館に一度だけ、行った事がある。

それは、北野武監督の
「あの夏、いちばん静かな海。」である。

私は、テレビのない世界で生きてきた。

だから、北野武監督と言う人の存在を、
私は知らなかったし、お笑い芸人だと、
後から、知ってとにかく驚いた。

テレビ等のメディアの娯楽を、
全くもって、してこなかった私。

なぜ、この映画を知ったのか。

それは、偶然…必然だったのかもしれない。

いつもは、見向きもしない、映画館前に、
とても綺麗な海がメインのポスターが
飾られいて、私の心は奪われた。

内容も分からず、観てみたいと思った。

はじめての映画館。

映画館には、
気にはなっていたが、
そう言う娯楽を知らないし、
情報すら、知るすべがないのだ。

なので、何の情報もなく、
ただあの海のポスターに惹かれ、
気づいたら、映画館に入っていたのだ。

その当時は、ずっと上映されていて、
途中から、入って2回映画を観た。

すると…主人公とその彼女は、聾唖であった。

つまり、耳の聞こえない二人の話である。

とても、切なくて、悲しくて、愛しくて、
そして、音のない世界観がとてもリアルだった。

セリフもほとんどなく、言葉はなくとも、
演出がそれを引き立てていた。

1回目は、ただ、ただ、感動して泣いた。

2回目は、かあちゃんと重ねて観てしまっていた。

かあちゃんも聾唖である。

そして青春をして恋愛をしてたのだ。

それは、かあちゃんは、
17歳で私を産んだと言う事実が、
青春と恋愛をした証明として存在している。

私の父親は消えたとかあちゃんは言う。

でも、この映画を観てたら、

私の父親は、もしかしたら私が産まれる前に、
この世にはいなくなったのかもしれないと、
感じるぐらい、のめり込んだ。

淡くて、切ない、聾唖の恋人達の、
何気ない生活や苦悩や悲しみ。

それでも、がむしゃらに生きていた。

かあちゃんも、こんな恋愛をしてたんだろうか。

かあちゃんの生まれ故郷は、
北海道の太平洋が目の前にある所にある。

こうやって、海を眺めながら、
潮風に吹かれ、音のない海の、
波立つ流れを見て楽しんでいたのか。

気づいたら、
1回目よりポロポロと泣いてしまっていた。

北野武監督は、とても素晴らしく、繊細な、
監督なのだと素直に思った。

耳の聞こえない、かあちゃんと生活してて、
こんな描写なんて、考えもしなかったし、
何よりも美しいと思ったのだ。

かあちゃんには、
この映画の事は言わなかった。

でも、かあちゃんだって、
こんな時代があったんだろうと思うと、

とても、愛おしく感じたし、
あの世界観にいたんだなーと思うと、
少し羨ましく感じた。

耳が聞こえないから、

学び得るモノはある。

感じ取れるモノがある。

かあちゃんは、とても賢い。
そこには、色んな過去があったからだろう。

耳が聞こえないからって、バカにして!
そういつも泣きながら叫ぶのだ。

誰でも、構わず、ケンカして、
かあちゃんのプライドは、保たれていた。

だから、誰も知らない遠い町に、
産まれてまもない、赤子の私を連れて、
孤独と無音の中で戦い、生活をはじめたのだ。

誰にも頼らず、仕事でも苦労しただろう。

かあちゃんは、私の前では、
決して、仕事の愚痴は言わない。
と、言うか愚痴る前にケンカして辞めるのだ。

あの映画に映っていた、男の人は、
聾唖だけど、ごみ収集の仕事をしていた。
かなり、辛く、哀れな姿がそこにはあった。

だけど、主人公の男の人も、
かあちゃんと同じで、強くたくましかった。

それが、余計にかあちゃんと重なる。

もう一度、あの映画を観たいな…。

かあちゃんは、もういないけど、
はじめて観た時とは、違う感情や思考に、
なって観れる様な気がする。

私が唯一、映画館で観た映画。

スクリーンに映る、あの美しい映像が、
私の中で、今も鮮明に残っている。

あの映画をもう一度観たいのは…

もしかしたら、かあちゃんの姿と、
主人公を父親に重ねて、また会いたいと、
私は願っているのかもしれない。

かあちゃんの青春として、私の中では、
そう思って観てしまっているのかもしれない。

かあちゃんと父ちゃんが主人公になって、
またあの二人に会いたいんだ…。


すごく…会いたいよ…。

あの、世界観の中に、いつか行きたいと願う。



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