【生理ひどいので】ただ健やかに普通に生きたいだけ【ピル処方してもらった】
『マグロは一生泳ぎ続けなければ死んでしまう』
幼いころ、初めて聞いた時は衝撃だった。
マグロは口を開けたまま泳ぐことで鰓に水流を当て、新鮮な酸素を取り込み呼吸をしているから、泳ぎを止めると窒息してしまうのだ。さらに、海水よりも密度が高く重たいからだが暗い海の底に沈んでしまわないために、日夜問わず彼らは冷たい海の中で泳ぎ続けている。
ふかふかのお布団で寝るのが大好きで、運動が苦手だった私は「一生休めないなんてかわいそう。ゆかりは人間に生まれてきてよかったぁ」と他人事のように安堵したものだ。
『マグロは一生泳ぎ続けなければ死んでしまう』
人間も、同じかもしれない。
私がふとそう思いついたのは、6月のじわじわと暑くなる正午のことだ。一時間ほど集中して読書をしたあと、んん~と背伸びをした。
幼いころの記憶が久しぶりに意識下に現れ、そんなことを思ったのは、ようやく念願だった低用量ピル(ヤーズフレックス)を処方され、昨日から服用を始めたからだろうか。
ピル、と聞くと嫌なイメージやマイナスイメージを抱く人も多いかもしれない。生理のないからだである男性だけでなく、詳しい知識のないひとたちや生理が重くない女性には、確かになじみの薄いものだろう。
近年ようやくテレビやSNSで正しい情報を発信されはじめ、女性の生理についての理解も深まりつつあるにせよ、これまでの日本の性教育の在り方やマスコミの過剰なあおりや偏向報道のせいで、誤った認識をしているひとは残念ながら決して少なくはないのではないかと思う。
奥様や娘さんのいる男性でさえも、生理はセックスをしたあとに1日くらい血が出るもの、と認識している方もいるのだと聞き、毎月10日程度はPMSに苦しみ、7日間は私の意志とは無関係に股から血が流れる生活をしている私は心底驚いたものだ。
私の処方されたピルには、避妊の効果はない。
月経困難症の改善、PMS(月経前症候群)の軽減、子宮内膜症の進行抑制が主な目的である。
こうして羅列してみるとなんだかいかつい漢字が並んでいて、難しい病気に罹った特別な人が薬を飲むということなのか、と思ったかもしれない。
決して、そういうわけではない。
私はこれまで、ただ生理が重いだけ、女に生まれたのだから当たり前、生理は病気じゃない、健常な成人女性だ、ととらえていた。けれど、友人や母の勧めで名医であるという女医さんのいる婦人科へ足を運んだのがきっかけで、薬でこの辛さを軽減できるのだと知った。
そもそもの始まりは、昨年まで勤めていた前職の事務の仕事を、非常に忙しく仕事量が多いことに耐えられなくなってやめたことを、私が気に病んでいたからだった。やめた理由はそれだけではなく人間関係になじめなかったことやパワハラめいた行為など、些細な理由はいくつか挙げられるのだが、身体的にも精神的にも追い詰められてやめた後も、自分がいかに無能で能無しなのかと自責の念に駆られていた。
けれど、よくよく考えれば、それは私の能力の問題というより職場の環境や上司の対応の仕方、そして生理やPMSが原因ではないかと思われる点が多々見受けられた。
その日は、PMSのせいで頭がぼうっとしていて眠気がひどく集中力が続かず、頭が真っ白になっていた。書類やPCに書いてある文字がまるで知らない言語かのようにまったく理解できず目から滑っていくのに、手伝ってくれる人はおらず、次々と無慈悲に机に積み上げられていく大量の書類に、気が狂いそうになりながら一日働いた。永遠かと思った。終わったころには泣きそうになっていた。というか半泣きだった。
この苦痛のときを思うと、今でも気が狂いそうになる。けれど、これからも閉経するまでは毎月生理はやってきて私を苦しめるだろう。
なにか、対策はないのか。こんなんじゃ私は一生まともに働くこともできない。そう思って、藁にもすがる思いで婦人科へ赴いたのだった。
PMSというのは月経前症候群のことで、ホルモンバランスの影響によって生理前3日~10日(個人差あり)の間におこるイライラ、情緒不安定、うつ、胸の張り、むくみ、下腹部の痛みといった精神的な症状および身体的な症状のこと。生理のある女性の70%~80%の方がこのPMSのなんらかの症状があるといい、うち5%程度の方は生活に支障をきたしているのだと言われている。
私はまさにその5%に該当していたのだろう。
私の場合、さらに生理不順で、きちんと基礎体温をつけていても生理日の予測が困難だ。また排卵もまちまちで、生理は来るのに低体温のままということもあった。
毎月、半月ほどはPMSに苛まれ、死にたいと思ううつ症状や、世界の森羅万象なにもかもにすらイライラしてしまうこと、集中力の低下、眠気(ホルモンの影響で眠くなるらしいが、それは睡眠薬を飲んだ時に匹敵する眠たさらしい。仕事ができるわけがない)、無気力、身体のだるさ、下腹部の痛み、便秘などの症状が現れる。
とくにひどいのはうつ症状で、自己嫌悪と自己肯定感の低下、常に私なんて死んだほうがいい、生きている価値がない、という考えに捕らわれることがきつい。これはPMSのせい、自分は生きていていい、と言い聞かせてもだめで、脳は常にマイナスの思考を繰り返してしまう。視界まで暗くなったように、鬱々とした日々を送らざるをえない。
長い長いPMSの期間を終えて、ようやく生理が来ると、今度は生理痛に苛まれる。一日目、二日目まではあまりの激痛に布団から起き上がることすら億劫だ。仕事なんて当然できないので、休みの日以外に生理が来た時には多くの場合休みをもらっていた。やむを得ずに出勤することももちろんあったが、本当にきつかった。
4月の頭に、婦人科へ訪れた。担当してくれたのは優しい女医さんで信頼のおける方だった。採血や問診や触診を繰り返し、ピルを飲んでも大丈夫かの検査を重ね、ようやくピルを処方してもらえたのは、果たして6月のことだ。
昨日、服薬を開始したのだ。まだ一日目なので当たり前だが今のところ何も変化はない。毎日服用して副作用がないか、体調におかしな点はないか、続けていけるかを慎重に見極めなければならない。7月に入れば、また病院へ行き先生と話して今後の方針を決めることになるだろう。もちろん、私としては念願のピルなので体にあって長く続けられればいいなあと思っている。
ピルを飲むことで、さんざん私を蝕むPMSの症状を軽減できることは大きなメリットだが、なんとほかにもメリットがある。
私の場合、普通は28日程度である生理周期を最長120日まで伸ばすことができる飲み方をするのだ。
つまり、生理がおよそ4か月に一回しか来ないというわけだ!
こんなに嬉しいことはないよね。半月のうつやその他症状から解放されるのだから。
さらに、私はどうやら子宮内膜症という病気の疑いがあるそうで(確証はないがたぶんそう、と先生談)、それは排卵し生理がくるたびにひどくなるのだという。つまり、排卵を止め生理が来る回数を減らすことはそのまま子宮内膜症の進行を抑えることができるというわけだ。一石三鳥。すごい。もっと早くにこの薬に出会っていればこんなに苦しい毎日を生きずともよかったのでは?
さて、こんな話と冒頭のマグロの話はなんの関係があるのかというと、まあメリットがあればデメリットもある。それが悲しいかな世の中の摂理ですよね。
ということで、ええ、ピル(ホルモン剤)にはどうしても血栓症のリスクを高めるという難点があるそうだ。
血管が詰まりやすくなってしまうのだそう。
実をいうと、3年ほど前にも婦人科へ母とともに訪れ、生理が重いという件を相談したことがあった。けれども、ピルを飲むことによって血栓症で亡くなった方もいると聞き、母は私がピルを飲むことを渋った。
ピルを使用していない女性は1万人のうち1~5人、ピルを使用している女性は3~9人が血栓症になる可能性があるそうだ。一方妊娠している方や分娩後の方は1万人に5~20人、40~65人の割合だそうで、そちらと比較すればピルによる血栓症はかなり少ないという事実がある、と先生から説明を受けた。気を付ける必要はあるが、過剰に怖がって服用を拒否することもない、と。
3年前は今ほどPMSもひどくなく、信頼のおける母がそんなに嫌がるなら、と私は服用を断念していた。
とはいえ、とうとう年々ひどくなるPMSの症状に耐えかねて、また私自身としてはリスクを負ってでも、しっかり定期検査をし日常的に血栓症に気を付けて生活することで生理とは離れたかった。それに、3年前は知らなかった子宮内膜症についてもひどくなる前に抑制できるのならしておきたいと思ったのだ。
血栓症にならないように、まず禁煙をすすめられ(私は数年禁煙しているので、これは心配ない)、こまめに水分を取り、長時間同じ体制でいないように気をつけるよう言われた。
PMSでない普段の私は、座ったまま作業に集中し没頭すると数時間そのまま、ということがままある。しかもその際飲食を忘れがちになってしまうので、これについては意識して改善しなければいけない。
そう心がけようと思った矢先、リビングの机で、いつのまにか読書に没頭して一時間たっていたと気が付いたときに、ふと思ったのだ。
マグロと一緒だ、と。
私も、動き続けてないと死んじゃうんだ。止まったままでいると、死んじゃう。
もちろん、一時間程度ならさほど問題はないだろう。とはいえ、自分の感覚的にはまだせいぜい30分ほどしかたっていないだろうと思っていたのだ。今回は大丈夫だとしても、私はつい、長時間過集中してしまうところがあるから、本当にしっかり意識して生活しないといけないな、と強く思ったのだ。
死なないために、言い換えれば生きるために、呼吸をするためにマグロは休むことなく泳ぎ続ける。私も同じだ。死なないために、生きていくために止まってはいけない。留まってはいけない。
くだんの前職から離れて以降、細々と在宅の仕事と家族5人分の家事などをしながら、20代後半に差し掛かるというのに未だ実家にお世話になっている現状を省みると、ああ、早く自分が頑張って続けられるような仕事を見つけなくちゃな、としょんぼりした。
止まっていてはだめだ。動き続けないと。窒息してしまう。沈んでしまう。せわしなく毎日を進み続けないと。冷たい暗い海の中で、生きるために泳ぎ続けているマグロのように。
実際、ピルは28錠入りのシート一枚につきおよそ3000円。さらに診察代や検査代がかかる月もあるだろうから、毎月少なくとも3000円はかかるわけだ。明朗な思考とQOLの向上のためには、致し方のない出費ではあるものの、おそらく正社員で働くのは困難だと思われる私からしてみれば、痛い出費だと言わざるをえない。
生理のない男性のからだに生まれたひとや生理が軽いひとにとっては存在しない出費だと思うと、そんなひとたちが少しだけ羨ましい。せめてピルがもう少しだけ安く手に入ればいいのだけれど。
とはいえ、あの苦痛から解放されるなら文句なんて言ってられない。
私は、ほんとうはずっと、ただ健やかに、普通の生活がしたいだけ。
どうしてか、私にはその普通がこんなにも困難なことに見えてしまうけれど。
窒息しないように。死なないように。生きるために。沈まないために。進む。進む。止まらずに。留まらずに。
冷たくて暗い、大海原を。