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内外傷弁惑論(弁脈)

『内外傷弁惑論』の第二章です。一章の弁陰証陽証が概論なら、ここからが総論といったところでしょうか。現代でも批判が多い気口人迎脈診について書かれています。気口人迎脈診はもともと橈骨動脈と頸動脈を比べる脈診でしたが、王叔和により左右の橈骨動脈へと再解釈されて、この『内外傷弁惑論』まで引き継がれています

個人的には脈の左右差というのは実際にありますし、手首の左右で取る人迎気口脈診には一定の臨床的な意義があると考えています。


脈を弁ずる(弁脈)

古の医家たちは、人迎(じんげい)と気口(きこう)という脈の状態によって、内傷と外傷を区別した。すなわち、人迎の脈が気口よりも大きければ外傷(外感による病)、気口の脈が人迎よりも大きければ内傷とみなすのである。この見立ては正しいが、説明がまだ十分ではない点がある。

そもそも外から風寒の邪が侵入する外感は、いずれも「有余の証」であり、体の外側から来る客邪(きゃくじゃ)である。その病態は左手の脈に必ず現れる。左手は「表」をつかさどり、そこは陽気の流れが二十五度(*1)を担っているからだ。一方、飲食の不摂生や労役による損傷などで起こる内傷は、いずれも「不足の病」であり、右手の脈に必ず現れる。右手は「裏」をつかさどり、そこは陰気の流れが二十五度(*1)を担っている。

だからこそ、もし寒邪を外から受けた場合は、左の寸口(=左手の寸口部)にある人迎の脈だけが浮いて締まり(浮緊の脈)を示し、触ってみると非常に大きく力強い(洪大脈)。緊とは弦よりもさらに急(はや)い脈であり、これは足太陽の寒水の脈である。さらによく触れると、中には手少陰の心火の脈が混ざり、火と水が合わさって内側で大きく現れる、これこそが傷寒の脈である。もし風邪を外から受けた場合は、人迎の脈がゆるやか(緩脈)で、しかも気口より一倍、あるいは二倍、三倍ほど大きく感じられる。

内傷(飲食)であれば、右の寸口(=右手の寸口部)にある気口の脈が人迎より一倍大きい。さらに病が深く、少陰にまで及んでいるときは二倍、太陰まで及んでいるときは三倍となる。これが内傷・飲食の脈である。
もし飲食が乱れ、労役が過度であるならば、心脈が気口に異変として現れる。これは心火が肺を攻め、そこへ肝木が心火を伴って勢いを得て肺に迫っている状態である。経に「侮(あなど)るのは己が勝てないものに対してだが、(本来は)恐れ敬うことを知らないゆえである」とあるのは、このことを指す。ゆえに気口の脈は急に大きくなり、しかも“渋く数(はや)い”感じとなり、ときおり脈が飛ぶ(代脈)ときには渋い脈に変わるのである。
“渋”とは肺に本来ある脈であり、“代”は元気が全身にめぐらず、脾胃がおよばなくなった時に見られる脈である。脈が大きくはやいのは、心脈が肺を制しているしるしであり、急(速く突き進むよう)なのは、肝木が心火を伴って肺金を逆に克しているからだ。

もしそれほど過労でない場合は、右の関部にある脾脈だけが大きく速い。これは五つの脈のうち脾脈だけが特に強く、速さの中にわずかに緩やかさがあり、またときおり脈が飛ぶ(代脈)ものだ。もし飲食が不節制で、寒暖の調節ができていない場合は、まず右の関にある胃の脈が弱まり、酷いときは隠れて触れなくなる。そうすると内側には脾脈の大きさと速さがやや緩んだ形で現れ、同じようにときおり脈が飛ぶ状態になる。もし宿食が溜まっていれば、右の関脈だけが沈み、滑脈が触れる。経に「脈が滑なる者、宿食あり」とあるが、こうしてみればその見分けはじつに明白ではないか。ただ、山野の辺境では急に医者にかかれないこともあり、どのように診断をすればよいのか。そこで改めて病証のありさまを述べ、内傷・外傷を区別できるようにしたのである。

原文

古人以脈上弁内外傷于人迎、気口。人迎脈大于気口為外傷,気口脈大于人迎為内傷。此弁固是,但其説有所未尽耳。外感風寒,皆有余之証,是従前客邪来也,其病必見于左手,左手主表,乃行陽二十五度。内傷飲食及飲食不節,労役所傷,皆不足之病也,必見于右手,右手主裏,乃行陰二十五度。故外感寒邪,則独左寸人迎脈浮緊,按之洪大。緊者急甚于弦,是足太陽寒水之脈,按之洪大而有力,中見手少陰心火之脈,丁与壬合,内顯洪大,乃傷寒脈也。若外感風邪,則人迎脈緩,而大于気口一倍,或二倍、三倍。内傷飲食,則右寸気口脈大于人迎一倍;傷之重者,過在少陰則両倍、太陰則三倍,此内傷飲食之脈。若飲食不節、労役過甚,則心脈変見于気口,是心火刑肺,其肝木挾心火之勢亦来薄肺、経云:侮所不勝、寡于畏者是也。故気口脈急大而澀数、時一代而澀也。澀者、肺之本脈;代者、元気不相接、脾胃不及之脈。洪大而数者、心脈刑肺也;急者、肝木挾心火而反克肺金也。若不甚労役、惟右関脾脈大而数、謂独大于五脈、数中顕緩、時一代也。如飲食不節、寒温失所、則先右関胃脈損弱、甚則隠而不見、惟内顕脾脈之大数微緩、時一代也。宿食丕消、則独右関脈沈而滑。経云:脈滑者、有宿食也。以此弁之、豈不明白易見乎!但恐山野間卒無医者、何以診候?故復説病証以弁之。

『内外傷弁惑論』弁脈



*1,『霊枢』の衛営生会篇に「衛気は陰を二十五度めぐり、陽を
二十五度めぐり、昼夜に別れるとされてる。ゆえに気が陽に至ると起き、気が陰に至ると止まる(寝る、休む)のである」とある。


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るかりん
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