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本と音楽と詩と小説とわたし【エッセイ】

 いくつかの書いておきたいことが、このままだと散り散りになりそうで、興味のつよく惹かれる本を何冊か抱えて、わたしの傍らにそっと置いた。重しのように、安心のかたちみたいに。

 わたしはやっぱり、本そのもののことが好きなのだと、あらためて思った。

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 サカナクションの「NIGHT FISHING」をなんとなく、久しぶりに聴いていた。わたしがはじめて聴いたサカナクションのアルバムだった。

 少しずつ音量を上げて耳を満たしていく。けれど音楽が高まるにつれて、気持ちは遠く、しずかになっていった。丁寧で、温もりのあるリズムを、わざわざ流しているのに、そこから距離をとろうとしている。……なにがしたいのか、自分でもつかめない。

 でも、真剣さ、真摯さを、ひしひしと浴びているうちに、だんだんと、いくつものこまやかな兆しがあって。

 いつの間にか、足先でリズムをとっていた。わたしの偏屈な頭でっかちを、かるがると乗り越えて、すごいや、届いてきたんだなと思った。

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 夜が深くなってくると、大崎清夏さんの「指差すことができない」の詩をいくつか、声に出して読んでいる。

 読んでいて、声が、詩につれてかれる感じがする。それから、これって、こういうことなんだろうかと、わたしが思うその思いをまとめる間もなく、詩は確実に進んでいく。その「間に合わなさ」を心強く感じた。

 日々の、暮らしのことばでは、もう手の打ちようもない雰囲気が生活の中で厚みを増してきたときに、たぶん、わたしは詩を手に取るんだと思う。そのゆるやかさ、はやさ、分からなさ、浮かんでは上ってゆき、あっという間に遠く離れていく意味やつながり……。

 詩を読み終えた後の、暮らしのことばは、つやつやしてる。そういうことも含めて、詩を読むのが好きなんだと思う。

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 ようやく小説をひとつ、書き上げることができた。

 出来上がったものを読んでもらって、楽しんでくれたことが分かると、わたしは、じんわりと目をつむる。いろんな判断のことを、書かないと決めたことまで含めて思い返したりして、大きく息をつく。

 よかった、と半分は安堵しながら、自分の力不足で描けなかったことを、言ってしまえば書かずに逃げたことを、くっきりさせておく。それを今後書く書かないに限らずに、もっとおおらかに、自分の未来のために大切なんだと、自分で分かってるから。

(『きいろいおやつ』という小説です。もしよろしければ、読んでいただけると嬉しいです。)

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 いつか友だちに、小説を書きはじめたばかりの頃、「これは文章もほかの作家の文体に引っ張られてると思う。『君の作品』が読みたい」というようなことを言われたことがあった。

 今は……どうなんだろうか。たびたび自分に問い直すこともある。

 それから、書いてるのが「自分」の作品なのか、それとも「しんきろう」の作品なのか。ぼくの本体(って言い方が良いのか分からないけれど)を知ってる人と、「しんきろう」のことを知ってる人とでは、作品への解釈や感じ方もぜんぜん違っていることが、結構あって。

 それは豊かでもあるし、あまりに振れ幅があるのは作品のつくりの脆さのせいもあるんじゃないかとか、ぐるぐる考えてしまったりもする。

 でも、まあ……きっと、あまり深く考え過ぎないほうがいいのかもしれない。ぼくがやっていくのは、少しでも良いものを書くことだから。読んでよかったと思ってもらえるような何かを、ちゃんと作っていくことだから。

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 読んでいただき、ありがとうございました。