日々を生きていると、 とても理不尽に感じることがあります。 自分ばかり辛くて、 「どうしてみんなあんなに楽しそうなんだろう」 「どうして自分はこうなんだろう」 そう思ってしまうことも、 ありますよね。 人は誰でも、 「考え方の癖」を持っています。 わたしたちは「考え方の癖」の元になる 価値観や信念がある為に、 物事をありのままに見ることができません。 自分と全く同じ体験をしても、 みんな同じ捉え方をするかというと、 きっとそうではないですよね。 だとしたら、
タイトル通り、「怒り」という感情は第二感情と呼ばれる感情です。 第二感情?? ということは第一感情があるのか? はい、その通りです。 わたしたちは何か不快な出来事があった時、すぐに怒りが湧いてきたと思ってしまいますが、違います。 その前に瞬時に感じている(心の奥深くで感じないように閉じ込めているので気づきません)感情があるのです。 例えば不安や恐怖、惨めさ、寂しさなど。。 その感情を感じたくない為に第二感情の「怒り」を持ってきてごまかしているのです。 自己理解の為
「自分にとって嫌なタイプの人」 これが実は、今後の人生を幸せに生きていく為のめちゃくちゃ大事な鍵を握る人物になります。 その人のどんなところがイヤだと感じるのか。 どうしてイヤなのか。 そこにヒントがあります。 「自分にとって嫌なタイプの人」に対する見解は次の2つの内のどちらかに当てはまる場合が多いです。 ・自分も同じような性質を持っている ・自分とは正反対の性質である では、自分も同じような性質を持っているという場合、どうして嫌な気分になるのか。 それは、自分の
「アダルトチルドレン」 という言葉が気になっている。 「アダルトチルドレン」とは、 わたしなりの解釈で説明すると、 もう立派な大人なのに、 幼い時に子どもらしくいられなかった事で 傷付いた子どものままの自分が、 心の底で今も苦しみ立ち尽くしている状態だ。 子どもが子どもらしくいられるとは、 どういうことか。 子どもというのはありのままであって、 楽しければ笑うし、 嬉しければ踊るし、 悲しければ人目も憚らず泣くし、 嫌だったら暴れるし。 感情のあるがままに生きる事を
こんにちは、わたしは宇宙 いつもここから きみを見てるよ きみのことは 何でも知っているよ きみが生まれたとき 初めてひとりで歩けたとき 友達とケンカしたとき 上手くできなくて悔しくて泣いたとき いつだってきみを見てきたんだ 本当のことを言うとね きみが地球に生まれる前から知っているよ きみはね ここにいたんだ きみはわたしの一部で いつもわたしと一緒にいた ここには悲しいことや寂しいことは なんにもない ただとてつもなく大きくて優しくて暖かい キラキラしたと