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循環する社会

みなさんは人助けは好きですか?
私はとてもお節介で(笑)人の相談に乗ったり、勝手に手助けしたり、「この人紹介したら面白そうだな〜」と人と人をつなげたりもします。
でもふとしたとき考えるんです、

「あれ?人のことばかりで全然自分のこと考える時間がない...」


「情けは人の為ならず」ということわざがあります。人のために何かをすればそれは最終的に相手だけではなく自分にも返ってくることを表しています。
もしかしたら私のお節介は「人のため」じゃないかもしれないし、人に頼ってもらえる喜びが最終的に返ってきたものかもしれません。私自身そこまで見返りを求めながらお節介をやってる訳でもないですし(ー ー;)

人に与えてもらったものを別の人に与えるとき、ただ引き継ぐだけでなく与えてくれた人に何か恩返しをしたいとも思います。でも今は引き継がせることしかできないことが多いです。他にもまわりの人が、与えるだけでなく互いに刺激を与えられるように意識的に循環させようとしているところを見ると、

「あぁ、今の社会はうまくまわってないんだな〜」

て思います。


しかも「情けは人の為ならず」とはまったくの逆に近いような現象を目の当たりにしました。
思い切って環境をよりよくしようと行動するのに、それを否定したり邪魔扱いして無下にする、環境を悪化させたり相手を絶望させたりなど不利益にして返す、そんな光景を見ました。
それによって居場所がなくなった人、勇気を出すことをやめてしまった人、信頼することができなくなった人を何人も見ました。
社会に憤りを感じると共に、直結するような解決策を生み出すことができず「いつかは返ってくるから」としか言えず、ほんの小さなきっかけを与えることしかできない自分自身にも憤りを感じました。

私は引き継ぐことは悪いとは思いませんが、まだ足りないと思います。与えてもらったもの・与えてくれた人に責任をもち、それを別の人に与えると同時にそれが与えてくれた人にも直接的でも間接的でも何か恩返しになる。このように「循環」させるべきだと思います。
ただ「やったー!もらったー!」というのは無責任だと思います。クラウドファンディングも似たものです。クラウドファンディングを通してもらえるのはお金やものだけではないと思います。何かをする機会や人と繋がるきっかけ、将来を構成する1つの欠片をもらうのではないでしょうか。
なら私たちは与えてくれた人に感謝と責任を持たなければなりません。今は意識的に行わなければいけませんが、それが自然となるように、「ことわざが生まれるよう」になってほしい。

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