心の中を綴ります

胸張って生きたいと思う夢追い人です

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最近の記事

「本棚」というアルバム

自宅の本棚に並べられた本を見ると、思い出の写真を見ているかのように愛おしく感じます 新居に移ってから約3年、買って読んだ本は気づけば100冊を超えていました 実家にある本も合わせれば何冊になるんでしょう 小説、漫画、新書、単行本と大きさも厚さもバラバラで、 ジャンルで分ければ一体どういう基準でこれらの本を選んだのか想像もできません でも一冊一冊タイトルを見ていくと、 「この本は〇〇な時期に買って…」 「読んでからは〇〇なように思うようになって…」 「これを読んだからこの

    • 外出自粛だからこそ見えた光景?

      昼になっても店の扉が開かず、新たな感染が報告される毎日。子どもたちの健康を心配する声がよく聞こえる。 でも、なぜか街の様子が健康に見えてしまうのは、私の幻覚だろうか。 何時に外へ出ても、そこには外で遊んでいる親子、ランニングをしている学生や大人、笑って世間話をしている高齢者の姿が目に映る。 以前はというと、大人は仕事でオフィスに篭り、道歩く子どもから聞こえる話は家に帰ってゲームで遊ぶこと、道端で立ち止まる高齢者なんて見かけなかった。 今ではそういった様子があまり見られなく

      • 最大の贈り物

        とある成人式の日、ある青年の家族が一匹旅立った 彼女は夏の時点で成人式には間に合わないと言われていた しかし、彼女は青年を成人式の二次会に見送ることができた 見送られた際、その青年は薄々感じていた これが最期の別れになることを 青年が二次会のため家を出た直後、彼女は永遠の眠りについた それはまるで最後の仕事を終えたように 静かに 眠るように 彼女は旅立った これは奇跡物語でもなければ、感動物語でもない 彼女が旅立つまでの道のりを、青年の心の内を知ったとき

        • 「やりたいことをやる」

          「やりたいことをやる」ことが「正義」となった世界 そこにはその世界特有の人々が暮らしている 夢を追いかける人 夢がないと苦しむ人 過ちを犯す人 喜びをもたらすこともあれば絶望をもたらすこともある それは当人だけでなく周囲の者に対しても 心の中では不安を持ちながらも、「正義」に刃向かうことができない人が多い そんな中、この偽りの「正義」を王の座から引きづり下ろすために「夢を成仏させる」という言葉が生まれたのかもしれない

        「本棚」というアルバム

          帰省

          1年半ぶりに実家に帰った 変わらない親の顔 変わらない会話 変わらない習慣 変わらない家族の鳴き声 変わらない母親の独り言 ちょっと小さく見える家具 風呂場から消えた父親のシャンプー 昔は心の支えになってくれた1匹の家族との別れ 大学生になる前とは違うもう1匹の家族の呼び方 虫眼鏡でスマホの画面を見る母親 薬を飲んでいる父親 あまり普段会っていないと思われる口ぶり 家から消えた怒鳴り声 変わっていないようで何もかもが変わっている 親が何を思っているのか全くわから

          恋心

          恋愛の対象として「好き」になるとはどんな感情なのだろうか 私にはわからない おそらく感じたこともない ある本には「恋愛感情がわからないのは言い訳だ」と書いてある 仕方がないだろう...わからないものはわからないのだから ある人は「異性と友達になることは不可能だ」と言った 現に「異性」の友達の方が「同性」の友達よりも多いんだが (*生物学的な意味での「異性」「同性」です) 昔から「異性」とよく遊んでいた私にとって、そっちの方が親しみやすいんだよ... 「同性」は少し話しづ

          言葉がもたらしたもの

          人間が持つ能力の1つに「言葉」「言語」がある それは様々な結果をもたらした まず思考能力が高まった 次に人とコミュニケーションを円滑に取れるようになった そして社会が出来上がった 言語が生まれたことは「良いこと」だと誰もが言う しかし、言葉は「良くないこと」も生み出した 社会が生まれることによって、社会同士の壁が出来上がった 言語の壁が国境を越えようとする私たちの前に立ちはだかった 差別が生まれた 多様性が失われた 現在、無意識のうちに差別をおこなっている私たちが多様性

          言葉がもたらしたもの

          人生の終着点

          「人生の終着点」とはどこだろうか そこには何があるのだろうか 「人生」の終わりを目前とした人はいったい何を思うのだろうか 何を感じるだろうか やっと終わると安心しているのだろうか もう十分満足したと思うのだろうか 楽しかったとそれまでの思い出を振り返るのだろうか まだやり残したことがあると後悔するのだろうか これからも生きていたいと切望するのだろうか 命が終わることに対して恐怖を感じるのだろうか 私にはわからない 私の「人生の終着点」とはどこなのだろうか それを私が決める

          対話の重要性

          学習過程では「主体的・対話的で深い学び」と言われている。 教育や生涯教育においても重視されることは人との繋がりである。 多くの人は「人間は1人では生きていけない」と言う。  このように、人間関係がかなり重視されるようになってきている。しかし、その人間関係を形成するために必要な基盤がまだあると私は思う。それは人間関係だけでなくその人自身を形成・成長・変化させるもの、「対話(コミュニケーション)」だと思う。  「対話(コミュニケーション)」は会話だけでなく、「自然との対話」や

          たった1つの何かで大きく変わる人生

           先日、北海道胆振東部地震の被害からまだ復旧していない場所にボランティアに行きました。仕事内容はとても単純で公共施設内の清掃および復旧でした。単純作業ばかりであったが、高校時代の市役所インターンでやったシール貼りより遥かに楽しかった。  そしてその帰り道、久しぶりに公園でもゲームセンターでも学校でもなく、ただの街中で遊ぶ子どもたちを見た。 なぜ、これが「久しぶり」と感じる光景なってしまったのだろうか  私の地元は田舎で、昔はよく道路で走り回ったり追いかけっこする子どもたち

          たった1つの何かで大きく変わる人生

          自己肯定感ってホントに自分のことを好きになること...?

          少し前から問題になってきたまま解決されない問題 「若者の自己肯定感が低い」 これは政府の方でもデータとして表れているのである。そして、この問題を解決するにあたって、若者たちには 「もっと自分に自信を持てよ!」「自分のことを好きになれよ」「やればできるんだから」... こんな言葉が浴びせられている。しかし、言われている側からしてみれば、 「いや、まわりにもっとできる奴いるし」「自分のこと好きとかナルシストかよ」「何言われても俺は俺のこと嫌いだし」... という思いが出て

          自己肯定感ってホントに自分のことを好きになること...?

          感情を出す

          みなさんは自分の気持ちを相手に伝えることができますか? 私は中学校ぐらいから自分の思いを外に出さなくなりました。 「まわりの人を怒らせたくない」「まわりに迷惑をかけたくない」「他人優先」… そんな感じで自分の意思や思いを伝えることをやめました。当時はそれが楽だと感じていたが、今ではそれを悔いています。 感情を押し殺していた私は自分の気持ちがわからなくなりました。自分が何を思っているのか、自分が何をしたいのか、自分がどれだけ苦しんでいるのか、何もかもわからなくなり

          循環する社会

          みなさんは人助けは好きですか? 私はとてもお節介で(笑)人の相談に乗ったり、勝手に手助けしたり、「この人紹介したら面白そうだな〜」と人と人をつなげたりもします。 でもふとしたとき考えるんです、 「あれ?人のことばかりで全然自分のこと考える時間がない...」 「情けは人の為ならず」ということわざがあります。人のために何かをすればそれは最終的に相手だけではなく自分にも返ってくることを表しています。 もしかしたら私のお節介は「人のため」じゃないかもしれないし、人に頼ってもらえる

          人生って何だろう...?

          はじめまして、死神ちゃんです これからのんびりと私が思ったことや考えたことを中心に更新していきたいと思います。 よろしくお願いします!! ではさっそくですが、人生って何ですかね? 最近、やりたいと思ったことをすぐ行動に移す人や起業した人の話を聞くようになりました。 そこで思ったのは、そのような人たちの周囲は「難しいよそんなの...」とか「やめたほうが良くね」といった言葉ではなく「それじゃあそれをもっと具体的にしようか」とか「こうしたら良いんじゃない?」といった言葉を投げか

          人生って何だろう...?