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自己肯定感ってホントに自分のことを好きになること...?

少し前から問題になってきたまま解決されない問題
「若者の自己肯定感が低い」
これは政府の方でもデータとして表れているのである。そして、この問題を解決するにあたって、若者たちには

「もっと自分に自信を持てよ!」「自分のことを好きになれよ」「やればできるんだから」...

こんな言葉が浴びせられている。しかし、言われている側からしてみれば、

「いや、まわりにもっとできる奴いるし」「自分のこと好きとかナルシストかよ」「何言われても俺は俺のこと嫌いだし」...

という思いが出てくるだけでなんの解決にもならないのである。多くの人たちの間で、「自分のことを好きにさせる」=「自己肯定感が高くなる」といった単純すぎる方程式が出来上がってしまっているのである。

 私はこれを間違いだと思う。なぜならそれほど単純なものであればとっくの昔に解決しているからである。そして私は「自己肯定感」という言葉が嫌いだ。

 自分のことを「肯定(好きに)」させること、前提として人を変えようとすることはとても難しいことである。上の言葉は作り上げたものではなく、私が直接まわりの人や関わってきた人から聞いた言葉である。
また、たとえできたとしても、それは調子にのらせるだけである。

 ならこの問題を解決するにはどうすれば良いのか?正直私にもわからない。
 しかし、私は「自分を客観的に見れるように誘導すること」が解決方法の1つとなるのではないかと思う。つまりは「自己分析の機会を設ける」ことである。
自分のことがダメな奴だと思っている人の言葉は、

「俺なんてバカだし」「何がとかじゃなくてすべてがダメ」「まわりにはできる奴がたくさんいるから」

といった感じにとりあえず否定していることが多いのである。
ならば、まずそれらを具体的にさせるべきなのである。「どういう場面でどういうことをしてしまうのがダメなのか?」「全体ではなく、どの部分が苦手なのか」「まわりは何ができているのか」
 このようにすることで、逆に「できること・できる場面」などが見えてくると思われる。それを直接伝えるのではなく、「こういう時は?」「これもできなかったのかな?」といった感じに気づかせるべきなのではないのだろうか?
 こうしたやりとりを行うことにより、「自分はこういうことができるけど、こんな場面ではこのようにダメになってしまう」「自分はこういうことができないけど、この場面ならできる」といった考え方が生まれるはずである。0か100ではなく、50や70などの考えができるようになるのではないだろうか。
 そうすれば、「ならこの場面でヘマをしないためには、こうしたらどうだろうか?」「こんな工夫すればどうだろうか」と良くするようにはどうしたら良いか考えられると思う。

 まず私は、「ネガティブな性格」と「ポジティブな性格」といった分け方が嫌いである。「うるさい」といったネガティブに聞こえる性格は、言い方によっては「賑やか」「場を盛り上げる」といった性格に言い換えることができる。「人見知り」といった性格は、「慎重」「合う人しか引きつけない」「顔が広くないため深く人と関われる」などと言い換えられるのではないだろうか?
 性格というものは表裏一体で、あるときでは役に立ち、あるときでは足を引っ張ってしまうものであると私は思う。それを判別できれば、足を引っ張ってしまう場面ではどうすればヘマをしないだろうか?と考えることができると思われる。

 日本は大学、しかも就活時になってやっと深く自己分析をする機会が与えられることが多いが、それでは遅すぎる。だから「自分はダメな奴」と捉えてしまう人が多いのではないだろうか?だから自分の個性を目一杯発揮することができないのではないのだろうか?
ならそれを早い段階でやらせたらどうなるのだろうか...?

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