カタクリが繋ぎ止めるものってなぁに
黎明の柔らかな陽光の下にうっすらと朝霧がかかっている。視界は芒洋としてしっかり定まらず、まだ眠りから覚めていないだろう山間の村を駆け抜ける。三州の緩やかな山々の稜線には、白く靄がかかり、朝の日差しの下で微かに風が流れ、ときに光が揺れるのを感じる。
毎年この時期になると、この場所にやってくる。
もうどれくらい前からだろうか。
カタクリの花。
子供の頃からカタクリの花に魅了され続けている。
その存在が人間らしく、とっても繊細で人を寄せ付けない。移植を試みてもすぐに枯れてしまうし、例え上手くいったとしても7、8年は花を咲かさない、繊細な花なのです。そんなカタクリの花に惹かれてきました。
昔は春の季節になると、近くの田んぼの畦道でも普通に見かけた花ですが、今ではとんと姿を消してしまった。山間まで赴くと、時折群生しているという話を聞く程度になってしまった。
町営の駐車場にスルリと入ると、もうそこには首からカメラをぶら下げたハイキング仕様の方々が散見される。「へぇ、カタクリの花もなかなかやるではないか」と、つい呟いてしまった。
家族には「昼頃戻る」と言い残し、日曜日の朝はいつもの様におひとり様を満喫している。いつもと違うのは、単身赴任先の狭っ苦しいマンションに閉じこもっているのではなく、カタクリと共に自然を堪能していること。マイナスイオンが奏でる清々しい空気が、程良く澱んだ僕の肺をスッキリ掃除してくれている気分だ。
町営駐車場の脇には数軒のお土産屋さんが軒を連ね、小さな商店街になっている。さすがにまだ早いので、殆どのお店はシャッターが閉まっている。
商店街を抜けると突き当たりには沢に突き当たる。この沢は息子が小さい時によく遊びにきた思い出があります。小魚を掬ったり、小さな虫を捕まえてはキャッキャッと声を上げて騒いだものです。
懐かしさを感じながら赤い吊り橋を渡ると緩やかな小道があり、ゆっくりと登っていく。飯盛山という標高350mの山を登り始めるのですが、その中腹辺りにお目当てのカタクリ群生の場所があるのです。
20年前は標高3000m級の北アルプスの山々を縦走していたことが信じられないくらいに体力が落ちている。たった350mの山が途轍もなく高く感じる。あっという間に全身から汗が噴き出す始末。
山には既に何人か人が入っている。
首からカメラをぶら下げて思いのままにパシャパシャ撮っている。パパラッチみたいに。自分もそのうちの一人だけど、そんなことは気にしない。
「ここは毎年来られるのですか」
僕よりだいぶ先輩のご夫婦がお声かけくださった。
「はい、もうかれこれ20年くらいですかね」
そう答えると、優しい瞳でこう答えてくださいました。
「私たちは30年くらいかしらねぇ。カタクリの花ってこの時期だけ咲く花でしょ、桜も良いけどこの花はもっと素敵。娘を思い出すのです」
何かしらの理由で会えなくなった娘さんに会いに来ているのです。理由なんてどうでも良い、兎に角、ここには娘さんがいる。だから会いに来る。ただそれだけ。その笑顔が印象的で忘れられない。
約束通りに昼過ぎには自宅に戻った。
ソファーに寝そべって先程撮った写真を眺めていると、いつの間にやら寝入ってしまったようです。遠くから声がする。誰だろう、女性のようだ。山で会った夫婦の娘さんなのか?
「ねぇ、掃除するからどいてよ」
はぁーっ、現実って酷いなぁ。
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