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感謝の習慣(課題の分離編)思っていないのは罪?
感謝の習慣を身に付けるために、「ありがとうワーク」というゲーム形式のものを考案し、実践している私ですが。
様々な角度から見てみると
「ありがとう」と形だけ伝えて、思ってもいない、気持ちが込もっていないのは罪なのではないか?
という考え方もあるようです。
確かにその通りで、余計に不快にさせてしまうこともあるかもしれません。
しかし、どこまでいっても、感謝すること、「ありがとう」と伝えることは、自分のためです。
受け取る側が
「それは気持ちがこもっていないからダメ」
と思うことは当然あるとは思いますし、理解しています。
ですが、これは受け取る側の課題であり、発する側は別の課題に取り組んでいます。
発する側からは、相手がどう感じているのかがすぐにわからないのと同じように、受け取る側も、なぜ形だけ「ありがとう」と言っているのかは理解はできません。
互いに他人なので、こうした行き違いは起こります。
この場合、取り組んでいることと、期待しているものが一致していないから起こることであり、どちらも間違ってはいないと私は思っています。
ワークに取り組む人は、「ありがとう」と言える人間になりたい。
感謝の気持ちを伝えることが出来るようになりたいから、何とか形だけでも、やれることをやろうと努力しています。
受け取る側が
「気持ちが込もっていないから嫌だ」
となる気持ちもわかりますが、それは相手に何かを求めているから感じることであり、他人をコントロールしようとする領域になります。
難しくなるのは、互いに違う立場の人を、ひとつの答えで縛ろうとすることから始まり、どちらか一方にの答えに偏らせることで、どちらかがストレスを受け取ることになります。
以前は、それすらも言わなかった、コチラを向くこともなかった。
そんな人でも、何とか形だけでも伝えようとしていることは、一歩前進であり、それこそありがたいことです。
「なんで言わなきゃいけないの?」
そんな感覚の持ち主よりは、余程マシなはず。
だからこそ、気持ちの込もっていない「ありがとう」に対しても、「ありがとう」という気持ちを持てるようになると良いと私は思います。
相手がどのように思っているのか?
何のためにやるのか?
それらを考えていくと、何もかもが複雑になり、思考はストレスを感じる方向へと向かいます。
自分に意識を向けてみて、どう感じたか?きちんとやれたか?だけに集中すれば、課題の分離には成功です。
「ありがとう」を発する人は、伝えられた、言えた、出来た自分を褒めてあげて、自分を満たしてあげて下さい。
「ありがとう」を受け取る人は、その真意はさておき、そのままを受け取ってあげて下さい。
出来れば
「頑張って伝えようとしてくれてるんだね」
「ありがとう」
と返してあげると、円満におさまります。
人との関係と言うのは、他者へ意識を向け過ぎることによって、ストレスを感じたり、トラブルへ発展したりするものです。
観測するのは、いつでも自分だけで十分です。
また、自分の外側の世界というのは、内面を反射しているものなので、普段から自分が他者に何かを求めて「ありがとう」と伝えたりしていると、逆の立場になった時に、受け取る「ありがとう」が疑わしく聞こえます。
他者へ、外側へ何かを求めていくことによって、それは苦しみの種となります。
「ありがとう」と伝え、それをどのように受け取るのかは相手の課題、受け取る側が決めることです。
発する側は、どんな気持ちで、どのような思いで放つのかが、自分の課題です。
「ありがとう」と伝えられたら、どんな意図でそれを言っているのかは相手の課題、発する側が決めていることです。
受け取る側は、どう感じて、どように解釈するのかが、自分の課題です。
間違っても、相手を操作しようとはしないことです。
ここでは、発する側と、受け取る側の二人が存在しています。
発する側の課題
「ありがとう」と伝えても、それが不快に感じられるようなことがあれば、本当に伝えるべき、そう思った時にだけ伝える。
自分の態度や行動、伝え方をきちんと考え、気持ちを込めて伝える努力をしてみる。
受け取る側の課題
「ありがとう」と伝えられても、それが不快に感じるのなら、求める心を捨てましょう。
そして、普段からやってくれていることを見つけ、感謝してみましょう。
また、本当に心のこもった感謝を受け取りたいなら、「心を込めて感謝しろ」という思いを抱くのではなく、もっと感謝してもらえるように貢献していく努力をしてみるといいでしょう。
いかがですか?
どちらか片側の視点で見ると
「そうだそうだ!」
なんて思いも頭をよぎりますが、真ん中から見ると、やれることはまだありますし、結果として感謝の気持ちが生まれては来ませんか?
不快なこと、トラブルや不運など。
全て、自分を成長させるためにあるもので、全てが学びとなります。
ここでは
「気持ちの込もっていない感謝は罪なのか?」
をお題にして考察してみたので、少し受け取る側の視点と解釈の修正となりますが、やはり最後は「ありがとう」です。
出来事
気持ちの込もっていない「ありがとう」が飛んできた
⇒どんなつもりで言ってるのか?
⇒知らないしわからない
⇒考えても意味がない
⇒「よし!もっと真のありがとうを受け取れるように頑張ろう!」
「ありがとう!」
このように思うことで、偽物かもしれない「ありがとう」を飛ばしてきた人物や、その出来事に対して「ありがとう」と思えますよね?
伝える側も同様で
「ありがとう」と伝えたら、何故だか不快な顔をされた、余計に不機嫌になられた
⇒なんで?
⇒わからないし、わかりようがない
⇒考えても意味がない
⇒「いや、でも言えたんだからいいや」
「次は、本当に思った時に思いっきり表現して伝えるようにしてみよう!」
「ありがとう!」
やはり、ひとつの出来事に対して、きちんと整理して紐解いていくと、最後には「ありがとう」という気持ちが沸いてきますよね?
どんなことがあっても、感謝へと辿り着くのですから、先に「ありがとう」と言っておくことで、私はそれでいいと考えています。
出来事⇒整理⇒感謝
を一本の線で結んでいくのは、どちらからでも良いと思うので、とにかく全てが「ありがとう」まで一直線になればいいんじゃないかなと思います。
見つめるのは、相手がどう思っているのか、何を考えているのかではなくて、自分の内面です。
人との関係で、最もこじらせやすい「恋愛」を思い出してみて下さい。
苦しくなるのは、いつでも
「相手がどう思っているのか?」
「何を考えているのか?」
「自分がどう思われているのか?」
ではないですか?
全て、これらの延長線上にあり、ビジネスシーンでも、友人関係でも、家族や夫婦でも、それが原因でストレスやトラブルへと繋がるのです。
意識を向けるのは、自分だけで十分です。
あなたはあなた。
今はぎこちない「ありがとう」でも、そのうち上手く伝えられるようになるので、出来る限りのことはやりましょう。
おかしな「ありがとう」が聞こえても、そのうちそれでもありがたいと思えるような日が来るので、今みで通り、それ以上に貢献してみましょう。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
あなたの今日が、善き日となることを祈っています。