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G7広島サミットと「ヒロシマ」の変質

はじめに

このタイトルは、決して悪い意味でつけたものではありません。筆者は以下に記す今回の変化を嘆いているわけではありませんが、やはりロシアによるウクライナ侵攻によって、世界は一変したという感を強くします。
当記事は筆者の有料マガジンのために書かれたもので、近々有料化されます。今のうちにご覧ください。

「ヒロシマ」の誕生

これについては申すまでもなく、国内での反戦平和のシンボルでありました。筆者は戦後を長く生きてきた人間として、このことについて折にふれて考え込むことが何度かありました。

  1.  その一端については前々著(下記拙著既刊、p.70)にも記したとおりですが、そもそも原子爆弾はなぜ「ピカドン」と呼ばれたのでしょう。いうまでもなく、これはある種の天災に対して用いられるべき表現です。もちろん大量破壊兵器としての原爆の物理的な破壊力・殺傷能力が、その存在を知らなかった人間の想像を超えるものであったからなのですが。

  2.  ついでこれがもたらした降伏とそれに伴う敗戦のあとに東京裁判(極東国際軍事裁判)が開かれ、連合国を主体とする判事からなる法廷は初めから答が出ているような審理をして戦争犯罪人を裁き、引き揚げてゆきました。すなわち日本が行ったのは侵略行為であって、そこに大義はなく、デモクラシーと専制政治の戦いでデモクラシーが勝利したという世界観による断罪です。戦時下で戦争遂行に協力した大新聞も学校教師も、自身の存続や保身のために180度転向して同調し、これを定着させてゆきます。

  3.  この結果、本来キリスト教徒が少数派だった日本で、キリスト教的な善悪二元論が定着します。これは極論すれば神と悪魔の戦いであり、ハルマゲドン(最終戦争)で決着がつくとするものです。この大きな物語に第二次世界大戦を当て嵌めれば、正義がデモクラシー陣営の連合国、それに反対する勢力がファシズムの枢軸国であり、いうまでもなくハルマゲドンは第二次大戦で、そのクライマックスが最終兵器が唯一実戦で使われたヒロシマ・ナガサキでの原爆投下だったということになります。実際に旧「連合国」はそのままの名称で戦後に「国連」に移行し(英語ではいずれもUnited Nations、敗戦国となった日本では戦勝国体制への加盟ということでは理解が得にくいため、戦前の「国際聯盟」とよく似た響きの「国際連合」という訳語を新規に創り出してこれを充てた)、独立国が急速に増えた戦後の世界を国連システムが覆ってゆきます

この連合国→国連という論点については、国内ではこれまで意図的に伏せられてきており、ただちには納得のゆかない方も多いかと思いますが、国連憲章の冒頭部分をご一読されれば、すぐさまご理解いただけることです。国連憲章に限らず、あまりにも有名なテクストは逆に通常読まれることがないので、多くの誤解を生んでいます。
戦前の日本海軍の最大の拠点であった広島は、それゆえにアメリカによる最初の大量破壊兵器使用の標的となり、戦後の平和運動の聖地としてのHiroshimaへと転換してゆくのです。

戦後の「ヒロシマ」

一瞬にして第二次世界大戦有数の戦場となった広島・長崎からは、戦後になって核兵器廃絶の声が上がり、地元では息の長い取り組みが行われてきました。一方でその運動を推進した団体は当初、日本共産党系の活動家によって担われ、同党の冷戦下での中ソそれぞれとの距離感の移り変わりとともに、団体は党派色を増して分裂してゆきます(下記論文参照)。
核廃絶の主張は、戦後に超大国として浮上した米ソ両国、とりわけ戦後まもなくベトナム戦争の深みにはまっていったアメリカの世界覇権に対する左派の側からの告発という意味合いを帯びましたし、社会心理的には、これを声高に唱えることで戦前の日本の帝国主義、東アジア・東南アジアにおける侵略の責任を直視しないで済むという、日本にとっての免罪符的な効果をもったことは否定できません。したがって日本国内では絶対的な正義のように響く核廃絶運動の声にしても、戦勝国や日本帝国主義に蹂躙された側からすれば、額面どおりには受け取られない面があったのでした

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kokusaiseiji/2014/175/2014_175_84/_pdf

藤原修「日本の平和運動 ―思想・構造・機能」

ウクライナ戦争の影響

ウクライナ戦争そのものというよりも、戦況が2022年4月以降にロシアにとって思わしくなくなってのち、プーチン政権は露骨に核兵器の使用を匂わせてウクライナとこれを間接的に支援する欧米を牽制するようになります。すでにロシアとその友好国陣営(新「東側」)と日本を含む先進国陣営(新「西側」)との間では、互いに言葉が通じない状況に至っていますが、これは第二次世界大戦前夜の1930年代以来のことです。換言すれば新「枢軸国」が出現しつつあります(下記拙著新刊 第Ⅳ章第1節参照)。ただし中国が台湾問題で自縄自縛になって追い込まれない限りは、今のところ中国はグローバル・サウス側にあって、対露中立でウクライナ戦争がもたらした状況から利益を得ている側ですから、この「新枢軸国」に含まれる大国はロシア1国に留まります
核大国ならびに国連常任理事国としての責任からロシアに対する国際的な批判も高まり、ロシアを正面きって批判していない中国もまた、この点に関しては快く思ってはいません(同上参照)。中国は23年2月にウクライナ和平に関する提案を行っていますが、その中で核兵器の使用に関しては明確に反対しています

さて今回の広島サミットですが、地元も地元、広島県第1区選出の首相が開催しただけあって、「G7初の独立首脳文書」と位置づける「広島ビジョン」が公表されました。もっとも参加国の合意を得るために地政学的に中露を意識した内容に留まったことから、核廃絶の時期の明示を求める廃絶団体からの受けは悪く、一斉に不満の声が上がっています(下記 地方紙記事参照)。

ともあれ、ウクライナ戦争を機にヒロシマの発するメッセージ性が増したこと、核兵器の不使用という観点から西側諸国に反核平和運動が受け入れられやすくなったことは確かです

補論 「参拝」としての日本開催サミット

伊勢志摩サミット2016 外務省サイト(下記)より

以下はおまけの議論です。多くの方は忘れていると思いますが、岸田氏がG7諸国の政治家と並んでこの場所で写真に収まるのはこれが2回めのことです。前回の伊勢志摩サミットのさいに氏は外相でしたから、その強い意向もあって、担当大臣の会合が分散開催される傾向が強い日本開催のサミットで、外相会合は広島開催という運びになりました(冒頭の画像と対比していただけばお分かりのように、総理以外の顔ぶれはこの間に様変わりしていますが、撮影場所といい、花輪の様式といいまったく同一で、背後のモニュメントのペンキがこの間に塗り替えられているぐらいの相違しかありません)。
G7の開始以来、国内では東京での開催が続いていましたが、近年は日本でも地方で開催されるようになっています。反面、上述のように担当大臣ごとに開催される関係閣僚会合は首脳会議が行われる主会場とは別に、さまざまな地方都市で完全に分散開催されるようになりました。

以下は直近のここ2回に限定しての議論ですが、主会場に関しては「参拝」性が顕著になっていると感じます。そこでの参拝の対象は、大社またはそれに準じる施設です。
これは戦前から保養地(ただし平常から国内の要人専用の場合もあり、公開されているとは限らない)で開催されている、欧米型の首脳会談とは異なる類型といえます。前回2016年の伊勢志摩に関しては、保守派をもって任じていた故総理の思い入れから、初の主要国首脳が勢揃いしての伊勢神宮への参拝・記帳という企画が打ち出されたのでしょう。安倍氏の地元の長州に関しては、同年12月に開催された日露首脳会談の会場として設定されていますので、今から考えれば双方の会場の選定も含め、すべては統一的な意図の下に企画されていたのでした。

それはさておき、今回の広島にしても、完全な参拝である厳島神社の訪問はともかく、前回の16年の外相会合と同様に、平和を祈念するモニュメントとしての原爆資料館の見学がハイライトとなっています。そこから対岸の原爆ドームを眺めるという動線は、2016年のさいにオバマ大統領を広島に招いたさいのコースを踏襲したもので、首相の強い意向で組み入れられたということです。
そこには宗教性こそないものの、実質的に厳粛な慰霊施設に相当することから、たとえば米国の首都ワシントンで戦没者墓地を訪問して追悼の意を表するのと同等の意味をもちます。日本の場合には靖国神社はかつての国家神道の宗教性が高すぎて、それができないのです。
日本開催のサミットは、このところ自民党政権がずっと続いていることもあって、時の首相の意向次第で思い入れのある主要な神社や大戦関連の厳粛な施設に主要国の首脳を勢揃いさせて「参拝」に持ち込むことが常態化しているといえます
欧米の指導者は自国の担当者から、神道は経典も整備されていない原始的な宗教であって世界三大宗教のようなものではない、各地の神社は出入りの自由な公園に近い公共性の高い施設であるといった説明を受けて、開催国の首相の解散総選挙のためのキャンペーンの一環と割り切って協力しているのでしょう(これに関してはG7の国内政治向けの利用はお互いさまなので)。
ただしこれは突き詰めれば、日本の八百万の神や英霊に対して戦勝国を含めた世界の主要国の指導者が一斉に参拝して頭を垂れたということで、このことが国内の保守層に及ぼす政治的意味については、ここでこれ以上多くを語ることは控えますが、否定できないでしょう。過去の多くの国内開催のサミットでは、開催から3ヶ月以内に衆議院の解散が行われています。
今回もサミット開催は内閣支持率に大きく寄与しており、内閣発足以来の低支持率にあえいできた総理周辺や自民党内では大成功だったという評価でしょうから、年内どころか夏前の解散・総選挙が濃厚です


なお冒頭の画像の出所は、下記です。

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