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マネージャーの適性を見極めることの難しさ

 これまで仕事をしてきた中で感じるのは、若い頃に優秀だとみなされ、それなりのポジションや部署に置かれ、じっさい、組織や幹部の期待に応えて一定の成果を出してきた人の中にも、年齢を重ね、職責が上がるにつれて評価を下げてしまうケースが少なくないということです。

 その典型例として挙げられるのが、管理職になって豹変し、パワハラに近い言動を部下に対してするようなケースです。

 パワハラ直球系の人は、社会的にも容認されないし、若手の人材確保に支障を来すので、組織としても露骨に本線から外す対応を取りますが、境界線の人の場合、これまでの処遇などが足かせになり、補佐役との組み合わせなどで、何とかごまかしごまかし、マネジメントをやらせるケースも少なくないようです。

 担当の頃の気質から適性を判断したり、早めに小さなユニットでマネージャーの経験を積ませれば、ある程度適性がわかるようにも考えたのですが、担当の時に融通効かない人でも、マネージャーになってから、切り回しをうまくできるようになったり、小さなユニットでマネージャーをこなしても、ステージが上がると豹変してしまう人を見てきたので、なかなか簡単ではないように感じています。
 

 とはいえ、衆を圧するレアスキルを持った人材でない限り、組織のマネジメントを担うポジションに就けないと、処遇を上げることが難しいことが多いので、ここは頑張っている人をどう報いるかとの兼ね合いから、永遠のテーマのように思います。

 厄介なのは、一担当者だった頃の視点で、いつまでも自分の仕事や領域を守ることに固執し、マネジメントの視点で物事を考えられない人です。こうした人は、正義感や正論に基づいて行動することが多く、一見すると正しいことをしているように見えます。しかし、組織運営ではお互いの利害がぶつかり合うことが避けられず、そこは、全体の利益や得失を考慮して、折れることが求められる局面も多々あります。

 ところが、正論を振りかざす人は、それを受け入れられないことが多いのです。彼らは自分の意見が通らないことで不満を募らせ、場合によっては組織そのものにかみつくことさえあります。正論であるがゆえに対処が難しく、組織全体を動かなくしてしまうこともあります。

 確かに正論を押し通せる人もいますが、それが可能なのは、一騎当千の圧倒的な破壊力や影響力を持つごく一部の例外的な人だけです。普通の人が同じことをしてしまうと、デッドロックに陥るだけで、組織としての生産性を著しく下げてしまいます。

 マネジメントとは単に自分の正義を貫くことではなく、全体を見渡して調整を図り、最適解を探ることだと思います。それができない人が上に立つと、組織は停滞し、周囲の人々も疲弊してしまいます。いくら正論を持っていても、それだけではリーダーシップを発揮することは難しいということを、そうした人を反面教師にして、改めて考えさせられます。

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