陸遜の憤死を思う
昨日、経営トップから厳しく叱責された件については、どうも、他からの讒言のようなものがあり、今回の叱責の原因になった事案については、トップが僕ら担当幹部との間で見解に相違があることを感じていたところであったので、ある意味、そこに符合してしまい、鵜のみにして叱責したということが、わかりました。
讒言は事実無根であり、相手も確かに立場は苦しいのだと思いながら、ここまで派手にでっち上げられるものだと、呆れてしまいました。
まあ、讒言を鵜のみにするというのも、孤独なトップにありがちなことですが、こうした自分の心にマッチする讒言というのは、陳腐ではあるけど効果的で、一度はまってしまうと取り除くのが難しく、仮に正攻法で釈明しても、不信のほこりは表面的にしか取れないので、大変厄介ですね。
一方で、部下の側としては、昨日今日、帰参したわけではなく、この何年も膝を突き合わせてやってきたのに、なぜそのような讒言を鵜のみにするのかと、情けない思いになってきます。
もともと、周囲を取り巻く環境は厳しくなっていて、僕自身、今の立ち位置にこの先も長く居ることは、先々の人生においてよくないと思っており、とはいえ、恩義はある組織ではあるので、いきなり信義則に反する行動もとれないと、逡巡していたのですが、ある意味、気持ちが吹っ切れたように思いました。
今回の一件で、モチベーションはダダ下がりですけど、あと一年で組織を去ることを志向し、自分の市場価値を問う行動に出ることを、週明けに上司にしっかり伝えて、了解をもらい、その思いを糧に、何があっても今のミッションはやり抜こうと、心に決めました。
居心地の良い状況が続くと、ゆでガエルのようになってしまうわけで、その点、今回のことは、むしろ自分にとっては、ここ数年の思いを具現化する契機となり、経営トップにはその点は、感謝しなければならないと思います。
人間万事塞翁が馬、禍福はあざなえる縄のごとしです。
いずれにしても、こうした書く場所を頂いていることで、心の整理はできたわけで、書くことは大事だなと、改めて実感しました。
話は変わりますが、三国志屈指の名将、呉の陸遜が、最後は孫権に自分の忠誠心を疑われて憤死、というエピソードがあり、中学時代の僕には、この程度のことで人は死ぬのだろうかと、疑問に感じていました。
ただ、今回、自分が信頼して、全力で支えていた相手が、自分を信じていなかったと知ると、それだけでも、結構な精神的打撃になることがわかりました。
これが、命を懸けて使えてきた、今とは比較にならない君臣関係の時代、特に孫権と陸遜は、阿吽の呼吸にあると双方が思っていたわけで、そこにひびが入ったことの陸遜の衝撃は、確かに死を招くものであったかもしれないと、今、自分がそれに近い状況に置かれ、ようやく思いを致せるようになりました。
一方で、こうした信頼関係は、不信の種を播かれると、脆いのかもしれません。つまりは、お互いに、「相手は自分のことをわかっているはずなのに、なぜこんなことをするのか」という、甘えに似た構造があるため、あえて理解を深めようとせずに、亀裂が深まるという展開になるからです。
夫婦の関係も似たものがあり、銀河英雄伝説のラインハルトとキルヒアイスの関係も然り。結局、人間は孤独で不安なので、誰かにわかってもらいたいと思い、ハードルを上げてしまい、心の転落事故を起こしてしまうのかもしれません。
ちょっと、あちこちにとんだ内容になりましたが、今日はこのへんで。