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「書く」ことで子どものころの思いに近づく #未来のためにできること

小学校に上がるか、上がらないかの頃。
報道番組で、戦争の映像が流れることが多かった。時代的に、たぶん中東の戦争だ。

なぜ戦争をするのだろう。

子供には想像もつかない。戦争ってどうして起こるのと何度も何度も親に訊ね、そのたびに、土地や欲しいものを手に入れようとしているのだと繰り返された。

やっぱりわからない。

欲しいから殺し合う。
欲しいから踏みにじる。
欲しいという希望と、残酷行為のどこに、どんな因果関係があるというのだろう。

当時(職業名は知らなかったが)戦争ジャーナリストになりたかった。
いや、「なりたかった」というよりも、「自分はそういう者」だという感じ。職業として意識していたのではない。本質的なものである。

書くことを武器にしたい。

その思いが芽生えた最初だったと思う。


結果として、書くことを武器にしない仕事についた。
恥じてはいない。中小企業の社員にも、日々の戦いというものがある。

何も、恥じることはない。

なのに、容易で現実的な自分自身を、しつこく顧みてしまう。
人間とはエゴで他者を踏みにじるものだということを、疑問視しない大人になった。

還暦も近くなったいま、あるプロジェクトの担当をひきうけた。
会社として「ESG」の取りくみを始めることになったのだ。

ESGは欧州でさかんだが、日本でも広まりつつある。自然環境を守り、人権を尊重することで社会的信頼をえて、自社の利益をふやそうという考え方。社会貢献だけでなく、ビジネス的な面も重視されている。

自社の利益を目指すからといって、よこしまだということにはならない。
得があるから人は動く。それでみんなが生活できる。
そして企業の利益が増せば、世の中のため何かができる。

わたしはこう考える。
人間の関心ごとが、回りまわって世の中にうまくはたらくのだというふうに。

一人では無理。だけど多くの企業が取りくめば、世界を変える力になっていく。

善い行いは、「100%ピュアであるはず」「ピュアであるべき」だとされるところが、ものごとを妨げている。

社内への啓蒙のため、ESG通信を少しずつ書いている。
会社という狭いところの執筆活動。
それでも、大きな変化につながるようにと願って書いている。

回りまわって、いつか戦争だってなくなるかもしれないのだと。
理想論、感情論だと見下される考えだ。
それでも、希望をもって書いている。

ちいさなことが、世界を変えると信じて書いている。


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